28、最も新しき魔法
夕暮れが温泉街の空を赤く染めるころ。
再びやってきた廃旅館。
その間に、結構な車通りを見かけた。旅行者というには大荷物のそれは、いち早く南関東から避難してきた連中。
あの『石喰い』を倒すために、『核』が使われるんじゃないか。そんな風聞がネットを駆け巡ったせいだ。
その結果、東北自動車道は地獄のような大渋滞。国道四号線と四号バイパスも、まともに進めず、北へ向かう交通網は完全にマヒしていた。
「新幹線どころか、宇都宮線も乗車率二百パーセントでパンク寸前だとよ。ホント、一般市民は大変だねぇ」
「東海道方面も似たようなものだ。有事の際に首都圏から出るルートが、人口規模に対して貧弱すぎる。魔王軍でも、その脆弱性を突いての制圧計画を」
「はい! そういうの、もういいから!」
ったく、これだから異世界の住人はよぉ。
自分のしたことを棚に上げて、無責任に勝手なことばっか言いやがって。
「テメエもオレらと同じ立場だろうが、クソネズミ」
「建設的なことが言えないなら黙っててくれ。もっかい嚙り付くぞ土饅頭様が」
「それで、我々に見せたいものとは?」
今回、俺たちがやってきたのは、地下にある大宴会場。
以前は立食パーティでも開かれていたであろう、洋風の広間だったが、今は埃とすえた匂いが漂う、薄気味悪い暗さだけが支配していた。
「わたしたちに内包された神去の毒と呼ばれる『聲』の本質、いいえ『作動原理』です」
暗がりに火をともした竜の青年は、驚いた顔でしおりちゃんを見つめた。
「聞かせていただきましょう」
「そもそも、万物の素因である聲を、聲によって妨害するというのは、どういうことなのかということが、わたしにとって最大の疑問でした」
しおりちゃんは、部屋の中央に進み、俺達を見回した。
それから、いつもの銀の羽を取り出した。
「自分より存在力が小さいもの、あるいは単純な存在には『強制』が可能です。動くな、逆らうな、消えろ。おそらく竜であるお二方なら、よく口にされる『聲』でしょう」
「よくわかってんじゃん。さっき、そこのネズミを縛った聲でも『視た』?」
「孝人さんに、お許しをいただきましたので」
ああ、まあ、確かにそんなようなこと、言った気はするけど。
それは俺自身の内部の変化とかであって、どっかのクソデブ饅頭に、いぢめられるのを傍観してもいいよ、ってことじゃないんだけどナー。
「ですが、自分よりも強力な存在への命令は、成立しません。力関係を介在させてしまえば、強者に勝つことはない。わたしたちに仕込まれた『毒』は、効力を発揮しない」
「でも、俺……あいつに勝ったよな?」
「勝ってねーっつの! ふい突かれただけだし! 手加減しただけだし!」
そんなやり取りに彼女は笑い、それから真剣な顔で、金属でできた翼の飾りを、祈るような顔で見つめた。
「ここからは、論理の飛躍になります。正確な答えを、お伺いしていないもので」
「しかし、仮説は既にあり、実証実験を行って証明したい。そうですね?」
どうやら、ソールはしおりちゃんの考えに気づいているらしい。
なにかを待ち構える様に、静かに彼女を見ていた。
「ヒントは三つ。一つは、神去の人間でも、呪詛という形で『聲』を扱っていること。二つはわたしたちの信仰、すなわち祈りの『聲』が、毒になるということ」
彼女は一瞬、俺を見て、それから天井に燃え盛る炎を見上げた。
「三つめは、孝人さんが発揮した、聲の形!」
叫びとともに、翼の飾りが天井の炎を薙いだ。
そして、消えた。
地下の空間が、真っ暗になり、ややあって再度火が灯される。
「………………」
さっきと同じ場所に立ち尽くしながら、しおりちゃんは、かすかにふるえていた。
