第3話『従順なペット』
オレは犬飼順。勉強も運動もそこそこ出来る小学2年生だ。
そんなちょっとだけ出来るオレなんだけど、不器用な事がある。
「お、おはよう……」
「あっ、順くん。おはよう♪」
女の子にはめっぽう不器用なんだ。そんなオレでも好きな女の子くらいいる。学年のアイドル、名取千秋だ。
「そ、そういえばさ、もうすぐ学校のプール開きだったよな。千秋は泳げるっけ?」
「それが全然なんだよ。浮くのも出来ないくらいカナヅチでさぁ」
なるほど、千秋は泳げないんだ。
「あぁーあ、もし順くんみたいな人に泳ぎ方を教わったら、私も少しは泳げるのかな……?」
千秋がオレにきらきらした目で見てくる。こういうのは“あざとい”ってのを兄から聞いた。使い方がすごく難しい、女の子だけが使える特権さ。
「よ、よかったら今度の土日に教えようか?」
「いいの⁉︎ ありがとう順くん‼︎」
千秋が嬉しさのあまりその場でぴょんぴょん跳ねる。その時上下に動くランドセル、飛び上がるたびにフワッと浮き上がるふわふわっとした茶髪、そして女の子だけが持ってる甘い匂い。
オレはこういう名取千秋が、好きになっちゃった。
「オ、オレ、頑張って教えるよ‼︎」
顔をめっちゃ真っ赤にしながら、千秋に泳ぎ方を教えると誓う。すると千秋はオレに対し恋人っぽい笑顔を見せる。
「よろしくね、順くん」
ふと気が付くと、千秋がオレの手を握っていた。
柔らかい。暖かい。細い。もっと握っていたい。
「うふっ。そろそろ教室行こっか、一緒に」
オレはその日なんと、片想い中である千秋の手を握って登校するという、クラスの男子全員が悔しさのあまり泣き出す勢いで、とても幸福なひとときを独占出来たのだった。
「ねぇ順、聞きたい事があるんだけど」
「どうした、終一?」
掃除時間にゴミ出しをしてる最中、終一から話しかけてきた。
「今日ずっと嬉しそうな顔してるけどさ、何かあったの?」
「まぁね。終一が阿寒湖温泉へ行く土曜日にさ、オレは千秋とプールへ行く事になった」
「えぇっ⁉︎ 順が千秋と⁉︎」
「泳げないから教えてほしいって、お願いされてな。それでさ」
「羨ましいけど、僕には役不足だな。順みたいに泳げないし」
「しかも2人きりだ。あの口うるさい日向がいない、すっげえ最高の日になるぞーきっと」
「日向もいないって、それもはやデートじゃないかな?」
「はぁ、デート?」
「自慢出来るほどすごいよ、千秋とデート出来るなんて。順は気付いてないみたいだけどさ、男女2人きりで何処かに行くのはデートだよ」
「デートって…… 違うって、オレはただ千秋に泳ぎ方を教えるだけであって、デートしに行くわけなんかじゃ……」
「プールデートだよ。順がたとえその気じゃなくても、千秋はそう思ってるかもね」
「マジかよ、デートかもって想像してたら急に心臓バクバクしてきたんだけど……」
「そっかぁ、順だけなのかぁ」
「何がだよ?」
「プールと言ったら水着だよ。千秋の水着姿、見たくないの?」
「……………………」
「顔赤くしすぎだってば。気持ちは分かるけどさ」
そして放課後、オレにさらなる幸福が訪れる。
「ねぇ順くん、これあげる」
「ん?」
千秋から貰ったのは、キレイに折り畳まれた紙切れ。
「それね、私の家の住所と電話番号。土曜日になったら、一緒に2人でプール行こうね」
千秋と2人きりで、プール。それはつまりプールデート。
千秋の水着姿、か。はたしてオレは、真面目に千秋へ泳ぎ方を教えられるんだろうか?
