17、痛み分け
Pの発言に誰もが驚き、いぶかしげな顔をした。
大川さんでさえも、相手の真意を量りかねて、すぐには言葉を出せなかった。
「それは、本心からの言葉か?」
「ええ。貴方たちに、この街すべてを差し上げ、私はここを去ります」
「掛けた願いも、捧げた代償も、投げ捨てるということか?」
「もちろん、そのつもりです」
異様な引き際の良さに、疑問を投げかけたのは、それまで黙っていた北斗だった。
「ミスターP、質問をさせてください」
「なんでしょうか?」
「この街は、貴方の願いで造られた。では、その願いが成就、あるいは断念された場合、どうなるのですか?」
「壊れますよ。もちろん」
俺たちの誰もが、その言葉に、黙るしかなかった。
嘘か真実か、それは問題じゃない。
こいつがこういう態度に出る以上は、確実に何かがある。あるいは『無いこと』を、証明する方法がなかった。
「ここで投げ出せば、貴方の積み上げてきた計画は、すべて無駄になるはず」
「ですが、遠大な計画も、生きていてこそです。この街も、私にとってはケーススタディの一つに過ぎませんし。ただ、皆さんは、そうもいかないでしょうね」
シェパードの模造人は、まだ何か言いたそうだったが、結局は言葉を引っ込めて観客に戻ってしまう。
「……大川さん、どうします」
俺は、背後に立つ大きな背中にささやくが、答えはない。
今回の計画は、否術の管理をPの館に任せる、という態度を取りながら、それが破綻するのを前提に、こっちの権限を認めさせるつもりだった。
受け入れられない場合は、明確な対決姿勢を見せつつ、街全体を掌握するって感じで。 それが、こんなにもあっさり、街を放棄することを選んでくるなんて。
「さて、私の意志は明らかにしました。あとは皆さん、お好きな選択をどうぞ」
ホントにこいつ、絶妙にこっちの攻撃をかわしてきやがるな。
このままじゃ、俺たちがそろってPに残留してもらうように頼む、なんてことにもなりかねない。
ここはもう一度、俺がこいつと対決――
「――あ、あの、ちょっと、いいかな」
後ろに控えていた白衣のゴブリン、丹生先生が、片手を挙げて進み出てくる。気弱で人としゃべるのが苦手そうな、そんな雰囲気のままで。
「現状、僕たちが、争う意味って、ないんじゃないかな」
「……どういうことでしょう」
「君の『実験』、ここで断念、したく、ないでしょ。多分、今までで一番、『積みあがってるんだし』」
謎めいたほのめかしに、スーツ姿のゴブリンPは、表情を消して次の言葉を待つ。
白衣のゴブリンは、絞り出すようにして、意見を述べた。
「僕たちには、まだ、この街が、必要だ。そして、君も、そうなんだろう?」
「その根拠は?」
「僕なら、耐えられないから。つまらない、横やりで、実験をダメにされるの」
丸めていた背中を伸ばし、意志を奮い起こすと、インスピリッツのギルドマスターは、街の支配者に向けて、挑戦した。
「ここからは、競争、しよう。僕らと、君とで」
「私の計画成就が早いか、貴方たちの『巣立ち』が早いか、ということですか?」
「そ、その為に、街は、できるだけ、今までと同じに、するべきだ」
こんなわずかなやり取りでも、彼にとっては疲労感がすごいんだろう。
それでも、丹生先生は、最後まで言い切った。
「対照実験は、環境を、同じにしないと。正確な結果が、出ないからさ」
沈黙があった。
提案された意見を吟味する沈黙と、それを見守る沈黙が。
そして、
「否術用の対抗措置を提出し、未認可術者の取り締まり役を、P館の職員として出向させてください。それが、あなた方の提案を飲む条件です」
「それ、以外は?」
「これまで通り、ということで」
それは、妥協の上に妥協を重ねた、危なっかしい条約だった。
互いを見張りながら、最終的には相手を出し抜くために、結ばれた約束。
「よかろう。代表の選抜は――」
「――そちらは私ども、魔法学校側から行わせていただきます」
一宮さんの申し出に、しおりちゃんが安堵を浮かべた。
話の流れに大川さんは、不満げな顔を隠しもしない。すべてを『身内』で済ませたかったんだろうけど、猛禽には自由な空が必要なのだ、我慢してもらおう。
「また、事後承諾になりますが、以降は木島導師のグノーシス魔界派と、私どもの魔法学校は、別ギルドとして活動を行います。ギルド発足の申請は後程行いますので、よろしくお願いいたします」
「承知しました」
その後は、すべてが粛々《しゅくしゅく》と進んだ。
