2、魔女の家
「すみません、ちょっと片付けますね」
苦笑しつつしおりちゃんは、いそいそと働き始める。
それにしても、本当に魔女の家って感じだ。
まず、部屋の中央に大きな鍋、と炉のようなものがあり、壁際に置かれたテーブルや戸棚には薬草らしいものや乳鉢、瓶などが積みあがっている。
それ以外にも、本やダンジョンから持ち帰ったガラクタの類が箱に突っ込んであって、足の踏み場もないほどだ。
きれいにしていない、というよりは、ひたすら物を詰め込んで、物の置き場所がないという感じだった。
「ど、どうぞ、ちゃんとした椅子が無くて、申し訳ありません」
いくつかの空箱を席替わりに出してくれたけど、まともに使えたのは俺と柑奈だけ。
紡はもちろん、文城のお尻には耐えることができなかった。
「ほんと、いつ来ても魔女のおばあさん家みたいだね」
出してもらったお茶を含みながら、柑奈がつぶやく。
確かに、外観といい内装といい、本当に魔女の家みたいな構造をしていた。
「そうですね。はじめはただの戸建てだったんですけど、山本さんに相談したら、こんな感じにしていただいて」
「……あのヒト、時々そういうお茶目なことしてくるよなぁ」
「あれ? この家って、維持費はどうしてるんだ?」
紡の質問に、少し誇らしげな顔で、しおりちゃんは表の植物を指示した。
「EAT UPやインスピリッツの試験農場にわたしの植物を移植したり、水資源の回収やマテリアルの提出で、それなりに副収入があるんですよ。あとは、グノーシスで、指導員も受け持っていたので」
「ものすごく多才だ。しおりちゃん有能すぎる」
「なんだかんだ、ギフテッドの引きって大事だって実感するわー」
お前が言うな、と柑奈に突っ込もうとして、俺は考えを改める。
実はうちのシーカーズ、総じてギフテッド運がいい。
使いにくいと思われている紡の力も、厄介な廃棄物の消去や、肉獄の敵に刺さる能力だから、更新失敗で追放なんてことは、まずありえない。
文城の弁当、柑奈の雑誌/弾倉、しおりちゃんの植物、そして俺の鉛筆。
俺が、駆け出しの冒険者としては、破格の『バレットチャージ武器』を使えるのも、副収入で多少無理が効くからだ。
だとすれば、これ以上足踏みするのは、もったいない。
「明日以降、時間を調整して、十一階以上の塔攻略に入ろう」
俺の提案に、みんなは気遣うような表情を見せた。
その反応へ、俺はベストの内ポケットから、小さな紙袋を取り出す。
三根医院の名前が入った、薬袋だ。
「三根医院でも、お墨付きをもらってきた。今後は異常があったときに使えばいいって。経過観察も、文城にやってもらってるんだから、問題ないだろ」
「……まあ、最近は毛並みもいいし、見た目は信用してもいいかな」
「だからって、まだ戦闘はダメだからな。そもそも、孝人が無茶して戦う必要はないんだしさ」
「そうだよ」
一同の中で、一番心配そうな顔をしていた文城が、俺の肩に手を置く。
「無理しないで、いいんだからね」
それは、あの忌々しいキツネの模造人と話して、しばらくたったころのことだった。
だしぬけに、それは襲い掛かってきた。
眠れない。
それだけじゃなく、意味もなく、怖い。
『どうしたの、孝人』
かけられた文城の言葉さえ、強烈な不安感が沸き上がって、落ち着かなくなった。
立っていても、座っていても、ざわざわ、もやもやとした不安が、止まらなくて。
胸のあたりに不安がこびりついて、息をするのさえ、辛くて。
結局、その奇妙な発作は、明け方になるまで続いて、消えた。
『……更年期障害、に近い気もするが、そういう不安症は、この街の連中はよく抱えてるからね』
三根先生の問診を受けて、俺は睡眠薬や安定剤を貰い、その時はそれで終わった。
だが、
『う……あ……』
今度は、白い部屋の夢を、頻繁に見るようになった。
どこかの病室で寝かされている、俺の元の体を。
夢を見るたびに、不安症は重くきつくなって、まともに寝れない日々が続いた。
