異世界浮世床
「ねえ、リーダー」
それは、塔での一仕事を終えて、ムーランに帰る道すがら。
「最近、ヤマアラシっぽくなってない?」
柑奈から、謎の指摘を受けたのがきっかけだった。
そのまま銭湯に入って汚れを落とし、脱衣所に戻って来て、自分の姿を鏡に映す。
「あー……確かに、ヤマアラシだわ、これ」
今は毛皮が濡れているが、それでも全身の毛は伸び放題。服や鎧でこすれる部分と、頭や腕なんかで、長さが違っている。
多分、このまま乾燥させると、とんでもない跳ねっぷりになるだろうな。
「柚木ー、お前、毛皮の手入れとかどうしてる?」
番台に座っているロップイヤーの模造人は、ちょっと考えつつ、答えを返した。
「ぱちもん通りと城下町に『浮世床』って店がある。あとは、美容院だな。東前通りに一件、俺はそっちの店だよ」
「そういやお前、いつもきっちりしてるもんな」
服装もそうだけど、毛並みも整っている。結構なお洒落さんなんだよな、コイツ。
「で、その店って?」
「スタイリスト・セオ、ってとこだよ」
タオルで水気を取りながら、上がってきた文城が疑問に答えてくれる。
そういえば、文城の毛皮も意外ときれいにしてるよな。
「前の、決闘のときにね、僕の毛皮、カットしてもらったんだ。それからずっと、そっちに行ってる」
「おおー、じゃあ、俺もその店に行ってみるかな」
そう言うと、二人はなぜか顔を見合わせ、微妙な顔をした。
あれ、もしかして、何か問題が?
「小倉、お前はたぶん、店主にめんどくさがられる」
「は? なんでだよ?」
「僕は平気だけど、孝人は……気を付けたほうがいい、かな」
「文城まで!?」
珍しく意気投合したのか、柚木と文城は、微妙な半笑いで頷いた。
「行ってみればわかるさ。たまにはお前も塩対応されればいい」
「で、でも、ちゃんとしたお店だからね。そこは心配しないで」
「……なんなんだよ、まったく」
納得いかないものを感じつつ、俺はその店に行ってみることにした。
その店は、P館東前通りの、奥まった場所にあった。
コンクリの壁に窓にはカーテン、ドアのところに申し訳程度の『スタイリスト・セオ』のプレートが掛かってるだけ。
店構えが目立たなくて、あやうく通り過ぎるところだったぞ。
普通美容院って、百メートル先からでもわかるような、おしゃれな外装にするもんじゃないか?
「なんか、分かってきたかも。あいつらの反応の理由」
ドアに手をかけて、中をうかがうと、白いシーツのようなものをかぶせられた長椅子的な何かが二台、置かれている。
いわゆる美容院的な鏡も二面あったから、普通のカットもやってるみたいだけど。
ただ、店員らしいヒトの姿は、どこにもない。
「こ、こんにちはー。カット、お願いしたいんですけどー」
外に看板が出てたし、開店日だと思うんだけど、大丈夫なんかな。
なんて思ってると、死角で見えなくなっていたレジの中から、ウサギの模造人が、進み出てきた。
灰色の毛がふわふわした、いわゆるアンゴラ系で、目元も隠れているせいで表情が分からない。ただ、乱雑に伸ばしているんじゃなくて、きれいに切りそろえられていた。
「誰」
「……えっと、カット、お願いしたいんですけど」
「ハーフ? オール?」
「す、すみません。俺、模造人の床屋って、初めてで」
ウサギはむっつりとした顔で、レジ裏から一枚の紙を取って差し出してくる。
そこにはカットメニューと料金が書かれていて、ようやく彼が、何を言っているのかが分かった。
「頭と手足なんかのパーツだけで済ませるのがハーフで、全身トリミングがオール、なんですね」
「そう。どうする」
なんかいかにも不機嫌全開というか、取り付く島もないヒトだ。多分、口下手というかコミュニケーション取りたがらないタイプなんだろう。
ってかこのヒト美容師だろ。美容師って言ったら、ハサミと一緒に口が連動して動く、陽キャ全開人種じゃなかったっけ?
