21、ダンジョンアタック(その三)
塔ダンジョン十一階。
そこは、これまでの常識を一新してくる場所だ。
ここから上は、十階までとは違う、そう思わせてくれる景色が広がっている。
「来るたび思うんだけどさ」
周囲を警戒しつつ、紡は緊張の混じった声で告げた。
「ラスダンみたいなフロアだよな、ここ」
俺もそれは、ずっと感じていた。
天井と壁、どちらもオフホワイトの色調で、大理石の床に、細長い赤のカーペットが敷かれている。
明かりはないが空間全体がほんのり明るくて、玄室の入り口は、白い木製のドアが付いていた。
荘厳であるのと同時に、現実感が欠け落ちた場所。
RPGのラストダンジョン、まさにそのイメージだ。
「しかも、出てくる敵があれだからな」
佐川さんの指差す先、通路の向こうから、何かの影がやってくる。
それは『何かの影』ではなく、『影そのもの』だった。
「ずっと、気になってたんだ」
構えを取りながら、文城が緊張した声で、敵を評する。
「どうして、ここの敵は『人間』の姿をしてるのかって。でも、わかった気がする」
それはまさしく『影人間』だった。
背格好はおそらく、十代の中頃だろうか、目鼻立ちは分からないが、髪型や体つきで男か女かの区別はついた。
人数は五人ほと。
「Pが魔王軍の一味だってんなら、こいつらの元ネタって」
「城に攻めてきた勇者の――成れの果て、なのかもね」
紡が剣を抜き、柑奈が下がって狙撃銃を準備する。
影の集団の中に、杖を持っている姿を見かけて、俺は素早く術を起動させた。
「柑奈! 杖持ち抑えろ! 紡、文城、前の奴ら頼む!」
マズルフラシュ。鉛筆の投擲。同時に浴びた後列の杖持ちが吹き飛び、
「せいっ!」
「はっ!」
剣を持った二体の敵が、二人の攻撃で地面に叩きつけられる。
その一瞬の交錯で、影は瞬時に消えた。
残った数体の剣士タイプも、アドリブで処理を終えた。
「遺影の召喚者、魔法を使うタイプを早めに落とせれば、基本はそれほど強くない。だが、長引けばいろいろ厄介だ。それに、時々レア個体に出くわすこともある」
「レア個体、ですか?」
「異常に動きのいい、日本刀らしい武器を使うのが出る。ひところ、ここのフロアにコウヤさんが入り浸ってたことがあったよ」
何か因縁でもあるんだろうか、その辺りの詳しいことは、佐川さんも聞かせてもらえなかったようだ。
用心しながら先に進むと、一瞬、視界がブレた。
「あ、クソ。ちょっとみんな止まれ」
そこは似たような景色が続く、通路の十字路。マップを確認し、方向をチェックする。
「ターンテーブルだ、右側の通路に行くぞ。そっちが進みたかった方だから」
「これ、どういう仕掛けになってんのかな。あたしのセンサーも欺かれるし」
「魔法とも違うと聞いている。他のフロアでも見かけない、珍しいトラップのようだ」
オートマッパーには、塔内だけで表示される方角指示がある。それが無かったら、かなり面倒な確認作業を強いられただろう。
「そういや孝人、ここの表トレジャーも『アンカー』なんだろ? 取ってかないのか?」
「偶然見つけたら取るよ。でも、無理に探す必要はない。いざとなれば、P館でプラチケと交換できるし」
一応、これまでの事前調査では、十一階までは到達している。
しかし、二重崩落や俺の体調不良が起こり、地球への転移事件も重なって、十二階以上は、まともに挑戦することができなかった。
これ以上、ここで足踏みする必要はない。
「……っあー、いざとなると、緊張するよなぁ」
やがて、十二階に続く階段に到着すると、紡は不安そうな顔で、そう告げた。
「大丈夫だって。お前ならちゃんとやれるさ」
「あー、いや、その、そうじゃなくてさ」
白いオオカミの模造人は、頭をかきながら、照れ笑いを浮かべる。
「呪文、あんなんでよかったのかなって」
「そっちかよ。まあ、否術の詠唱は独特だからな。俺も結構、今の形にするまで悩んだし。気になるなら手を加えて、いい感じにしてこうぜ」
「……よし! それじゃ、聖竜天狼騎士ブランの超魔法・改、お披露目と行くか!」
あえて剣は収めたまま、ひとり上っていく白い姿。
十二階は、白く凍り付いた氷のエリアだ。壁や床は冷気や寒さに属する『結晶』で出来ていて、毛皮のある俺たちでも、長期滞在には防寒具が必要だ。
階層に立つと、吐く息を白くしながら、紡は詠唱を開始した。
「我、三条の意志により、万難に抗う者! すなわち、不撓、不屈、不退転!」
聲に従って、しおりちゃんが施した『力の封印』がほどけ、紡の意志が自分に宿っている『火』と接続する。