『"帰巣転生症候群"。専門の病理学者がいない世界での与太話。オカルトとの付き合いは、現代医療の厄介な問題だが、要観察だね』
それから俺は大事を取って、日常生活を送るにとどめ、刺激から身を引きはがすようにやってきたわけだ。
「今日の勢子役もこなせたし、後は塔に入って、問題がなければってことで」
「でも、ホントよかったよ。一時期、文城めちゃくちゃ落ち込んでたからなあ」
「……うん。治ってくれて、うれしい」
それから、俺たちは持ってきたハネブトンを大鍋の上に乗せ、火をかけるところまで手伝った。
「残りは、クリスさんのところへお願いしますね」
「まかしといて。それじゃ紡ぞり、GO!」
「犬じゃねえって! それに俺でも二台は無理だっての! 文城、そっちのを頼む!」
去っていく三人を見送ると、俺は家の中に引き返した。
「そうやって火にかけて、中から水が漏れるのを待つわけか」
「ハネブトンが締め付ける機構は、熱でほぐれるんです。あとは隙間からこぼれたものを煮沸消毒するわけですね」
これで今日の仕事はおしまい。
リハビリとしちゃ、そこそこいい稼ぎにはなったろうな。
「もうしばらく、水取りクエストを続けてもいいと思いますよ」
何気ない彼女の言葉。
その眼には、いたわりとは、少しだけ違う色が混じっていた。
「お医者様にお墨付きをもらってても?」
「三根先生は、科学的な立場でおっしゃってましたが、わたしたちの見解は、少し違いますので」
「……オカルトなんて迷信だ、なんて、切り捨てられなくなっちゃったからなあ」
しおりちゃんが属していたギルド『グノーシス魔界派』は、魔界と呼ばれる世界で、魔法の力を見出そうとする一派だ。
その試みは現在成功しておらず、『光の種子』と呼ばれる、ジョウ・ジョスから与えられた特殊なギフテッド持ちが『魔法のような力』を使えるだけだった。
「孝人さんは間違いなく『前世とのつながり』が切れていません。そういう『色』が、見えていますから」
「……それっていわゆる、オーラとかってやつ?」
「そう、ですね……」
あ、まただ。
いきなり簡単な答えに飛びつこうとする無知の輩に、どうやったら神妙不可思議な世の理を解説できるかって、悩んでいる顔。
「孝人さんは、『共感覚』という言葉をご存じですか?」
「……あ、あー、ごめん、なんかどっかで、聞いたことある気がすんだよな。シュルレアリズム関連、だったっけ?」
「そうですね。近現代のアートや、ドラッグカルチャーとも結びつきがあると、美作さんが仰られていました」
美作、あのデブ狐か。
そもそもあいつが、俺にクソろくでもない話をするから、あの夢を意識するようになったんだからな。
「本当におおざっぱに、わかりやすい部分だけを言えば、わたしたちの受容器官に発生する『ありえざる感受』を、指す言葉です」
「……ごめん、かみ砕くより、例を表現してくれた方がいいかも」
「では、孝人さんは『色の味』を味わったり『色の音』を聞いたことはありますか?」
そのヒントで、俺は膝を打った。
「それだ! 目にしたものから、本来は感じるはずのない刺激を受けるってヤツ。共感覚持ちが、独創的な作品を創るとかって話もあったっけ」
「ええ。そこで思い出してください。わたしたちグノーシスが行っている研究、『聲』の理解について」
聲ってのは世界を現す根源的な要素であり、それを知ることで一切を操ることができるって話だ。
だが、俺たちが使ってる言葉は『表象』と『意味』が乖離していて、聲から遠くなってしまった。
その本質を知るために、グノーシスの連中はいろいろ研究して――
「――まさか、その共感覚を利用して、聲をつかもうとしてる?」
「その通りです。もし、共感覚によって『聞いた』ものが、その本質に迫るもの、すなわち『聲』だとしたら? ということです」
なるほど。
グノーシスも、ただのインチキカルトってだけじゃないんだな。
まあ、その組織の維持のために、転生者の過去をほじくって、自我境界の揺らぎに付け込んだりするから、完全にアウトなんだけどネ!
