16、とっちらかって、はね飛んで
「もうしわけ、ありませんが」
膠着した俺たちを解きほぐしたのは、蚊帳の外にいた少女だった。
「一度、窓とカーテンを、閉めさせていただいて、よろしいでしょうか」
「え……?」
返答も聞かずに、彼女はガラス戸を閉じ、カーテンを閉めた。
「わたしたちは、やむにやまれない事情で追われています。ただでさえ、この容姿では目立ちますので」
「あ? あ、ああ……」
毒気を抜かれた男は、俺から体をどかし、その場に座り込んだ。
それから、暗い声で告げた。
「なにしに来た」
「それは」
「その姿はなんだ」
「これは」
「どうして、あんなことした!」
どういう理由か、こいつは俺を、俺だと認めたらしい。
いや、この異常事態に対して、自分に都合のいい物語を、導き出しただけかもだが。
「話せば、解放してくれるか?」
「なんでだ!」
「なんでって……」
「なんで、逃げようとするんだよ!」
らちが明かない。
ともかく、何をするにせよ、こいつを落ち着かせてからだ。
「事情を、全部話す。信じるか信じないかは、お前次第だけどな」
それから、俺は目の前の男に、これまでの話をした。
死んで生まれ変わり、異世界の住人になったこと。いくつもの冒険を重ねて、その時のアクシデントで、地球に転がり出たことを。
「そんで、昨日の晩。ようやくここにたどり着いたんだ。まさか、部屋の中身がほとんど俺の住んでた時と、変わってないとは思わなかったけど」
「今は、俺の部屋だ」
「は?」
充は不機嫌そうに、返事をする。
「無理言って、契約を引き継いだ。おやじさんとおふくろさんも、了承済みだ」
「なに、やってんだよ。お前」
「お前が! 帰ってくる場所だからだろ!」
その顔には、怒りと狂気があった。
まるで、俺が何かの仇みたいに、にらみつけてくる。
「お前が起きて! 目を覚まして! 帰ってくる、場所だったから!」
「な、なんで、なに、考えて」
「お前が、なにを考えてたのか、知りたかったから!」
再び、充の顔が、涙で崩れだした。
「知らなかった。知らなかった。繋がれなかった、手紙も、メールも、電話もだ! 繋がれなかった間、お前がなにをやってたのか、全部、調べたんだ!」
荒々しく立ち上がると、部屋の奥にある押し入れをあけ放ち、そこに詰め込まれていた段ボールを、投げ落とす。
その中から、何かの紙の束をつかみだした。
「お前の勤めてた会社も、その業態も、やってた違法行為も、全部全部調べて!」
「み、みつる……」
「お前の、就業、状況も、ぜんぶ、調べて、聞いて」
それは、探偵事務所や労働基準監督署の書類。俺の勤め先や取引先を巡り、俺と俺たちに向けられていた『仕打ち』を調べて、まとめたものだった。
「言ってくれたら、話してくれたら、俺に会ってくれたら!」
「でも、俺は、お前を」
「そんなに、嫌だったのか! 俺が!」
そのすさまじい憤激を見て、俺は逆に、冷めていた。
こいつは、こういうやつだったと、遅まきながらに思い出した。
「お前には、関係ないよ」
「孝人……!」
「いや、違うな」
ため息をつき、言い残していた言葉を、思い出してかき集めた。
「悪かった。俺はお前に嫉妬して、つれない態度を取った。個展の手紙は貰ってたよ。でも、今更行けると思えなかった。負い目もあったし、仕事で一杯一杯だった」
これで、ようやく全部終わる。終われる。
「心配してくれてありがとう、充。勝手に死んで、悪かった」
言い切ったとき、俺は、驚愕した。
目の前の友人が浮かべた、憎悪の表情に。
「……うそつき」
「え……?」
「うそつきだって、言ったんだよ!」
荒々しく、キャンバスに叩きつけられる油絵の具のように。
白く虚脱していた男の顔に、憤怒が塗りたくられていた。
「思ってもいないくせに! そんなこと、思ってもいないくせに!」
「な、なに言ってんだよ! 俺は、本当に!」
「うそだ! 今のお前は、うそを言った! なにひとつ、本気で思ってないくせに!」
勘弁してくれ。
まさかこいつ、精神に異常が――。
『おいっ! さっきからうるせーぞ!』
荒々しく、ドアが叩かれる。
そういやここに来てから、ドタバタ組み合ったり、充が一方的に叫び散らしてるから、付近住民から苦情が来てもおかしくない。
再び、誰かがドアを叩く。
『いい加減に出て来いやゴラァ! でないと、このドアブチやぶっぞクソが!』
いや、違う!
このアパートの住民に、こんな風な態度を取るタイプの住人はいなかった。
「み、充。出るな!」
「……なに?」
立ち上がって、玄関に行こうとしていた袖をつかむ。
顔をこわばらせて、しおりちゃんは窓ガラスの方に視線を向け、首を振った。
「お前が、なにに怒ってるのかはわからない。でも、こっからは命の危機があるんだ」
「命って……なにを」
『――えー、あっ、そうなん? 分かった、りょーかい。ったく、めんどくせー』
外の奴の口調が変わる。
間違いない、この特徴的なしゃべりと、声の太さは――。
「つーことで、紳士的にお話し合いしましょ、模造人ちゃんよ?」
いつの間にか鍵を開け、窮屈そうに入り口を抜けてくる、分厚いデブ男。
しかも、
「同僚がご迷惑をおかけしたようで、申し訳ない」
何気ない調子で、からりとベランダのガラス戸を開けて、部屋に入る人影。
癖のない黒髪と、切れ長の目。
すらりとして背の高い、モデルかと見まごうスーツ姿の青年。
問題は、腰のベルトに剣帯を掛け、日本刀を帯びていることだった。
「無用な抵抗は止めてください。特にそこの雌型の個体、あなたの能力は、後始末に苦労しますので」
マジかよ!
