27、窮鼠のひとかみ
テレビは、煮えたぎって吹きこぼれるシチューみたいなありさまだった。
日本の領海、その北方に集まってくる軍艦。
西の大陸側でも動きがあったことを知らせる報道が、意外な速さで伝えられる。
その合間に挟まれる、怪獣の動静。
とぎれとぎれに繋がるネットは、終末論への不安と待望が、すし詰めになって流れていった。
「ハワイ沖でも、艦隊集結の動きがあった。自衛隊は陸海空、上から下まで、開戦前夜の緊張感だそうだ」
「おいおい、服務規定はいいのかよ?」
「日本国憲法は、魔法の行使とその違法性について、明確に定義していない。であれば、他の部分を順守していればいい」
「オレらが知ってる段階で、順守もクソもあるかってーの」
なんで、なにが、どうなって。
「どうやら、すべての点と線が『つながった』結果らしい。俺たちの『小競り合い』に、"ソウガイ"の存在暴露。その上、『石喰い』自体はこの一月、世間を騒がせていた」
「に、日本に、怪獣が多数出現してるって思われた!?」
「その騒動に合わせて、自国の都合を日本に押し付けよう、とする動きですね」
ソールの顔は、いかにもつまらないという、冷たい怒りで満たされていた。
「一連の事件で、日本の防衛能力に対する『警戒心』は衰えた。あんなものが唐突に出現した上、一般市民の生活を脅かし、それを排除する能力に疑義が表出している」
「『てめーんとこの軍隊、マジ使えねえな。オレがなんとかしてやんよ』って面で、自国の兵士を駐留か。次の一手への、いい口実だよな」
「一応、米軍は動いているようだが、動き自体は消極的だ。裏で鼻薬でもかがされたか、安保条約にも陰りだな」
いきなり、日本が世界の火薬庫になってる。
それも、俺たちのせいで。
「さーて、そろそろ、引き上げ時かぁ」
あっけらかんとグラウムは言い放つ。
引き上げるって、
「引き上げるって……なんだよ」
「言葉通りだよ。二泊三日の温泉旅行、飯もうまかったし、仕事に戻んねーとな」
「どうすんだよこの状況!」
「できることは、特にありません。別段、この世界に責を負っている身でもありませんし」
憎らしいぐらい、わかり切った回答。
そんな二人を見つめ、短髪は皮肉な笑いを浮かべて立ち上がった。
「では、俺も行くとするか」
「ど……どこへ」
「仲間の中には家族を抱えて、都内で立ち往生しているものがいる。そいつらの避難を手助けするつもりだ」
「でも『石喰い』の卵が」
「だからだ」
きわめて冷徹に、同時に人間臭いふるまいで、元ゴブリンの男は告げた。
「俺にとっての優先順は、身内とその家族だ。魔王軍の同胞であり、数少ない、生きるよすがだからな」
みんないなくなっていく。すべての原因たちが、跡を濁したまま。
それを知っていて、俺には何もできない。
めまいがする。
忘れかけていた不安の種が、全身をしびれさせる。
「っは、はぁ、はっ、あ、ああ、あ、はぁっ」
「孝人さん! 落ち着いてください!」
「ったく、しょーがねーな」
いきなり腕をつかまれ、引きずられる。
行きたくない、行けるわけがない。踏ん張りがきかない、体が倒れて、それでも畳に爪を立てて、抵抗する。
「や、やめ、ろ」
「なんか呪詛喰らってんだろ? だったらなおさら、さっさとずらかろーぜ」
「いや……だ」
「あのなあ、いい加減にしろよ。お前」
噛んで含める様に、乱食いの歯をむき出しにして、黒い竜は叱責を吐いた。
「ここに残って、何ができんだよ! どこに埋まってるかも分かんねえ蟲の卵に、征服欲うずかせた大国のエゴ! そのどれか一つでも、何とかする方法があんのか!?」
「ないよ! 思いつかない! でもこれは、俺が引き金になったことなんだぞ!」
「でもよ、それを知ってるのは、ここにいるメンツだけだろ? つまりバックレても、問題ねぇってわけだろが」
首根っこを押さえつけられ、強烈な重さがかかる。
自分の体が、畳に沈み込んでいくような。
動きたいのに、指一本動かせない。
「お前が人間だったときでも、こういう事態はどっかで起こってたんだぜ? しかも、お前自身が事態を、取り返しのつかないレベルにしちまったこともな」
「そんな、ことは……」
「小倉孝人、中堅ソフトウェア開発会社勤務。その企業体質はブラック全開。典型的な搾取される側であり、搾取構造を『支えた側』じゃねーか」
グラウムの嫌みが、押さえつける『聲』が、俺を標本みたいに縫い付けていた。
まるで俺自身を捕えていた、社会そのもののように。
「自分の利益や生存のために、不都合な何かを『無視する』。よくある話だぜ? そもそもオレらには、いいか、オレらには、何の関係もない世界の話だろ! 違うか!? 模造人の小倉さんよ!」
そうだ。
俺はもう、人間じゃない。地球人じゃない。『小倉孝人』でさえない。
――でも。
「俺は」
ふいに、体に残る不安をもたらす、何かが『視える』。
か細く頼りない、過去から届いたよすが。そのつながりの先には、友愛と亡失と憤りを抱えたまま、俺の存在を待ち続けた人が、掛け続けた呪詛がある。
その本質が『視えた』。
『お前が、死ぬわけないだろ、孝人』
死という結果の否定。
「そんな理屈で――」
嫌だ、嫌だ、絶対に、嫌だ。
わかったような態度も、行き詰った状況も、誰かの都合で振り回されるのも。
だから俺も、否定する。
「――納得したくないんだよぉっ!」
齧歯が、食い破っていた。
縛る聲を、押しつぶす聲を、屈服させようとする聲のすべてを、否定して。
「ってぇえええええっ!?」
「ふざけんな、ふざけんな、ふざけんなああああああああああ!」
噛みつく。
顎の力いっぱい、太くて黒い、分厚いゴムのような弾力の肉を。
それが何だろうと、たとえ神であろうと、かみ、くだくために。
「いいかげんに、しろやあっ!」
抵抗は、あっけなく降り飛ばされた。なんかにぶち当たって、地面に転がる。
とたんに力が抜けて、金属音で鼓膜が満たされた。
「だからっ、神去は嫌だってんだよ! ああクソッ! 全部貫いてきやがって!」
「孝人さん!」
抱き起こされ、ようやく事態を確認できる。
俺の側にはしおりちゃんと短髪、しりもちをついた姿勢のグラウムのそばに、こっちを見透かすような表情をした青年。
「だから何だ! オレに喰いついたところで、なにが変わるってんだ!」
「神様だろ! 俺たちよりできることがあんだろ! 好き勝手やるだけやって、迷惑かけた責任ぐらい取って帰れよ!」
「ここは神去だ! 救ったところで、オレらに益どころか害しかねえ! それとも、なにかオレたちの得になることがあるってのか!?」
「でしたら」
いつのまにか、俺の頭から血が流れていた。
その部分にやさしく翼をあてがいながら、しおりちゃんは決然と告げた。
「わたしたちが、事態を変える方法を提出します。それに力を貸してください」
「……対価は」
対価って、ふざけんなよ。
財産どころか、着の身着のままの俺たちに、差し出せるものなんて。
「あります。いいえ、これから創出します」
「そう、しゅつって……なにを?」
「ありがとうございます、孝人さん。あなたのおかげです」
その感謝の意味は、分からない。
でも、彼女は何かを確信して、厳かに告げた。
「天界の四竜、そのお二方に、わたしたちの『価値』を、証明します」




