1、緑の狩場から
事務所の前に並んだメンバーを、もう一度見まわすと、俺は手にした棍を掲げて、号令をかけた。
「パッチワーク・シーカーズ、出発!」
そのまま、ビルに増設された下り階段を使って、裏通りに降りていく。
ギルド『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』の入っている雑居ビルは、今や結構な大所帯になっていて、二階と三階の部屋にもかなりの入居者がいる。
早朝出発や、深夜帰還もある冒険者稼業だし、ビル内を通るのは止めにして、山本さんや親方に頼んで、別の出入り口を造ってもらったんだ。
「そういや孝人」
「ん?」
先に地上に降りた、白オオカミの模造人、紡が問いかける。
「新しく、住む場所考えるって言ったけど、どこにするん?」
「ああ、それがなぁ」
ムーランの人口密度が上がってきたのと、いつまでも俺と文城で、安い宿泊所を占めてるのも悪いから、いよいよ独立しようということになったんだ。
「二人で内見してきたんだけど、良さそうなところは結構高いんだよ。戸建ての土地代は必ずプラチケで払わないとだし」
「なるべく、お店に近いとこってするとね、大変なんだ」
太ったハチワレネコの文城が、苦笑いしつつ歩き出す。
そういえば、文城と紡は身長も結構近くて、こうして並んでいるのを見ると、なかなか頼りがいがある感じだ。
両腕のごつい小手と防具も、すっかり体になじんでいる。
「いっそのこと、あんたも住んだら? リーダーのたちの家」
最近は、出向く場所に合わせて『擬態』を変更している柑奈。今日はサファリ探検のスタイルで、片手には象撃ち銃を装備していた。
「んー。でもなー、寝ぼけて火ぃ出したらやだしなー」
「今のところ、そういうことはないんだろ? だったら」
「今までもなかったから、ってのはダメだって、甲山の親方も言ってたぞ。騎士団長としても、安全確保できないうちは、行くつもりはないっ」
アホっぽいふるまいの裏に、強い責任感。とはいえ、いつまでも荒野で独りぼっちってのもかわいそうだし、なんとかしたいな。
「しおりちゃん、なにかいいアイデアない?」
チョウゲンボウの模造人、しおりちゃんは三角帽子の位置を直し、すまなさそうに笑った。
「紡さんの力については、わたしもいろいろ調べさせていただいたんですが……現状、どうにもならないとしか。お手伝いできなくて。申し訳ありません」
「いいって! それならまずは、完全結晶武器ゲットして、パワーアップするからさ!」
現在、紡は新しい武器を購入するための資金を貯めている。
この街にいる上級冒険者たちの、ほとんどが携える『完全結晶』と呼ばれる結晶で造られたものだ。
「でも、材料の結晶、Pの館で購入するとプラチケ三十枚はするって話なんだよなー。その上、加工代もいるしさ。マジでエンドコンテンツって感じ」
「いっそのこと、晶獄層に入っちゃった方がいいかもね。自分で掘り出した方が早いまであるでしょ?」
「かもなー」
雑談を交わしている間に、俺たちは南へ延びる大通りに出た。
そして俺は、すっかり明るくなりつつある空にそびえた、塔へと振り返った。
魔界の底の底にある模造の街、モック・ニュータウン。
そのランドマークともいうべき二十階建ての塔と呼ばれるダンジョンと、そのてっぺんで花弁のように広がった、四つの獄層を。
「あっ、リーダー! 前見て前!」
「……っ!? うあっ! ご、ごめんなさいっ!」
危うく、知らない誰かにぶつかりそうになり、謝りつつ脇に退ける。
背丈の小さいネズミの体は、こういうときも厄介だな。ヒトとの距離感を常に図っていないとならない。
タッパのデカいリザードマンを先頭に、塔へと向かう冒険者らしい一団。その中に、見覚えがあるような顔もあったけど、あえて引き止めたりはしなかった。
「ボーっとしてないでよ。朝の南大通りじゃ、踏みつぶされても文句言えないよ?」
「ごめん。まだちょっと寝ぼけてるみたいだわ」
実際、塔の南から延びるこの大通りは、他の方角の通りよりもヒトどおりは多い。
しかも、鎧兜に身を包み、武装した冒険者たちの姿が大半を占めていた。それを当て込んだ朝食を出す店や弁当屋も、忙しそうだ。
「ところでしおりちゃん、今日の目標は、予定通りで構わないかい?」
「初めての作業ですからね。焦らず急がずで」