「千秋とプール、か……」
頭の中が千秋でいっぱいになりながら家に帰ると、いきなり父親が飼ってる犬のペットが吠えながら迎えてくれる。
「うわぁ‼︎ やめろって‼︎」
オレは動物が苦手だ。犬には触れないし、猫は頭を撫でる程度しか出来ない。それなのにコイツはオレに対してすごくベタベタしてくるから困ってる。
「はぁー、災難だった」
「おかえりなさい♪」
「はぁ⁉︎」
部屋に誰かいる。ピンクのツインテールが目立つ、すっごく可愛い女の子が勝手に入っていた。
「はじめまして、私の名前はアニマ。キミの願いを叶える為はるばるやって来たんだ♪」
アニマがニコッと微笑むその姿にドキドキしてしまう。オレと同じくらいの背丈と顔立ちだからか、余計にアニマと千秋を重ねてしまう。
それとアニマと千秋がどことなく似てるから、千秋がコスプレをしてると言えば、アニマが千秋と似てる事に納得出来なくもないが。
だけど今のオレは千秋で頭いっぱいだから、あんまり冷静じゃないのは確かだ。
「ねぇねぇ、さっきワンちゃんに驚いてたよね?」
「そ、そうだよ。悪いか?」
「んー?」
オレのそばに近寄って首をかしげる。その時にほんのりと漂う怪しい女の子からフワッと女の子の匂いを感じ、ゾワゾワしてしまう。
「あらー? もしかしてキミ、私のことが好きになっちゃった?」
マズイ、気付かれた‼︎
「そっ、そんなわけ、ないだろっ‼︎」
ごまかしたつもりだったけど、余計に好きになったと自白するような答えをしてしまった。やっぱりオレって、女の子にはとことん不器用なんだなぁ。
「ごめんごめん、お詫びにイイものあげるから許して♪」
そう言いながらアニマが手渡したのは、動物の首輪。
「ペットリング。これを動物の首にかけると、アラ不思議‼︎ その動物はキミの従順なペットになってくれるんだよ‼︎」
「ペットに、か……」
たとえばライオンにこの首輪を付ければ、絶対にオレを襲わないって事だよな。そのライオンがペットになるんだから、火の輪くぐりも出来るんだよな。
「ペット……」
それにしても動物か。ウチの犬には既に首輪が付いてるから、コレを付けたらすぐ家族にバレちゃうなぁ。ホントはあの犬に使いたいけど、仕方なく諦めよう。
だとしたら、この首輪……
「……ッ‼︎」
ふとアニマとしっかり目が合った。そしたら突然、顔から火が出る勢いで焦りだす。
「ちょ、ちょっと‼︎ 私で試そうとしないでよ‼︎ それはあくまで動物用なんだから、人間相手には絶対に使わないで‼︎」
「ち、ちがう‼︎ 誤解だってば‼︎」
アニマは何かを勘違いしたのか、オレのペットにされるとばかり思ってたようだ。どうしてそんなサイコパスじみた異常過ぎる行動を、オレがすると思ったんだか。
「とにかく‼︎ 動物嫌いを克服するにはまず、相手の好意を理解する事からだから‼︎ “好き”って気持ちを無視しないで、しっかり向き合って受け止めないと。じゃなきゃ片想い中の女の子にもモテないぞー?」
ニヤニヤしながらオレの赤くなってる顔を見つめる。まさかアニマのやつ、朝からずっと見張ってたんじゃないよな?
「まぁアレだ。女の子は案外と恋してもどこか冷静だからね、早とちりには十分注意してね」
そう言い残してアニマが部屋を立ち去る。慌ててオレも部屋を出るが、そこにはもう誰もいなかった。
まさかアニマの正体は幽霊なのかと思ったけど、だったら足があるのはおかしい。じゃあ正体はオレ達と同じ人間って事なんだろうか。
それにしても、アニマとは簡単に喋れた。だけど千秋とはちゃんと喋れるかどうか。オレは女の子に対して不器用だと思ったけど、案外フレンドリーな子となら仲良くなれるのかもしれなかった。
「ついに、千秋とプールか……」
土曜日の朝からオレは興奮しっぱなし。終一の余計な一言が無ければ、もう少し落ち着いていられたってのに。
リビングでソワソワしながらも、千秋から貰った連絡先に電話をする。オレと千秋は母さんの車で体育館まで送ってくれるんだが、母さんは2人でデートしに行くと思って、ずっとからかってくるから早く離れたいってのもある。
「はい。名取だけど、順くんかな?」
「順だけど、プール行く準備出来たか?」
「うん。じゃあ外で待ってるからね」
千秋の声を聞いただけで、少し胸がザワザワする。
「……………………」
確かにデートだわ、この雰囲気は。
