26、大怪獣現る
東京に怪獣出現。
その文字列に、日本は悲鳴を上げていた。
すべてのテレビ局が、現場情報や日本各地の状況をわめきたて、あらゆるネットのサービスが過熱、まともに機能しなくなっていた。
『現在、ネットへのアクセスが集中し、全国規模での通信障害が発生しております。緊急性を要しないメールやSNSサービスの使用は、お控えください』
黒服の一人が持ち込んだラジオから、ネットの使用制限を呼び掛けるアナウンスが繰り返されている。
「マジかよ……」
正直、あのバケモノの生存は気になっていた。川に逃げた後、死体どころか姿を現したなんて話も、一切聞いていない。
そもそもなんで、あんなバケモノが、あそこまで巨大になるまで気づかれなかった。
「石喰いってのは臆病な性格で、砂や土掘って隠れ住んでんだよ。あとは保護色的なもんで、身を守る。普通は石やミネラル的なモンを食ってる」
「的なものって、大雑把だな」
「しょうがねえだろ。オレは生物学者じゃねーんだから。で、成虫になると、結晶を主食にするようになるんだわ」
そこで、しおりちゃんは納得してうなづいた。
「孝人さん、グラウムさんと戦った時、結晶を使いましたよね?」
「……ああ! こいつのバイクふっとばした時!」
「そういや、それもあったか。……慰謝料どうしてくれっかな」
聞かなかったことにして、俺は変わり映えのしないテレビに視線を移す。
巨大な怪獣は、広々とした公園に体を横たえ、身動き一つしない。
「喰いすぎ太りすぎで動けない、ってことですかね、グラウム先生」
「そういうイジリしてくっと、かじり取んぞ? ……まあ、大方寿命だな」
寿命?
その言葉を聞き返そうとしたとき、画面が切り替わる。
甲高いローター音をBGMに、眼下の光景を写し取ろうとする取材班の光景。
『えー、わたしたちは現在、お台場で身を横たえる怪獣を、目視できる位置まで接近しております!』
それまで身動き一つしなかった『石喰い』が、異物の侵入に反応して首を持ち上げる。
『おそらく、わたしたちとの距離は五百メートル、といったところで――』
『――そこの取材ヘリ! ここは避難区域に指定されている! 直ちに離れなさい!』
暗緑色に塗られたもう一台のヘリ――おそらく自衛隊機――が、警告を放ちながら空域に割り込んでくる。
それまで以上の騒音に、怪獣の口が、大きく開かれた。
「――あ!」
閃光。
テレビ画面が白飛びし、ノイズが走り、遠く聞こえる悲鳴。
誰かが手早くチャンネルを切り替えると、体勢を崩しながら斜めに滑っていく報道ヘリの、やけにゆっくりとした動きが流れ。
『しばらくおまちください』
の、無機質なテロップが、映されるだけになった。
「バカな奴ら」
呆然としていた俺たちの耳を、皮肉たっぷりの黒饅頭の声がやすった。
「テメエを、特撮番組のキャラと勘違いでもしたか? いい画を撮る役が死ぬはずがないって? 危険手当つけてもらってたかも、怪しいもんだ」
「直撃を喰らった様子はなかったし、機体の立て直しも試みていた。墜落場所が海なら、生存の可能性もあるだろう」
短髪はさすがの分析力で、状況を評していた。
そういや、自衛隊機の方はどうなったのかな。マスコミの方は自業自得だけど、あっちは仕事だからな。
十分ほどの中断があって、すべての報道番組から一時的に、現場映像が消えていた。
あとは淡々と、周囲への避難勧告と現場付近への接近禁止が、政府から正式に通達されたということが告げられるのみ。
「どうすんだよ……これ」
俺のうめきに、答える声はない。
まさか、こんなことになるなんて。いや、どうしてこんなことに。
