5、おいてけぼりの猟犬
昼下がりの『塔チカ』は、相変わらず人通りも少なくて、穏やかな空気が流れていた。
ホライゾン所有のギルドハウスである一軒家、門前のインターフォンを押す。
「こんちわ、パッチワークシーカーズ、小倉です」
『……どうぞ』
マイク越しに、少し硬い、北斗の返事。
俺はそのまま玄関を上がり、リビングへと入った。
「資料、読ませていただきました」
元町さんとの打ち合わせが長くなるのを見越して、紡に資料を届けてもらっていた。
部屋の中にはAチームどころか、瞳の姿さえない。冷えた空気の空間に、あいつは真剣なまなざしで座り込んでいた。
「いろいろと、思うところはあります」
「先を越されて悔しい、とか?」
「それもですが、自分の預かり知らないところで、世界の様相が変わるのは、恐ろしいものだなと」
「分かったなら、陰謀張り巡らせんのも、ほどほどにな。そういう気持ちを、瞳や俺たちが散々味わってるんだって、忘れんなよ」
思わぬ攻撃を喰らったせいか、北斗は珍しく、苦笑いしつつ肩をすくめた。
「ギルドマスターを招集、Pを含めて情報開示を行うそうですね」
「なにか問題が?」
「俺のやり方ではないし、俺ならもう少し秘密裏にやります。ですが、あなたや美雪さんが望んだ新たな秩序は、そういうことではないんでしょう?」
「世界の秘密なんてのは、寡占すれば独裁に直結する。少なくとも、俺やしおりちゃんは政治家じゃないし、権力志向もない」
「……俺もだいぶ、貴方に誤解されている気がしますが、いいでしょう」
資料をテーブルに置くと、北斗は自分の考えをメモしたものを手に、尋ねてきた。
「否術、の開示ですが、基本はグノーシス派閥が占有ですか?」
「しおりちゃんは『開かれた魔法学校』を設立することを条件に、否術を伝授したそうだ。受け入れられないなら、関係を断って私塾を作るってな」
「術の担い手は、彼女だけですか?」
俺は鉛筆を取り出し、それを宙に浮かせた。途端に北斗の目が、俺を鋭く注視する。
「なるほど。そこまでの体系化ができているなら、可能でしょうね」
「俺は直弟子みたいなもんだから、判断材料としては、心もとないけどな」
「Pの館に、地球での情報を開示するというのは、控えられませんか?」
地球へ行った俺たちの情報と、魔王軍に関する話。普通に考えれば、伏せて利用するのもいいかもしれない。
でも、
「この情報はあくまで、又聞きの話。俺たちだけで持ってても、勘違いや落とし穴になりかねないからな」
「Pの正体についての情報元は、地球に残留していたという魔王軍残党の『憶測』によるもの。無関係の存在であった場合、最悪の判断材料になりかねない、ですか」
「あいつが魔王軍との関係性を、肯定しようが否定しようが問題ない。たとえ、俺たちの情報を使って『引っかけ問題』を出そうとしても、その使い方であいつの立ち位置が明確になる」
例の情報は、ただ持っているだけじゃ役に立たない。早めに切って、相手の動きを見るほうが有用だと判断した。
「否術の開示と、魔王軍とPとの関係性への疑問提出。こいつは同時にやらないとならない」
「俺たちが新たな力を手にしたこと、自分の陰謀が暴露されるかもしれないこと。二つの危機感を、煽るわけですね」
「この作戦は、大川さんと相談で起こしたもんだけど、乗ってくれるか?」
北斗は頷き、それから少し考えて、提案を告げた。
「可能であれば、その否術を、うちのメンツへ優先的に指導していただけませんか?」
「優先的には、難しいな。どの陣営にも与せず、機会をなるべく均等にするのが、しおりちゃんの希望だ」
「グノーシスに関しては、指導員の増加を狙って優先した、ということですか?」
「その辺りは、察してくれって奴でね。街に否術を広めるためにも、あいつらの助力は欠かせない」
シェパードの模造人は、渡された情報を吟味し、覚書のようなものをいくつか記述していく。
それから、所感を述べた。
「俺はこういうとき、最悪を想定します。ヒトが行動する時、必ず隙が生まれる。攻め上る瞬間は、同時に最も死に近い一瞬でもある」
「参謀らしい、冷静な視点だと思うよ。何か疑問が?」
「Pが、俺たちの行動をすべて知っている、あるいはこうなるのを前提に活動している、という可能性は?」
こいつの知性は、悲観主義全振りで構築されてんのか。とはいえ、その指摘はごもっともだ。
「Pは確実に、俺たちの特性を知っている。だからこそ、すべての世界から嫌われた、地球人の魂を選択したと推察します。であれば」
「否術の開発も、正体が知られることについても、前提で行動して、その上で手玉に取られるって?」
「正直、その遺跡に関しても、できすぎているとしか思えない。偶然、起動したゲートで偶然、日本に転移した、なんてことは」
北斗の疑念は、俺にも覚えがある。
ソールたちも同じような見解を示していたし、何から何までPの思惑通り、ということもありえる話かもな。
「すべては、美雪さんによる否術の開発を促すための誘導で、地球の魔王軍もPの息がかかっていた」
「天界のドラゴンに関しては?」
「現地の魔王軍は、ドラゴンたちへの対処法を理解していた。つまり、想定内の障害でしかなかった。むしろ思わぬ敵との戦闘で、お二人の覚醒が促されたとも考えられます」
想定内の障害か。
この話をソールが聞いたら、ブチ切れるだろう。グラウムなら笑うところだ。