母さんの車に千秋が乗っている。オレは恥ずかしさで黙ってる間、ずっと2人で話し合っては仲良くなっていく。けどもしかしたらこういう付き合いがあとあと大事になるんだと思うと、聞き流すのは惜しいんだと思える。
「ほら見てよ千秋ちゃーん、順ったら顔赤くして目を逸らしちゃってる。女の子が隣にいて恥ずかしいんだよー」
「バッカ‼︎ 余計なこと言わんでいいから‼︎」
「えー、私思った事しか言ってなーい」
クソッ、母さんにはどうも強く言い返えせない。まだまだガキなんだな、オレってば。
「……うふっ」
「な、なんで笑うんだよ」
「順くんとお母さん、とっても仲が良いんだね」
「そうなんだよー、そろそろ反抗期来るかなぁって思ってるんだけど、ちっとも来る気配ないんだよねぇー」
さりげなく女同士の結び付きを目の当たりにしながらも、オレはこの空間が居心地良くなってきた。そうやっている内に目的地に到着し、お互い更衣室へ向かう。
「ついに、ここまで来たか」
あくまで千秋に泳ぎ方を教える為に来たんだ。デートは二の次、少しでも千秋と一緒にいられたらそれで十分幸福だ。
「この首輪、いらないよな」
アニマがオレをからかったお詫びとしてもらった、ペットリング。結局使いどころが無いので記念品になりそうだし、これから両親がさらにペットを増やす場面がない限り、使う日は訪れない。
かと言って部屋に首輪だけってのも、それはそれで不自然だが。
「……よしっ、行くか」
水着に着替え、千秋のもとへ向かう。その扉の向こうにはもちろん、水着姿の千秋が立っている。いったいどんな水着なのか期待しながらも、いやらしい目で見ないぞという“男らしさ”を真面目に心がけながら千秋を見る。
「うわぁ……」
そこに立っていたのは、天使だった。
「おまたせ。買って初めて着てみたんだけど、どうかな?」
オレンジ色に水玉模様が付いた、フリルタイプの水着を着て恥ずかしがる千秋が、どうしても天使にしか見えない。
ふいに“天使様”って呼びそうなくらい、名取千秋があまりにも可愛い過ぎる。
「似合ってる、すごく似合ってる‼︎」
「そんなに言われると、恥ずかしいってば」
顔を赤くして照れる千秋の姿に、オレも顔を赤くする。
「じゃあ準備運動して、それから教えてもらうね」
「任せて‼︎ 平泳ぎ出来るようにするから‼︎」
それからのオレは、千秋に泳ぎ方を真面目に教えた。
オレは何やってもダメな女の子より、ある程度出来る女の子が好きだ。だから千秋が泳げるようになってほしいし、最終的に泳げなかったとしても諦めず努力する千秋を好きになるかもしれない。
一緒にいた時間はたったの1時間ほど。それでも千秋は水に浮くようになったし、前にほとんど進まなかったけど平泳ぎが出来るようになった。その時見せた千秋の笑顔はこれから二度と忘れないだろう。
「いいぞ、その調子だぞ千秋‼︎」
必死になって泳ぐ千秋の首、背中、足。
もし千秋がオレの事を異性として意識してるんなら、どれだけ幸福なのだろうか。
「ねぇ千秋ちゃん、ちょっと寄り道するけどいいかな?」
母さんが突然帰りにゲームセンターへ立ち寄る。オレも千秋も母さんを見てると、いきなり千円札を2枚手渡す。
「もうちっとだけ、2人の時間を楽しんでおいで。向こうには黙っててあげるからさ」
「あ、ありがとうございます。順くんのお母さん‼︎」
千秋の手を取ってゲームセンターに入る。オレはクレーンゲームが得意だ、ここはいっちょ本気を出して500円以内で動物系のかわいいぬいぐるみをゲットしてやらぁ。
「そらっ‼︎ ゲットだぜ‼︎」
そして300円でクマのぬいぐるみを手に入れ、千秋に手渡す。すごく気に入ってもらったようで、ほおずりしている。オレがクレーンゲーム好きで良かったよ。人生得した気分だ。
「ねぇねぇ、コッチ来て」
「ん、なんだ?」
今度は千秋に手を引っ張られていく。そして辿り着いたのはプリクラコーナーだった。
「うわぁー、ここ女子が集まるトコじゃんか……」
「順くんと一緒に撮りたいんだけど…… 嫌だったかな?」
千秋の目がウルウルしている。これは少しまずいな、オレは無意識に千秋を傷付けたかもしれない。
「いや、ワリィ。決めつけは良くねぇもんな。撮ろうぜ、写真」
「ありがとう、順くん‼︎」
中に入って隣同士になる。もうここまで来たら本当の恋人同士にしか思えないほどの空気になってるが、それをあえて口にしないよう千秋に合わせる。
「それじゃ、撮るよ」
千秋と色んなポーズで撮影を楽しむ。手を重ねてハートを作ったり、顔をくっつけたり、加工したり。とにかく女の子ならではの楽しみ方をとことん体験出来た。