「……魔王城のゲートは、緊急起動用として、澱聲結晶を利用する仕組みを備えていた。お前らが偶然作動させたゲート、奴はそれを『食い物』と思い、襲い掛かった」
「『石喰い』に目はねえ。振動や波長、後は臭いで理解する生き物だ。栄養たっぷりの結晶にかぶりついたと思ったら、知らねえ場所に飛び出した、ってとこだろ」
状況証拠から組み立てられる、事件のあらまし。
でも、そんなことが分かったところで、何の意味もない。
「あいつのこと、寿命って言ってたけど、本当か?」
「本来の図体より、でかくなりすぎだ。それと、毒が効いてる」
「毒って……神去の毒!?」
「神、悪魔、超常の者、そして怪物。そういう一切を殺すのが、この世界ですから」
そういや、ヘリがやってくるまで、あいつはほとんど身動きもしなかった。
腹がいっぱいで眠くなってるとかじゃなくて、この世界に殺されかけてるからか。
「いきなり知らない場所に出たと思ったら、周囲は毒まみれで。それでも必死に、生きようとしてたってことか……」
「そういうことだろうなー。持って一週間ってとこか。これにて一件落着ってこった」
菓子パンをかじりながら、黒饅頭はテレビを消した。
「臨時国会が召集され、国を挙げての対策会議が絶賛開催中。んで、会議が踊りまくってぜんぶ先送りー。その間にあいつの寿命が尽きて、ってオチさ」
「何事も決められないと言われる、日本国の体質が有利に働くときですね。その後にやってくる『あとしまつ』は、問題だろうが」
「そこでも関係省庁が大いに揉めるだろうさ。そういう国だ」
異世界住民の皆さんの痛烈な評価を聞きつつ、俺はほっとしていた。
偶然と事故が重なった結果とはいえ、こっちに災禍を呼び込む結果になった。
どう責任を取るかなんて、思うことさえ難しい規模に発展したけど、これなら。
「すみません、グラウムさん。質問をよろしいですか?」
しおりちゃんは手元のメモから顔を上げて、真剣な表情をしていた。
「『石喰い』のライフサイクル、特に繁殖の仕組みと繁殖地について、教えていただけますか」
「へ……? ……あっ」
おい、なんだその『あっ』は。
「おいゴブ公。あいつの全身像、見れるか?」
「ちょっと待て。これでいいか?」
「……ああ~、だめだぁこれ、卵産んだ後だぁー」
な。
「なんですとおおおおおおおおおおおおおおお!?」
グラウムの太くて黒い指が、スマホの画面を拡大し、巨大な胴体の先端に映えた、逆棘の部分を示す。
「十分な栄養がたまると、この部分がこうなる。んで、暗い穴蔵へドリルみたいにねじ込んで、卵を産むんだ」
「く、くらい、あなぐら……」
「東京都心から港湾部に至るまで、数百の取水口や排水口、つまり『暗い穴』があるはず……ですよね」
「ちなみにー」
聞きたくない聞きたくない。
そんな俺の意思を無視して、黒饅頭はにこやかに告げた。
「一度に産む数は千や二千じゃ効かねえ。んで、子供はみんな肉が好き」
「いやああああああああっ!」
「いつ頃、排卵したかは特定できますか? 孵化までの時間は?」
質問に返された言葉は、力ない皮肉にまみれていた。
「知るかよ。俺は連中の助産師じゃねーんだ」
俺はリモコンをひったくり、テレビを付ける。
相変わらず、スタジオ内の映像ばかりだったが、変わった部分が一つ。
画面上部の緊急速報。
「『日本領海付近に艦隊が接近中』……?」
その時、宿の上空を、金属音を響かせて何かが飛ぶ気配がした。
いつのまにか、空は晴れ渡っている。
みんなが窓に走り寄り、飛行機雲を後に引いて飛翔する、数機の機影を見た。
緊急発進していく、航空自衛隊だ。
「終わりだな」
陰鬱に、短髪はすべてを評した。
「この国の、終わりの始まりだ」