オオカミの周囲に、きらめく火の粉が踊り、頭上にかざした右手に収束する。
それは渦を巻く、巨大な火の玉に変わった。
「オレの聲に従い、すべてを焼き尽くせ、超紅蓮爆裂波!」
降り下ろす手、飛翔する火の玉、そして――炸裂。
「う……わっ!?」
重い振動が俺の腹を揺さぶり、荒れ狂う炎の聲が『視界』に広がる。氷の迷宮の通路が燃え上がり、熱の波が紡に押し寄せる。
その一切が、本人を傷つけない。
押し寄せる爆炎の波を、そよ風でも受け流すみたいにして、立っている。
本来ならありえない、指向性を持つ火。紡の聲は、完全に火を制御しきっていた。
「みんな、上がってきていいぞ」
その指示に従って、みんなで十二階に足を踏み入れる。火は消え去っていたけど、その熱の名残のおかげか、氷のエリアはほんのりと温かくなっていた。
「すごい……本当に魔法、使えるようになったんだね」
「今回は全力で撃ったけど、火力の調整もできるようになったから、普通の戦闘でも使えるぜ」
「この力があれば、獄層の攻略でも活躍できそうだな」
「マジで!? そっかぁ、獄層攻略かぁ……っ」
佐川さんの指摘に紡が歓声を上げ、みんなが成果をほめたたえている。
いつもなら、俺も仲間の一人として、一緒に喜んでいたはずだ。
なのに、なにかが俺の心に引っかかっていた。
「どうした、孝人?」
俺の様子に気づいた紡が、不思議そうに尋ねてきた。
内心を隠そうと、何気ない調子で、からかいを飛ばす。
「いや、魔法の師匠として、お前の成長速度に驚いてたんだよ」
「それなら、これからもどんどん驚いてくれていいぜ! もっと頑張って、成長しまくるからさ!」
相変わらずの明るさと軽さ。
屈託もこだわりもなく、目的に向かって突き進んでいく姿。
まるで、怖いものなんて、なにもないみたいに。
『今のお前には、欠けたものがある。あるいは忘れたものか』
紡が言われたというコウヤの言葉が、背筋を伝い走る。それは漠然とした不安から、形のある警戒心になって、胃のあたりにわだかまった。
俺は、こみあげた疑念を、口にしようとした。
「つ、紡」
「ん?」
いや、ダメだ。
今は仕事の最中だし、妄想に近い想像で、みんなの気持ちを乱したくない。
「いや、紡だけじゃなく、みんなも聞いてくれ」
「どうしたの?」
「その……ちょっと、トイレがしたくなったんだけど。ここ、結構寒いしさ」
みんなが一斉に笑い、何とかこっちの葛藤を隠し通すことはできた。ただ、気持ちの動揺が、ちょっと収まりそうになかった。
次の指示をどうするかと迷った時、
「それじゃ、この辺りで塔を降りるのはどうだろう。初日から二階層連続踏破というだけでも、十分な成果だしな」
まるでこっちの気持ちを読んだみたいな、佐川さんの提案。
渡りに船だけど、普段通りの態度を崩さないように、問いかける。
「それは、先輩としての経験則ですか?」
「そんなところさ。受け入れるかは、君たち次第だが」
「いえ、ありがとうございます。というわけでみんな、今日は先輩の助言に従う、ってことでいいか?」
仲間たちは特に反対もせず、そのまま塔を降りることになった。
いつも通り下り階段を抜けて、解散を宣言する。
「みんな、おつかれ。明日も今日と同じぐらいの時間に集合だからな」
「あー、ごめん。明日ラジオの打ち合わせあるんだけど、ずらしてもらっていい?」
「じゃあ、一時ぐらいにするか。そんな感じで、よろしくな」
去っていくみんなの背中を眺めて、俺はため息をついていた。
個人的な買い物がある、ということで、文城や紡とも別行動にしている。明日までに、気持ちの整理をつけておかないと。
「小倉君、ちょっといいかな」
塔の受付を出たところで、佐川さんが待っていた。
「さっき、鶴巻君に何か言いかけていたみたいだが、なにかあったのか?」
どうしよう。
これはあくまでうちのパーティの問題だし、俺の取り越し苦労かもしれない。
口ごもった俺に、彼は穏やかに頷いた。
「そういえば、俺も君に、相談に乗ってほしいことがあったんだ」
「俺で、分かりそうなことですか?」
「愚痴みたいなものさ。同い年ぐらいの相手でないと、言いにくいことも多くてね。よかったら、頼まれてくれないか?」
なんだろうな、この感じ。
年上のヒトの面倒見というよりは、こっちと同じ目線に合わせてくれる、懐の深さみたいなものがある。
ホントこのヒト、見た目と中身のギャップがすごいよな。
「分かりました。どっかの店に入ります?」
「いいや」
オーガの偉丈夫は、いかつい笑顔で俺をいざなった。
「今日は家呑みにしよう。歓迎するよ」