やがて、俺たちの視界に、様々な色の葉を茂らせた巨大な森が広がっていく。
街中のビル群をゆうに超えるこずえの高さ。時々聞こえてくる、野生生物の鳴き声。
なにより、その周囲をきっちりとした板塀で封鎖し、大きな櫓が湧きだしてこようとするエネミーににらみを利かせている。
緑獄崩落の後の『南の森』は、俺が知っていた場所とは、すっかり様変わりしていた。
「すみませーん! 申請しておいた『パッチワーク・シーカーズ』ですが!」
「ああ! 小倉さんか! いいよ、今、門開ける!」
櫓の上から声が降ってくる。顔はわからないけど、たぶん甲山組の誰かだ。
仕掛けが動かされて、二つの櫓の間に造られた、重い木の門が上へと上がっていく。
素早くその向こうに抜けると、ちょっと荒っぽい音を立てて、門が塞がった。
「ベースは門付近に造ってくれ! あと、こっちからの支援が欲しいときは」
「赤玉上げて合図ですよね! 了解!」
門近くには、きれいに踏み固められた空間が広がっていて、火を起こしたり狩猟道具を置いておくスペースになっている。
そこから十メートル向こう側は、森の領域だった。
「相変わらず……匂いが濃いなあ」
ここに来るたび、感じる森の匂い。
単なる獣臭はほとんどない。その代わり、土から立ち上る湿り気に混ざった、苦みを感じさせる香りを感じる。
あるいは地衣類の胞子や、樹木からしみ出した脂の粘っこさ、その中に紛れて、酸味と甘みを混ぜたような香りもあった。
「アリ、だな。俺たちが来る三十分前ぐらい? その茂み辺りを通ってた」
臭腺の残された辺りを俺が指さすと、
「うむ! それじゃ、あたしはここで待機ね!」
「柑奈ぁ、お前、いい加減克服しろよ、蟲嫌い」
「三階は何とかなってるからいいじゃない」
「オレら獄層にも行くんだぞ? 緑獄どうすんだっつの」
そんな紡と柑奈のじゃれあいを横目で見つつ、俺たちは用意してきた道具を広げる。
丈夫で厚手の革袋。組み立て式のそり。フック付きのロープ。
「では、最初に適当な獲物の確保をお願いします」
「俺と紡で勢子役するから、しとめるのは任せたぞ?」
「なるべく、蟲だけは勘弁してよ?」
「善処する」
俺が先行し、紡がそれに続く。文城はベースの守備を任せ、柑奈の方は腹ばいになって狙撃の姿勢を取る。
しおりちゃんの方は、今後に使う細かい道具の準備に入っていた。
「紡、上頼む。下は俺が見てくから」
「あいよ」
俺は手にした棍を使いつつ、下生えの草や若木をかき分けて進む。
この森は、いたるところが危険地帯だ。
擬態した捕食生物、触っただけで毛皮ごと皮膚を犯す毒草、危険な病原菌をはらんだ吸血性の昆虫。
「この前、草刈したって聞いたけど、あっという間に生えてくるんだなぁ」
「周りの柵がなくなるの、もう少し先になるってさ。山本さんたちが、動物系のエネミーの対処を考えてるそうだ」
「ホント、オレも手伝えたらいいんだけどなー」
そんな俺たちの先に、きれいになぎ倒された痕跡が続いていた。
くぼんだ土の状態、折れた草木の香り、残された毛を確かめ、頷く。
「大きめのアラシシだ。多分俺の二倍くらい。紡、この跡を追ってくれ。俺は先回りして追い込みをかける」
「了解っ」
俺は獲物の残した獣道を大きく迂回するように、森の中を進む。今度は背の高い木々が増えていき、下生えが消える代わりに、影の部分が増えていく。
こういう場所は、頭上からとびかかってくるエネミーが増えるんで、あんまり通りたくないんだけどな。
おおざっぱな方角を図りながら、紡の移動音を聞き逃さないようにする。
そのまま少しだけ先行し、
「いた!」
茶色の毛皮で覆われた、イノシシっぽい背中。
でも、その体には足はなく、太い管のような胴体ばかりが目立った。
魔界の動物は、手足を持たないのが多い。おそらく、四肢を持ってしまうと、その部分がもろい構造になるからだ、という仮説が立てられていた。
アラシシは雑食性で、出くわしたものは何でも食べる。そのせいか、肉質も味もまちまちで、たいていは臭み抜きをしないと、食用には向かない。
今も鼻面で地面を掘り返し、地下茎みたいなものを貪っている。
「紡!」
俺は勢子役に声をかけ、そのままアラシシの進行方向に回り込んだ。
「うらあっ!」
手にした棍を突き出し、仕掛けを炸裂させる。