「決めて。早く。予約、あるから」
「あ、ああ。じゃあ、ハーフで」
口調はぶっきらぼうだけど、物腰自体は丁寧で、椅子に座らせた後は、カットした毛が飛散しないためのケープをかぶせてくれた。
ただ、人間用のと違うのは、両腕を出す用の穴があること。
「短め? 長め?」
「短めで。長くても邪魔になるし」
「わかった」
それっきり、彼(だと思うけど自信がない)は、一言も口をきかず、仕事を始めた。
霧吹きで毛皮を濡らし、ハサミを入れて長さを整えていく。
早い、そして正確だ。
しゃき、しゃき、と心地いい音と共に、まばらに伸びた毛並みが、ふわふわの質感を取り戻していく。
鏡の向こうの俺も、だらしないパンクロッカー崩れから、ジェントルな清潔感のある感じになっていた。
「おー、すげえ、結構変わるもんだなぁ」
「……シャンプー、いる? それとも、このまま帰る?」
このヒトにしては、かなりのロングセンテンス。俺は少し考えて、首を振った。
「この後の仕事、差し障りそうだし、やめときます」
「うん」
そのまま切った毛を払ってもらい、椅子から降りると、彼はレジ前に回ってこっちを待っていた。
お代を渡すと、
「ありがとうございました」
と、短い挨拶だけ。
俺も頷いて、そのまま店を出た。
「……なるほど」
いつの間にか緊張していた四肢をほぐすと、俺は苦笑しつつ、ぼやいた。
「俺、そんなにおしゃべりって思われてんのかぁ」
その日の晩。
ぱちもん通りのバー『ナイトホークス』に入ると、
「あら小倉さん。こんばんわ」
「おう。来たのか」
バーカウンターにはニーナさんと、三毛猫の模造人が並んで座っていた。
三毛猫の方は、居酒屋『大しけや』の店主、野村さんだ。
「こんばんわー。って、二人ともお知合いだったんですか?」
「古いおなじみさんよ。わたくしも野村さんも、この街にずいぶんいるから」
「せめえ街だかんな。店なんぞやってると、自然とそうなるわな」
ニーナさんはカラフルなロングドリンク、野村さんの方は透明な蒸留酒をロックか。
「ジントニで」
いつものを頼むと、二人の隣に座る。ニーナさんは座ってても高身長だから、その向こうにいる野村さんが隠れる形だ。
「あら、カットなさったのね。当ててみましょうか……誠也さんのところでしょ」
「セイヤ……、スタイリスト・セオの店主さんって、そういう名前なんですね」
そういや、相手のフルネームも聞いてなかったな。ああいう店って、名刺とか渡してくるのが常なのに、そういうのもなかったぞ。
「あいつぁ喋らねえからな。聞いてもめんどくさがって、答えねえしよ」
「それでいいんですか美容師として。カットしながら営業トークってのが基本じゃ?」
「あの方、それが嫌で、美容室に勤められなかったんですって」
なるほど、ものすごく納得。
って、まともな美容室に勤められないって割には、めちゃくちゃ腕がよかったけど。
「じゃあ、どうやって腕を磨いたんですか?」
「ヤ―公の専属やってたんだとよ。あとは、堀の中の受刑者相手とかな」
「え……ええええええええ」
「もちろん、それだけではなくってよ。介護関係の出張サービスとか、あまり喋らなくていい仕事を中心にね」
思った以上にすごい経歴だ。てか、そんなコミュニケーション苦手なヒトから、よく情報を引き出せたな。
「こっちに来てからは、無愛想な接客でも何とかなってるって、よろこんでらしたわね」
「美容師の仕事は好きだけど、ヒトとしゃべるのは苦手、かあ」
「まあ、オレもでぇっきれぇだけどな、ちゃらちゃらした喋りの美容師はよ。口を動かさずに、手ぇ動かせってんだ」
「わたくしは、昔ながらの床屋さんの、落ち着いた雰囲気が好きだわ。程よく眠くなるような、あの感じが」
そういえば、あの店の雰囲気も、どちらかと言えば床屋さんよりだったな。
子供の頃、親に連れて行ってもらった町の床屋。
産毛そりの前、口の周りにもこもこの泡を付けてもらうのが、なんか面白くてすきだったっけ。
「ところで、小倉さん。ハーフになさったようだけど、それでよろしかったの?」