そして、ぽろりと、涙をこぼした。
「しおりちゃん!? どうした!」
「い、いえ、大丈夫、大丈夫です。ただ――うれしくて」
走り寄り、その肩を抱くと、彼女は声を上げて泣き出していた。
悲しいのではなく、自分の望んでいた境地に、達したことを喜んでいた。
「……とんでもない力だな、それは」
傍観者としてたたずんでいた短髪は、複雑な顔をしていた。喜びと、悔しさ。
「いつ、その力を成立させた?」
「ついさっき、です。孝人さんの聲で」
「え、俺? いや、別にそんな、何かやったって気は、ないんだけど」
「グラウムさんを『否定』しましたね?」
その指摘に、俺は自分の両手を見下ろした。
無我夢中だったけど、あいつの言葉を認めたくなくて、それに。
「『視え』たんだ。俺の体を、魂を、充の『聲』が引っ張ってるのを。俺は死んでない、小倉孝人は『死ぬわけがない』って」
「そして、わたしはさっき、こう考えました。『ここは神去、竜など存在しない』と」
その時、ここまで聞いてきた情報が、ぴたりとはまった。
「俺たちの中にある『毒』は、神秘を『否定』する聲ってことなのか」
「正確には、それを強化増幅する仕組みがあり、その結果が『毒』になるのかと。違いますか? ソーライアさん」
「『三条の否を束ね万物を否む聲と成す』。それこそが、お前――あなた方に埋め込まれた毒の正体。神魔を鏖殺せし聲『アプシントス』です」
自分の力が否定されたにもかかわらず、ソールは笑っていた。
意外だな、こいつのことだから無礼者っとか言って、喰ってかかってくるかと。
「神には否決、神と否認、神など否定。この三条によって、信仰そのものを根底から揺るがす。聲とは響きあうことで成立する、相互の証明機構。ゆえに断絶の宣言こそが、最も強い毒となるのです」
「つ、つまり、究極のシカトってコトォ!?」
「神も魔も、信仰を得て存在し続ける『かまってちゃん』だからなー。ハブってやんのがいっちゃん効くんだわ、これが」
にわかには信じられないけど、現実のものとして証明されると、認めないわけには行かない。
「その上、その聲は長い間に洗練され、あなた方が存在するだけで、周囲に否定の空間が発生します。この星自体にも、その聲は刻まれてしまった」
「ああ、来るなり帰れコールされるようなもんなのか。そりゃキツイわ」
「しかも存在自体を否定してくんだぞ? 助ける気も失せるだろー?」
一通りの説明を聞き、俺はふと、しおりちゃんの言っていたことが気になった。
「でも、仕掛けはそれだけじゃないんだよね? だって」
「はい。本来の力のみでは、神秘を否定するだけです。でも……孝人さんが、その力の使い道の可能性を、証明してくださいました」
「俺が、って言うより充のおかげで、だけどね」
目の前の事実を『否定』し、その否定でもって真逆の『肯定』を求める方法。
「それが『アプシントス』――神去の毒を薬に変える方法。否定を肯定に変える構文。それが、わたしの見出した『模造人の魔法』です」
沈黙が、一瞬だけ辺りを支配して、
「……は、ははははははははははははは! なるほど、そーいうことかよ! そりゃ盲点だったわ! ははははは!」
腹を抱えてグラウムが笑い、その隣で結論に満足したようなソール。
「地球人の体から抽出された魂が、模造人の肉体で聲を『視て』、故郷の毒の作動原理を手本に、己に見合う魔法を生み出した……美雪栞、貴方の類まれなる怜悧に称賛を」
おいおい、竜の神様を感心させちゃったよ。
俺自身はよくわかってないけど、なんとなく彼女がすごいのはわかる。とはいえ、かえってまずいのでは?