破裂した結晶の威力がアラシシの鼻面を砕いて、血をまき散らしながら来た道を戻り始める。
「うおっと!?」
突進をわきによけつつ、剣の切っ先でアラシシを小突く紡。
獲物を挟み込むように並走しながら、俺たちは森を駆け抜けていく。
「かんなぁっ! アラシシ一頭、頼んだぞ!」
加速していく獲物が、俺たちを置き去りに森の外へ飛び出して、
「――ヒット!」
乾いた銃声とともに、鋭いコールが飛んだ。
俺たちが駆け付けた時には、一発の弾丸で中枢神経を切断された獲物が、力なく横たわっていた。
「ありがとうございます! この大きさなら、これ以上の狩りは必要ないかと!」
「特に指定する部位がなければ、いくらか昼飯に回そうか」
「孝人、アラシシさばけるん?」
俺は道具入れに用意しておいた、解体用の道具を取り出した。
「すこし前の手伝いで、クリスさんから手ほどきぐらいは。んじゃ、昼飯と本題の準備に行くか」
幸いなことに、アラシシの解体はそこそこうまくいって、味自体も問題なかった。
昼食の後、しおりちゃんの指示で、残しておいた肉塊や内臓を持つと、俺たちはそのまま別の場所に移動する。
そこには、無色透明の水が、満々とたたえられた沼があった。
「う……っわぁ。これ全部、ミズモチかぁ」
「なんだろね、この。きれいなんだけど、実情を知ってると、薄気味悪くなるってやつ」
「時々、来たばっかりのヒトが、知らずに飛び込んじゃったりするって……」
「たちの悪い創作実話、って思いたいけどな」
水モドキ、あるいはミズモチ。
この世界の悪意を、そのまま形にしたような、魔界の環境生物の擬態だ。
目視不可能なレベルの微生物の集合体で、入った有機物を溶かし尽くしてしまう。
「では、今日の本題ですよ!」
そんな光景を目の前に、しおりちゃんはニコニコと、アラシシの『パーツ』の入った袋を取り上げた。
「このフックはいいとして、ロープの方は大丈夫なのか?」
「はい。駆虫薬を染み込ませた特別製ですので、そう簡単にはちぎれないかと」
血肉の詰まった袋をフックに引っ掛け、ロープで手繰り寄せられるようにする。
まるで、大物釣りの仕掛けのようなそれを、三本ほど用意した。
「では、なるべく遠くに投げ入れてください!」
「んじゃ、いくぜー!」
紡がぶん投げた袋が着水し、水面がざわっと、奇妙な波紋を広げた。
「行きます。舞え――ハネブトン!」
何もなかった虚空に、暗緑色の分厚い『座布団』のようなものが現れる。
それは肉袋を落としたあたりに舞い降りて、
ばくんっ!
肉の袋を巻き込み、多量の水を呑み込んで形を変えた。
「今です、引いて!」
俺たち全員でロープを引っ張り、丸々とした形状になった『ハネブトン』を、岸辺に引っ張り上げた。
その表面には、本来無数の棘があるはずだったが、ミズモチの腐食作用によって、つるりとした表面になっている。
「あとは、その袋に詰めれば、収穫完了です」
「すげーなしおり! こんな風に水取るとか、初めて見た!」
「では、残り二つもお願いします」
同じ作業を繰り返し、俺たちは水をたっぷり飲みこんだ『ハネブトン』を詰めた袋を確保していた。
「でもさ? このハネブトンって、中のミズモチに食い破られたりしないの?」
「ハネブトンの外皮に含まれた油脂成分が、駆虫薬の役目も果たすんです。その代わり、内側の捕食組織はミズモチに溶けてなくなり、ロープに含ませた薬剤によって、ミズモチも無力化されます」
そういや、柑奈が誘拐されたとき、しおりちゃんがためらいなくこの植物を生やしてたけど、こうして性質を熟知してたからなんだな。
俺たちは水入りハネブトンをそりに乗せ、そのまま森を後にする。
「これまでは、グノーシスの方々やクリスさんに助力をお願いしていたんですが。今後はパッチワーク・シーカーズの専売品にしてもいいのではと」
「水資源は、街の貴重品だしね。小さい食堂へ売るなら、このぐらいのサイズ感がちょうどいいかもだ」
「でも、このお水、ゆでたりしなくていいの?」
文城の疑問に答える様に、しおりちゃんは行く手に見えてきた一軒家を示す。
それは、魔界の木々を庭に生やした、独特な姿の家だ。
傘つきの煙突や、丸く縁どられた窓枠、キノコを思わせる形の屋根。
「詳しい話は中で、うちで休憩していってください」
そんな『魔女の家』の主は、笑顔で俺たちを招き入れた。