「え?」
苦笑しつつ、ニーナさんは俺の襟元を指差す。
その辺りはハサミが入ってないから、カットしてもらった部分と、ボリュームが違ってしまっていた。
「ハーフカットはマメにハサミを入れる方や、短毛種の方向けなの。小倉さんはそれなりに毛量もおありだし、改めてオールにされた方が、よろしいんではなくて?」
「あ……あー、そうっすねー」
いくら無愛想だからって、その辺りのレクチャーはしてくれよ。いや、渡された紙に、注意書きが書いてあったような気もするけど。
とはいえ、ここはいい方に考えよう。
「こうなったら、この街の床屋さん、両方試す機会と思っておきますよ」
「次は浮世床というわけね。わたくしとしては、改めてセオをお勧めいたしますけども」
「職人の違いってのが出ちまうからなぁ。素人がやるよりゃ、まともになるだろうが」
「元々、そんなにカッコつけるわけでもないし、これも話の種ってことで」
そんなことを話している間に、店の戸口にどやどやとやってくる影がある。
「おー、遅れちゃってごめんねぇ。パンだねのご機嫌が悪くてさー」
ふかふか屋の店長であるパンダさんに、
「へぇい、ぶぇなす・のーちぇーす。マスター、ビールお願い」
タコス屋の店主であるジャガーさんが入ってきた。
「なにかの寄り合いですか?」
「ぼくたち飲食つながりで、時々飲みながら近況報告してるんだ。垣田君とこは小麦を扱ってるから、その辺りの話とか」
「P館の小麦って、質がまちまちなとこあるんだわ。粉ものはデリケートだし、そういう情報交換、大事なんだよねぇ」
暢気そうなパンダさんと、いい加減そうなジャガーさん、この二人もそういう面はしっかりしてるんだろうな。
「じゃあ、俺はもう上がりますね。邪魔しちゃ悪いし」
「ごめんねー。気を付けて帰ってね」
「次にうち来たら、なんかサービスしちゃうから。あでぃおーす」
そのままお代を払って、店を後にする。
しかし、床屋でここまで苦労するなんて、まだまだ模造人としての経験値が足らないなあ。
「いや、もう少し初心者に優しくしてもよくないかぁ?」
そんなことをぼやきながら、家路をたどった。
そもそも『浮世床』というのは、古典落語の演目の一つ。
いわゆる髪結い床――江戸時代の床屋さんのこと――を軸にした噺の総称だ。
せっかくだから、ということで、城下町の『浮世床』に行くことにしたんだけど。
「あ、ネズミちゃーん、おっすー」
なんと営業場所は、別天吉原の木戸の内。間の悪いことに、宇藤さんが髪のセットをやってもらっているところに、出くわしてしまった。
「……すみません宇藤さん。ここって庶民の床屋さんですよね?」
「あー、ねー、あーしってば、ここのお客さんになって、お店のチェックもしてんの。品質管理? ってやつ」
近代的だった『スタイリスト・セオ』と違って、こっちは畳敷きの店内に大きめの鏡台が置いてあって、職人さんたちがハサミやかみそりを手に、大忙しで作業をしている。
宇藤さんの方は、自分の髪の毛をいわゆる『高島田』に結わせつつ、手指の爪にマニキュアを施してもらっていた。
「すみません。なんか俺の中で、江戸の情緒がねじれ曲がって形成されていく音がするんですが?」
「えー、なんでー。ほら、こういうの、結構かわいいっしょ? 和服着けるとき、こっちのがアガるっていうかさー」
「バリバリ江戸風の髪結い床で、島田に結ったサキュバスの姐さんが、爪にマニキュアしてビーズでデコる姿とか、情報量多すぎてキツイっす」
けらけらと笑い飛ばされてしまい、俺はすべてを忘れることにして、お店の人にオールでの手入れをお願いする。
「三番さんおーる一丁!」
「はい三番さん、おーるね!」
まるで居酒屋のコールだけど、数人の職人さんが俺の周りに集まる。みんな背丈の小さなネズミやウサギばかりで、背の高いヒトはいない。
「あの、もしかして浮世床って、就職に種族制限とか、あるんですか?」
「あんねー、ネズミちゃん。それって、別天の中だけだよ。ぱちもん通りのとこは、普通に背の高いコとかもいるし」