とはいえ、あいつらと出会えたことで否術が成立したわけだから、北斗の勘繰りも、あながち間違いじゃないけど。
「ただな、北斗。そいつはお前が嫌いな『当て推量の妄想』だぜ?」
「……その根拠は?」
「しおりちゃんの能力は、向こうで手に入れた事実を綴り合せて、即興で生まれたようなもんだ。P達が日ごろから思考誘導してるならともかく、否術の覚醒まで想定内ってのは、ありえないだろ」
北斗は立ち上がると、キッチンに入り、飲み物の入ったボトルを手に戻ってきた。
よく冷えた水をこっちに手渡しつつ、苦笑する。
「申し訳ない。これまで手がかりのなかったPの正体や、美雪さんが見出した力、地球への転移ゲート。そのすべてが想定外で、俺たちに都合がよすぎます。であるならば」
「一切合切、Pの陰謀だと考えて警戒するべきだってか。苦労性だな、お前も」
「所詮こんなものですよ、俺の智謀なんて。ただ」
北斗の顔は、用心しながら薄氷を渡るような、不安と思慮を行き来するような表情を浮かべていた。
「万が一、Pがこの結果を、はじめから知っているとしたら?」
「は?」
「この街で起こることすべて、彼にとっては、一度以上経験したことだとしたら、どうでしょうか」
俺は目の前のシェパードを見つめ、それから失笑した。
「つまりPの奴が、この街でループものの主人公を気取ってるって、言いたいのか? やり直しの能力を使って?」
「俺だって、言いたくはありませんよ、こんなこと。それでも、ここは魔界です。想定せざるを得ないでしょう?」
「……確かに」
ここは地球の常識では測れない、あらゆるでたらめが許される場所だ。
そんなことはあり得ない、という言葉がありえない。
ただし、俺はその危惧に対する反証を持っていた。
「アカザの事件、覚えてるよな?」
「ええ。あの時は、小倉さんがPを、アカザの首実検に呼んでいましたね」
「その時、あいつが特別報酬をくれたんだ」
「……どんな?」
思い出す、むき出しになったあいつの、黄色い目の真剣さを。
「"ジョウ・ジョスは再演を嫌う"」
「……ループ環境などはあり得ない、と?」
「一度見た出し物には、興味がないってな。都合のいい結果を引くためのループなんて、それこそ認めるはずがない」
「敵の言葉を、信用するんですか?」
別にPの言葉だけが、裏付けじゃないんだけどな。ソールたちからも、ジョウ・ジョスの性格は聞き取りしてるし。
さすがに、今は盗聴防止もしてないから、そっちは伏せて説明するか。
「Pはジョウ・ジョスと契約した。対価として提出した面白い企画が、この街の運営だ」
「俺も、その考えに同意しますが、それで?」
「そのスポンサー様は、飛び切り壊れた、でたらめなガラクタであるほど、気前よく出資してくれるんだよ」
「……ずいぶん、確信のある言葉ですね」
俺は自分の胸をぽんと叩き、笑った。
「ゲートから帰ってくるとき、あいつにちょっかい出された。俺の人間体を殺して、魂に掛けられた呪いを取っ払ってくれた。こんなろくでもない場所に帰ろうとする、壊れ切ったオモチャへの、ご褒美だってな」
シェパードの顔が、なんとも言えない感情にひきつったけど、俺は鼻で笑ってやる。
「ジョウ・ジョスの交換レートがどんなもんであれ、こんな大規模の箱を用意するなら、それこそ、とんでもなくぶっ壊れた――」
「――ここまでにしましょう」
資料を整理して、ブリーフケースにしまい、席を立つ北斗。
こちらに向けた背中は、少し気落ちしているようにも、感じられた。
「小倉さん。健康には、気を付けてくださいね」
「……なんだよ、いきなり」
「そういう経験ができるのも、五体と精神が、まともに動くからこそです」
振り返った顔には、悲しい笑いがあった。
「肝心な時に表舞台で動けない、なんてことになったら、死ぬほど後悔しますよ」
ああ、そうか。
俺は頷いて、席を立った。
「忠告、しっかり刻んどくよ。瞳たちへの説明は頼んだぜ」
「分かりました。あとで、本部にお伺いすると、大川さんにお伝えください」
会合は終わり、ホライゾンのギルドハウスを後にする。
ムーランに帰る道すがら、北斗の見せた顔を、思い返していた。
あいつは、足を壊している。この街の医療や塔から入手したアイテムでも、回復しようがないほどに。
「否術でも、難しいだろうなあ」
俺たちの力は、常識や未知といった『不安定な観念』を上書きすることで発動する。
その代わり、確定した事実を否定するのには向いていない。
できたばかりの重傷は否定できても、失われた四肢や、壊れてしまった運動機能をどうにかするのは難しい。
ヴィト氏が言っていた『死は否定できない』ってやつだ。
「武藤さんを引き入れたのも、そういうことかもな」
壊れた足を補助できる義肢があれば、あいつも冒険に戻れる。
きっと、あのギルドにいる誰よりも、北斗こそが――。
「小倉孝人様、でいらっしゃいますね」
誰かが、俺の行く手を遮る。
この街では特に珍しくもない、雑種犬の模造人だった。
ただそれは、『普通の目で見た』場合の話。
「ご足労いただけますか。美幸栞様がお呼びです」
そいつの漂わせる『聲』は、明らかに普通じゃない。P達の魔法からすり抜けるため、偽装を展開しているのが分かった。
グノーシスの連中、もうこんなレベルで、使いこなしてんのかよ。
「分かった。ちなみに、どんな理由で呼ばれたのか、聞いてもいいかい?」
案内人は、にこりともしないで告げた。
「木島導師による異端審問に、出頭いただきたいとのことです」