細かい意見調整と、魔法学校設立までの流れが打ち合わせされ、今回の会談は終わりを告げた。
「では、引き上げるとしよう。この後は我が城にて、祝賀の宴席を設けるつもりだが」
「不要。俗世の塵にまみれるのは、これが最後だ」
不機嫌全開の木島導師が席を立ち、一宮さんたちがそれに続く。あのヒト達も、ここからが大忙しだし、のんびりもできないか。
「僕も、帰るよ。さすがに、疲れた」
「せっかくのお誘いですが、あっしもこの辺で。この一大事に、号外の一本も出さねえとあっちゃ、瓦版屋の名折れですからね」
最後の最後、俺たちの混乱をきれいにまとめた丹生先生。多分、この中で一番、冷静に状況を見てたんだろうな。そして元町さんは、予想通りだ。
「まったく、これだから労働争議なんざ、めんどくせえってんだ。金輪際、こういうバカ騒ぎに呼ぶんじゃねえぞ」
「その慰労も含めて、我々はご相伴にあずからせていただきましょう」
「そーだねー。私も難しい話ばっかで、ほとんどついてけなかったしー」
昔馴染みでもある親方たちは、参加を表明する。
「俺たちも行くつもりですが、小倉さんはどうしますか?」
「一緒に行こ! お腹すいたし、否術も、いろいろ見せてもらいたいし!」
今回は終始、瞳のケアに回ったらしい北斗に、俺は軽く頷いてみせた。
「乙女さんに今回の件を伝えてから合流するよ。しおりちゃんは先に行っててくれる?」
「はい。それでは」
三々五々とヒトが散っていき、俺もその後を追うようにして、Pの館を出た。
お侍さんたちは引き上げていて、騒動に集まったやじ馬も姿を消している。
今回ここで何が起こったか、その辺りは『てなもんや新聞』が伝えてくれるだろう。
「にしても、キツかったなぁ。神経すり減るから、こんなのはこれっきりに」
「小倉さん」
かけられた言葉に、俺はあわてて振り返る。
そこには、意味深な笑みを浮かべたPが、一人で立っていた。
「そう身構えないでください。今すぐどうこうする、というわけではないですから」
「いずれはどうこうするって話でしょ、それ。魔王軍の秘密を知った俺を、生かしてはおかないって?」
「いいえ、ただ――」
何かをためらうように、口ごもる。
それから、尋ねてきた。
「――皆は、元気にしていましたか」
その一言で、俺の中から警戒心が、薄れてしまった。
我ながら甘いとは思うんだけど、あいつらとは共闘した仲だったし。
「片道切符の任務だってのに、現地民と子供まで作ってるのがいたよ。魔王の最後を看取れなかったのは、残念だって言ってたけどな」
「そうですか――ありがとうございます」
サングラスを取ったPの顔に、俺は絶句した。
それは、ファンタジー小説に語られた、残酷で邪悪な、魔物そのものの笑み。
「"喪蓋"と"瞋恚炎"、あるいは天の四竜と、交誼を結んだのですね、貴方たちは」
「な!? ……なに、を、言って」
「否術の開発にも、連中が関わっている。であれば、あれほど見事に術理を組み上げたのも、納得です」
た、たった一言だぞ!?
こんな短いやり取りで、なんでそこまで!?
「地球支部は魔王城と交信が断絶していました。『魔王』様の最後など知りようもなく、貴方たちも憶測でしか発言できない。であれば、あの場にあって、逝去の報を伝えられるのは、誰か?」
「ぐ……っ」
「私自身、竜洞の連中とは、浅くない因縁があるんですよ。そもそも、地球支部の戦力で天の竜を撃退したなど、眉唾と思っていましたので」
ソールたちと因縁って。こいつ『魔王』の側近でもやってたのか!?
何も言えなくなった俺に、ゴブリンPは人差し指を突き付けた。
「尋問など、長々する必要はないのですよ。真実を貫く、一発の弾丸が、あればいい」
くっそ、言ってくれるぜ。
こっちがネチネチ尋問したのは、少ないヒントで仮説を立てながらじゃないと、真実を知りようがなかったからだ。
情報格差を盾に、カッコつけてんじゃねえっての。
「ともあれ、小倉さん。重ねてお礼申し上げます」
「最後の最後で、ボロを出してくれてってか?」
「いいえ。貴方たちのおかげで、私もようやく、戦いの舞台に上がれそうだ」
サングラスをかけ、いつもの顔に戻ると、ゴブリンPは館に戻っていく。
その背中越しに、奇妙な呟きを残して。
「お互い励むとしましょう。この空に、"青天の霹靂"が、降る前に」
言葉につられて、俺は魔界の空を見上げる。
そこには太陽も雲もない、色あせた輝きが、あるだけだった。