俺は服を脱がされ、腰に短い腰巻を巻かれて、その場に寝かされる。
わかってはいたけど、全身カットするなら、こうなるしかないよな。
「三根せんせーと、おーちゃんが相談したんだわ。吉原の仕事、増やすためにってさ」
「吉原の仕事を、増やす?」
「お客さん、よそで切ってきたみたいですけど、うちで全部揃えます?」
職人さんの質問に、俺は少し考えて、揃えてもらうことにした。
瀬尾さんには悪いけど、次にカットするときは、向こうでオールを頼むことにしよう。
それから、背中に蒸したタオルが当てられ、いい香りの油が使われて、静かにハサミやかみそりが当てられていく。
「その、申し訳ないんですけど、吉原って言えば、アレ、ですよね?」
「セックス売ってるって話っしょ? そーいうお店もあるよ。でも、全部じゃないしー、ネズミちゃんの思ってんのとも、違うかもね」
「江戸の、本物の吉原のしきたりは、ご存じですかい?」
職人さんの一人の言葉に、俺はあまり体を動かさないようにして頷く。腰や太もものあたりにも刃物が入ってるからな。
「お座敷に上がっても、最初は同衾どころか、御馳走のお膳を出して、対面するだけで終わり。って奴でしたっけ」
「別天は、そういうのを参考にして、簡単には『致せない』ようにしてるんですよ。相手の素性を吟味して、提供する側が嫌だと言えば、客は引っ込む。そういう決まりなんで」
「……そ、そんなんで、商売として成り立つんですか?」
俺の疑問に、宇藤さんは笑って答えた。
「ほっとんどのお店はねー、カワイイ女の子とか、男のヒトとかとー、ゴハン食べたりおサケ飲んだりするだけ。歌とか踊りとか見せたりー、一緒にゲームしたりねー」
「……い、いわゆる『芸者遊び』、ってことですか!?」
「名前が名前だけに、皆さん誤解されますけどね。そういう店が欲しい、ってお方には、しかるべき場所にご案内してますが」
そういやある時期の吉原も、芸子が歌や踊りでお客を歓待するのがメインで、葛飾北斎をはじめとする文化人が通ってた、って話だったっけ。
そして俺は、この場所の真意に気づいた。
「そういうことか。俺みたいなネズミとか、体の小さい模造人に働き口をあっせんするため、ってことなんだ」
「歌や踊り、ゲームのお相手なら、塔や森に入るよりは苦労は少ない。床屋の職を手につければ、ここを出てもやっていけるでしょうよ」
「アレだよアレ、しょくぎょーくんれん? 的なヤツー」
うーん、外から見るのと内情を知るのとは、ホントに違うなあ。これなら一度、文城を連れて遊びに来てもいいかもだ。
「すみません、次はあおむけに、お願いします」
「う? あ……はい」
指示に従って、俺はあおむけに寝転がる。
なんというかこの姿勢、ひっじょーに恥ずかしいというか、なんというか。
そんな俺を、身支度を整え終わった宇藤さんが、目を細めて眺めている。
「……な、なんすか」
「ネズミちゃん、かーわいい」
「…………!?」
そして、意味ありげな笑みのまま、立ち去っていく。
いやちょっと、その発言と視線の意味は何!? 俺の何をして、かわいいと述べたのですか!?
「はい、それじゃ剃ってきますね。身動きしないようにお願いしますよ。……うっかりすると、うっかりするかもしれねえんで」
「何をうっかりするんですか!? ご安全に! ご安全にお願いしますっ!」
妙に神経をすり減らした俺は、どうにか無事 (?)に、毛皮の手入れを終えた。
これでしばらくは、床屋の世話にならなくてもすむだろう。
「トリマー嫌がるペットって、こういう気分なんだろうなー」
それは、特に知りたくもなかったトリビアだ。
ともあれ次回の手入れからは、もうちょっと、うまくやれるだろう。
そして、
「いったい、俺の、何がかわいかったんだぁあああああああっ!」
決して解き明かされないであろう悩みを、俺は帰りがけに寄ったカラオケボックスで、全身全霊を込めて、絶叫したのだった。
本小説は一般向けの娯楽作品であり、猥褻は一切ない。いいね?