デブ野郎だけならともかく、援軍とか。しおりちゃんの分析からすれば、こっちの優男も見た目だけで、中身はえげつない化け物のはずだ。
「な、なんなんだよ、あんたら!?」
って、止める間もなく充が俺たちの前に進み出てる!?
「なんだお前、こいつらの仲間? セーフハウスの管理人って感じでもねーけど」
「俺は、ネズミの方の友達だ!」
「ばっ、か、充!」
入ってきた二人組はぎょっとした顔になり、俺たちをなぶるように見つめた。
いや、本当に『なぶられた』感覚がした。
例えばそれは、そうだ。
ジョウ・ジョスに喰われたときと、同じような、こちらを根こそぎ舐り上げるような感覚だ。
「おいおいおいおい! マジかよこいつら! 中身は、地球人か!?」
「単なる不審火かと思えば、とんだ火薬庫だったとはな」
余裕の雰囲気は消し飛び、二人の目が怪しく輝く。
それは、黄金色に燃え立つ、異形の虹彩に変化していた。
「こいつら捕まえれば、魔界の動きも、ちっとは分かりそうだ」
「速やかに片付けるぞ」
今度こそ、終わりか。
この狭い空間で、こいつらの動きだけを封じる方法なんて。
――いや。
俺は目の前の『無駄にデカい連中』を、見上げた。
「分かったよ。諦める、抵抗しない、だから、こいつだけは見逃してやってくれ」
俺は棍を下ろし、充を顎で示す。
それからしおりちゃんに視線を投げ、肩をすくめて見せた。
「こうなったら、この前決めた、方針通りにしよう」
「おい、余計なことくっちゃべってんな」
意外と目ざといデブが、嫌そうに顔をしかめる。
優男の方も、胡散臭そうに俺をにらんだ。
「現状認識の共有ぐらい許してくれよ。あとで揉めたら、あんたらも面倒だろ」
「十秒だ。それ以上は許さねーぞ」
俺は祈るような気持ちで、しおりちゃんに告げた。
「お客さんに、フトン出してあげて」
異常を直感した二人が、恐ろしい速度で動く。
でもな、それでも遅い。
『実はわたしの能力って――』
突然、狭い六畳間の天井に、魔界の植物が生え広がった。
『――無言で発動できるんですよ』
それはいつかのディナーの時に聞いた、笑い話。
彼女の能力は、魔法じゃない。
つまり、いつもやっている詠唱のようなあれは、紡の技名と同じ、ただのカッコつけだってことを。
「来い!」
俺は充の手を引いて、走り出す。
その背後で、ハネブトンに飲み込まれた二人組が絶叫していた。
「まさか、こんなものをっ!?」
「ふっざけんなああっ!? オレは喰う側であって、喰われる側じゃねーっ!」
めきめきと、何かがへし折れていく音。
それを一切無視して、玄関を飛び出して、走る。
「な、な、なんだ、あれっ!?」
「こうなりゃ一蓮托生だ! 絶対俺らから離れるなよ、充!」
階段を駆け下り、往来に出る。
立ち並ぶマンションと民家の間の細い車道。時間的には昼前ぐらい、人影は全くない。
「く、車とか、持ってないか!?」
「持ってない! 機械は苦手だっていったろ!」
「相変わらずか! ったく! これだからアーティスト様は!」
仕方ない、とにかくここまで乗ってきた自転車のとこまで――
「っ、ざ、け、ん、なゴラァアアアアアッっ!」
ずどん!
いきなり肉塊が、道路に降ってきた。
アスファルトにごついブーツの痕跡を刻んで、怒り心頭のデブがこっちを睨む。
「本当に、勘弁してください」
ふわり。
重さを感じさせないまま、地上に降り立ち、抜き放った切っ先を突き付ける優男。
ハネブトンの拘束も、こいつらには通じないってのか。
今度こそ打つ手なし、万事休す。
そう思った時。
『手を引け天竜ども! それは我らが得るべき『遺産』だ!』
荒々しい、銃撃の響き。
優男が飛びのき、デブの頭が、血しぶきを上げて吹き飛ぶ。
その響きに聞き覚えがあった。
柑奈が好んで使う、対物狙撃銃の一撃。
方向と角度から、たぶん近くのデカいマンションの上からだ。
「これが最後のチャンスだ! 我らとともに来い!」
それは小路の先に勢いよく停止した、一台のセダンタイプの車から届いた声。
もちろん、迷う気はなかった。
「来い、充!」
少しためらった後、充は一緒に走り出す。
「ま、まちやが」
陰々と、大口径の銃が咆哮を上げ、デブ男も頭を押さえて物陰に身を隠す。
「いいぞ! 出せ!」
助手席の男が叫び、車が動き出す。
見慣れた街の景色が遠ざかり、広い国道を抜けて、高速道へとつながるジャンクションへと入っていく。
例の二人は、追ってこないようだった。
「ようやく、接触できたな」
助手席に乗っているのは、どうということのない中年男性。
短く刈り揃えられた黒髪、ダークスーツ。目元を隠すサングラス。
それでも、俺の磨き上げられた目で『視れ』ば、そいつの正体は明らかだった。
人の姿に収まった、ゴブリンの魂。
「聞かせてくれ。お前たちの背負った使命を。そして」
そいつはグラスを外し、真剣な表情で問いかけて来た。
「『魔王』様の、最後のお言葉を」