「で、その研究は、どうやって?」
「様々な宗教における瞑想法や、六十年代以降のアメリカにおける、ドラッグカルチャーが、深く研究されました」
「なるほど瞑想と…………なんて?」
「ですので、精神に作用するやくぶ」
「ダメエェェェエッ!? なんでそこでヤクの話ィ!?」
って、言ってて思い出した。
シュルレアリズムや、サイケデリックアートの『発想元』の一つ。
インドをはじめとするアジア諸邦から、ヒッピーの皆さんが持ち帰った『東洋の神秘』が果たした役割を。
「えと、しおりちゃんは、そのぉ……」
「わたしが参加した時点では、行法もかなり洗練され、薬物の使用は行われなくなっていました。もっと有効な方法が開発されたので」
「それは、どんな?」
「結晶に精神を投影する瞑想法で」
「それはそれで、なんかダメな奴では?」
結晶ってあれだろ、見つめているだけで精神に異常をきたすとかなんとか。
やっぱ、オカルトとは相いれんわ、俺。
「結晶瞑想法は、導引者と瞑想者に分かれ、連想法や呼吸法を組み合わせ、意識のスイッチを切り替えること主眼に行われます」
「う、うん?」
「元々は、日本の交霊術をベースに、禅宗の瞑想における魔境の判定などを参考にして」
「あ、あー、ごめん! さすがにそれ以上は、聞いても分かんないから!」
しおりちゃんの方も心得ていて、話題の先を切り替えてくれた。
「そういった修行を経て、わたしを含めた修行者は『霊的知覚』と呼ばれるものを獲得しているんです」
「それで、俺の状態をチェックしてるって?」
「そうですね。孝人さんは、他の『帰巣転生症候群』の方々と同じく、魂魄と思しき要素が、減少しています」
減少ってことは、俺の魂は向こうに引っ張られてるってことか。
その疑問にしおりちゃんは、少し憂鬱そうな顔で告げた。
「実際、こちらに来て二年以上経った方の中に『帰巣転生症候群』を患っている方は、いらっしゃいません」
「たいていが自殺してる、って美作氏は言ってたな」
「生き残っておられる方は、『寝ている自分』の夢を見なくなります。そして、魂の質量も、人並みに『回復していました』」
つまり、向こうにいる自分の肉体が、死んだってことか。
「俺の場合も、薬で精神のケアをしつつ、地球でまだ生きてる体が、死ぬまで待つしかないってことだね」
「……申し訳ありません」
「いいよ。なんとなく、わかってたから」
その時、鍋の上にかけられていたハネブトンが音を立てて裂け、中の液体が勢いよく注がれた。
それはまるで、俺の『体』が裂け破れて、中身がこっちの体に注がれるのを、意図したような構図だった。
「あとは煮沸後に火を止めて、薬剤を投入。一日置けば処理は終了です」
「飲めるぐらいになったってこと?」
「これは庭木にあげるためのものです。飲めなくはないですけど、変な味ですよ?」
「さすが研究者気質。味も見ておこう、ってやつか」
俺たちは笑い、それから残された皮の始末をし終えると、外に出た。
「晩御飯、どうかな」
「そうですね。せっかくですので、ご一緒します」
さて、どうしよう。
あんまり遠くに連れてくと帰りが大変だし、かといって、しおりちゃんと食べるなら騒がしいダイナーや飲み屋は避けたい気がした。
「面白い店見つけたんだけど、そこでいいかい?」
「はい」
暮れかけた空の下、俺たちはぱちもん通りへと向かった。