今後それがどう活かせるかは別だが。
「クソッ、千秋のやつまた……」
土日明けの学校で千秋は、いろんな男の子に話しかけていく。オレがいるってのに他のヤツなんかに話かけやがって。
分かったぞ。千秋はきっと男なら誰でも良いんだ。あの笑顔や仕草や愛嬌は、男全員にあげてるんだ。だから学年のアイドルになれたんだ。千秋はオレとの時間をデートだと思ってなかったんだ。
「おい、千秋」
「あ、どうしたの?」
「放課後、残ってくれるか?」
「……いいけど」
「お待たせ順くん。それで用事は何かな?」
「あのさ」
オレの怒った声で、千秋の表情が曇る。
「何でオレ以外の男と話してるわけ?」
「え、え……?」
自覚があるらしく、少し視線が泳ぎだす。そこへすかさずオレは言葉をたたみかける。
「しかもオレの前であんな顔しやがって、そうやって男達を誘惑してんじゃねぇよ‼︎」
「そんなつもりじゃない……」
「そんなつもりじゃないだぁ? 女は都合悪くなるとすぐ逃げるよな。何でもかんでも男のせいにしてさ」
「違うよ順くん、あれは私から話しかけてるんじゃ──」
「嘘だッ‼︎」
オレの怒鳴り声で、すっかり怯える千秋。その表情はきっと、オレだけが知っているんだろう。
「嘘なんかじゃないのに…… お願い、信じて……」
「もういい」
オレは千秋を押し倒して、馬乗りになる。
「千秋はオレのものなんだ。他の男と話しかけんじゃねぇ‼︎」
そしてオレが取り出したのは、アニマから貰ったペットリング。それを目にした千秋がみるみる青ざめていく。
「ま、まさかそれ…… 私に使うつもりじゃ……」
「あぁ?」
とても意味深な言い方に聞こえた。まさか千秋のやつ、アニマの存在を知ってるのか?
「順くん、お願いだから私を信じて。本当に向こうから話しかけてくるの…… 私は何もしていないんだって……」
いや待てよ、そういえば千秋はいつも日向と一緒にいたな。あいつからアニマの話を聞いたってのもあり得る。
最初はオレみたいに半信半疑だったんだろうな、千秋も。だけど今日の日向に関する話を先生から聞いて、アニマの存在をはっきりと信じてるかもしれない。
だって日向はもう、電車に飛び込み自殺してこの世にいないから。
「お願いだから、もうやめてッ‼︎」
「うぅッ⁉︎」
我慢の限界が訪れたのか、千秋は大声で喚きながらオレの金玉を蹴り上げる。その痛みは一瞬で全身に広がっていき、その場で激痛に悶えてる隙を見て逃げられる。
「クソッ、待てェ‼︎」
まだギンギンと痛む股間を押さえながら千秋の後を追う。見失わないよう必死に目で追いかけるが、少しずつ距離が遠のいていく。
「待てェ‼︎」
学校の外へ逃げて街中を全力疾走する千秋を、必死で追いかけていく内に痛みも引いてきた。本気で走ると次第に千秋との距離も縮んでいく。あともう少しだって所で横断歩道に逃げられる。
「待てって言ってるだろ‼︎」
続けて横断歩道に飛び出した途端、一瞬だけ身体に変な固いものがぶつかってきた。それはあんまり痛くなかったけど、いきなりフワッと浮き上がって空を飛ぶ。
「えっ?」
オレは車に撥ねられた。しかも車の色とナンバーからして、母さんの車だ。オレは母さんに撥ねられたんだ。
『ウソ…… 順くん……』
千秋がオレのもとへフラフラと歩み寄る。血溜まりなんか気にせず、その場で膝から崩れ落ちる。
「私のせいだ…… ごめんね、順くん……」
謝るな、オレが悪いんだ。
オレがくだらない嫉妬をするから、バチが当たったんだ。千秋は何も悪くないから気に病むな。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
オレの胸で泣き崩れる千秋。それもそうだ、もうほとんど心臓が死んでるんだ。今さら人工呼吸したって無駄なんだ。車に撥ねられた後、コンクリートに頭から直撃したし、ランドセルのせいで頭の骨だって折れてるんだ。
これで助かるくらいなら、死んだ方がマシだ。
「順くん、お詫びに受け取って……」
泣き顔のまま千秋はオレの口にキスをする。とても熱いくらいに愛情のこもった唇に千秋の涙が潤す。
「……………………」
死ぬ前に、最大の幸福をもらえた。千秋と仲直りして、キスまで出来た。もうオレはこれ以上生きてたら、千秋に迷惑かけちまう。大人になった千秋を見れないのが悔しいけど、先に天国に行ってるか。
千秋の人生を狂わした罪は、オレの人生で償うからな。