8、シスマ
意外なことに、木島導師は怒らなかった。
そして、あまり気乗りのしなさそうな顔で、美作氏に視線を投げた。
「貴様は? エンバーマー」
「すんません導師。ボクも美雪ちゃんに乗ろうかなって。そっちのがおもしろそうだし」
うわー、組織への忠誠度ゼロところかマイナスの発言。とはいえ、こいつの態度は教団でも共通認識があるらしく、不機嫌そうな鼻息が返ってきただけだった。
「それで? 我に対し叛意を見せた貴様らは、これから何をする」
「最初に申し上げたはずです。否術の秘密を明かす代わりに、教団の組織力を利用して、望む人すべてに、力を伝授すると」
「愚かな」
また平行線か、そう思った時、導師は朗々と声を張り上げた。
「グノーシス魔界派教主として、木島桐也がここに宣言する。緑の指、美幸栞、並びにその言葉に賛同した者を、破門とする!」
そうだよな。こいつの立場なら、そう言うほかない。
とはいえ、まさか魔界の底で、宗教派閥が真っ二つに割れる瞬間を、見ることになるとはね。
「我に共にあらんとする者は我が背に、去りゆく者は、そこなネズミの後ろに立て」
え、ちょっと!?
いや、しおりちゃんがずっと上座にいたから、人数整理のための目印にするって意図はわかるけど、変なところで俺を使うなよ!
動揺する俺の所に、しおりちゃんと一宮さん、ちょっと遅れて美作氏がやってくる。
「申し訳ありません。ご相談もなしにいろいろとしてしまって」
「ホントだよ。魔法合戦させる気なら、せめて『武器飛ばし』の呪文ぐらい、教えといてってば」
「でも、あの鉛筆だって、なかなかだったと思うね」
などと言いつつ、美作氏が気やすく肩を抱いてくる。
こいつ、自分が気に入った相手には、距離感がバグるタイプか? 風呂に入ってないのか、うっすら臭うんだけど。
「さすがは芸術家崩れ。否術の『三条』も、自分の作品に文句言うなって宣言か。地球に行ったおかげで、一皮むけた?」
「そっちは一皮むけるぐらい、風呂入って毛皮洗ってください。ただでさえ、模造人は臭いやすいんだから」
そんなことを言っている間にも、ヒトビトはどんどん立場を明らかにしていく。
やがて、ひどく残酷な事実が、浮き彫りになった。
「では、木島導師。わたくしたちからも、貴方に申し上げねばなりません」
木島の周囲にいるのは、せいぜい二十人かそこらだ。その大半が、ゴブリンやインプなどの非模造人で、模造人の支持者はほんのわずか。
対するこちら側は、聖堂にいたほぼ全員が背後についていた。
「ギルドメンバー過半数同意の下、ギルドマスター木島桐也氏に対し、マスター職からの辞職を、要求します」
一触即発。ここで互いの威信を懸けて、魔法大戦勃発。とは、ならなかった。
すでに用意してあった書状が、一宮さんの手で木島に渡される。その内容を吟味し、鼻で笑うと、渡された羽ペンでそっけなくサインを書き加えた。
「契約の履行に関しては、定められた日取りにて、お願いいたします」
「結局、貴様と我では、見ているものが違いすぎた。むしろ、望外の境地に降り立ったことを、寿ぐべきか」
長い付き合いの二人らしく、意外と遺恨を含んだ様子はなかった。
その代わり、しおりちゃんに対しては、そうはならなかった。
「やってくれたな、緑の指。我が知恵の神殿を開け放ち、世俗の塵芥にて穢した者よ」
「申し訳ありません。ですが、私にも信じる道があります。そのためには、たとえ神や悪魔でも、大恩ある導師であっても、押し通ります」
「神に逢うては神を殺し、師に逢うては師を殺す、と言ったところか」
その時、傲慢しかなかったインプの顔に、見たことのない何かが、よぎった。
もしかすれば、それは弟子に対する師匠の、親愛だったのかもしれない。
「貴様に、緑の指などという銘は、もはや似合うまい。これよりは、魔導の災禍とでも、名乗るがいい」
なにやら仰々しい二つ名を少女に与えると、すべてに背を向けて、グノーシスの指導者は去っていった。
保守派がいなくなり、残されたのは改革派のメンバーたち。
「それでは、新たにこの聖堂の長となりました、一宮です。不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」
組織の長になった一宮さん。すでに新組織の青写真はできていたらしく、すぐさま今後の予定について語り始めた。
「グノーシス魔界派というギルドですが、これまでの活動、ならびにギルドの権能は、木島導師が保持します。その対価として、我々はこの大聖堂を譲渡されました」
一宮さんはすぐにでも、新しいギルドの申請をしないとならないのか。
とはいえ、土地も人もあるから、あとはPの館に支払う登録料のプラチケだけだな。
「今後、新たに立ち上げるギルドにおいては、グノーシスで行われていた宗教的な儀式や貢納、献身の徴収、貧民救済の活動を行いません。代わりに、否術の教示、指導を、活動の中心にしていきます」
その言葉に、納得する者も、不安な顔をする者もいた。何人かが挙手して、活動内容の激変に質問していく。
グノーシス魔界派は、この街で唯一の『宗教派閥』だったからな。慈善活動を頼みにしたり、精神のよりどころにしているヒトも、いなかったわけじゃない。
とはいえ、魔法学校にそんな機能を持たせるわけにもいかず、少なくないメンバーが保守派に合流するために、離脱していった。
「木島……導師はどこにいくのかな?」
「二十一階の天空聖堂を譲渡されていますので、本部機能はそちらになりますね。その後は、街に『出張教会』を建てることになるかと」
つまり、グノーシス魔界派は本格的に、宗教派閥として純化していくことになるのか。
「決定された内容は、奈落新皇軍の大川大瓜様による計画が成立後、本格運用の運びとなります。それまで当ギルドは、これまでの通常業務を継続。このたびの『シスマ』に関しては、他言無用を徹底してください」
「シスマ?」
俺の疑問に、しおりちゃんは苦笑しつつ、用語解説をしてくれた。
「本来はキリスト教に属する言葉ですね。小さくは宗教指導者の乱立、大きくは教義の解釈違いや、権力闘争による、教派の分裂を指します。少々大げさな気もしますが」
なるほど。
とはいえ今回の騒動は、トップが入れ替わって、教義も活動内容も変更されたわけで、そういう表現をしたいってのも、わかる気はする。
大まかな指示が終わり、集まったヒト達は興奮気味に言葉を交わしながら、それぞれの場所に戻っていく。
「それじゃ、俺も大川さんの所に行ってくるよ。グノーシス (仮)」の代表は、一宮さんでいいのかい?」
「例の会談には、木島導師にも出席をお願いしておきます。P館に関しては、あの方もそれなりに、物申したいこともあるようなので」
こうしてみるとここのギルドマスター、Pにはみんな、言いたいことあるらしい。
普段のふるまいからすれば、さもありなん、だけどな。
「ところで、新しいギルドの名前はどうするの?」
立ち去り際、何の気なしに尋ねた一言に、しおりちゃんは大変へんにゃりした顔で、笑っていた。
「多分、それが一番難航すると思います。シスマの次は、幹部総出の棍比べですよ」