「ですが」
「やっぱ、そうくるよなぁ」
「その力は、確実に危険です。あなたができたということは、他の者もできる可能性があるということ」
「つーか、そのPの野郎が街を造ったのって、しおりみたいな能力を持つ存在を生み出すためだったんじゃねえのか?」
それでも、しおりちゃんはにこやかに交渉を進めた。
「わたしを捕えて、どうするおつもりですか?」
「ぶっちゃけ、アンタの価値は天井知らずだ。このまま天界に連れて帰って、丁重に経過観察ってことに」
「つまり、『万能無益』の持ち物に、手を出すということですね」
いや、それはさっき、俺が言って通用しなかった論法で。
そんな俺のツッコミとは真逆の反応を、二人の神は示す。真顔でトリの少女をにらみつけて、言葉を返した。
「さっきも言ったろ。あいつの興味はモック・ニュータウンという『箱』だけだって」
「すみません。その前提、どういう論拠に基づいた憶測でしょうか」
「……憶測と決めつけるのは、いささか我らを侮りすぎです。興味の赴くまま、魔界の実力者を無能力な肉塊に変え、本人の言う『ガラクタ』を蒐集し、飽きれば投棄するという事実を確認しています」
ああ、そういうことか。
そこまで言ってもらえれば、俺でも何となく、しおりちゃんの『ツッコミ』について行けそうだ。
「事実確認ってことは、あんたらも言うほど、万能無益を知ってるわけじゃない、ってことじゃないか?」
「モック・ニュータウンは、そうした判例から外れている。なによりあなた方も、『万能無益』への干渉は、可能な限り控えたい。違いますか?」
「なーるほど。そこまで見切られたらしょうがねぇ。だったらさ」
俺たちの言葉を受けて、グラウムはにんまりと笑った。
「なおさら『影響が低そうなサンプル』が欲しいって気持ちも、分かんだろ?」
「道理かと。ですが、わたしはあの方と『個別に』契約していることを、お忘れなく」
「さすがにそれは通らねえよ。あいつがそういうケツ持ちをするタイプだったら、なんでお前らが、神去で立ち往生してんのかって話だからな」
「いいえ。ここで問題になるのは、わたしの『契約内容』です」
静かな狂笑が、その顔に浮かんでいた。
「わたしはあの方と契約して、植物を発生させる能力をいただきました。その内容は『己の欲望に忠実に生き、あの方を楽しませ続ける』ことです」
「……私に、聲の秘奥を聞いた時のように、ですか」
ソールの顔に、苦い笑みが浮かんでいる。
拘束してきた尋問者相手に、知的質問攻めだもんな、わかるよ。
彼女はものおじもせず、淡々と自分の言葉を紡いでいく。相手を縛り、からめとるための魔法の言葉を。
「万能無益という二つ名は、『何でもできるから何もしない』という意味だと聞いています。あの方はおそらく、『自分が想像もしないもの』を見るために、試行し続けているのではありませんか?」
「……つまり、何が言いたいのです」
「ジョウ・ジョスとの契約に基づき、わたしは、『あの方の想像を超えるようなふるまい』を、天界でも試行する意志がある、ということです」
絶句する二人に対して、俺はさすがに同情した。
多分、連中の長い神生でも、初めてのことじゃないだろうか。年下の、元人間の女の子に、恫喝されるなんてことは。
そして彼女の言葉には、新しく見出した魔法という、裏付けがある。ジョウ・ジョスが契約したいと思わせる『爆弾』としての素質は、十分というわけだ。
「もちろん。わたし風情に何ができる、とお思いであれば、ご自由にどうぞ」
ソールは無言だった。本人が『弱いって理由で相手を侮らない』って言ってたし、当然と言えば当然か。
「……評価を改めるぜ。しおりちゃんよ、アンタ、最悪の探究者だ。オレでさえ、喰うのを手控えする類のな」
「ありがとうございます。"喪蓋"も、またいで通る残骸。なかなかハッタリが効いて、いいんじゃないでしょうか」
グラウムの顔は、仏頂面と怒りの混ざりもの。しおりちゃんに対する容赦は、すっかり呑み込んじまったみたいだな。
「了解しました。身柄の扱いに関しては、後日に改めましょう。それで、値千金とも言える新たな魔法の開示を担保に、貴方は何を望むのですか? 若き魔術師よ」
「ではその二つ名に掛けて、事件の後始末に助力をお願いします。"誄刀"のソーライア、ならびに"喪蓋"のグラウマグリュス」
ソールは肩をすくめ、グラウムは塩まみれの顔で、げんなりとつぶやいた。
「やっぱ神去の連中とは相性が悪いぜ。年下のガキに、二度も言い負かされるなんてな」
「二度って、一度目は?」
「テメエには関係ない話だよ。んじゃ、助力の内容を聞こうか? お嬢さん」
そして彼女は語りだした。
成したいこと、成すべき事のすべてを。




