piece2:いい日旅立ち宝探し(3)
あれからもうしばらく歩いて、ようやく三人は村のような場所に辿り着くことができた。
ただ、一つ問題を挙げるのならば……。
「これって……」
「……嘘。そんな……」
「廃村、か……」
三人がやってきた場所は、かつては村として機能していたであろう場所だった。
つまり、今はしていない。
あちこちに民家こそ立ち並んでいるものの、そこに住む人はもういない。
「この様子じゃ、ずいぶん前に廃棄されたみたいだな。建物もかなり傷んでるし」
カインがそこまで言いかけたところで、唐突にイツキが走り出した。
荷物を丸ごと地面に放り出し、一直線に駆けていく。
「お、おい!?」
「カインさん、追いかけましょう!」
アリスに促され、カインはイツキの放り出した荷物を拾い上げて後を追う。
ほとんど舗装されていないあぜ道の上を、イツキはわき目もふらずに走り抜けていく。
何度も角を曲がり、隙間のような細い道を抜け、やがて一見の民家の前でぴたりと立ち止まる。
「…………」
大きく肩で呼吸しながら、イツキは目の前になる今はもう誰もいなくなった民家を見上げる。
「……やっぱり、ここは……」
ぽつりと呟いた直後、曲がり角からカインとアリスが揃って顔を覗かせた。
「イツキさん、どうしたんですか!?」
「お前、いきなり一人で走り出したりするな! ……おい、聞いてるのか?」
「……あ、その……ごめん、なさい。ちょっと、気になることがあって……」
素直に謝ったまではいいが、カインの目には逆にそれが違和感に映る。
イツキから視線をはずし、その隣にある無人の民家へと目を向けた。
当然のように人の済む気配はない。
真昼間だというのにカーテンは全て閉め切られているし、玄関付近にも最近になって人が出入りしたような形跡も見当たらない。
門柱には表札が張り付いていたが、そこに書かれていたであろう文字はすっかり色褪せて読めなくなってしまっている。
だがそれでも、何となくこの家の持ち主だった人物がイツキとかかわりのある人物だということは分かった。
「……知り合いの家か?」
カインは率直に聞いてみる。
「……はい」
「……そうか」
カインはそれ以上何も聞かなかった。
アリスはぼんやりとその家を眺めて、不思議と悲しそうな顔をしていた。
「とりあえず、どこか休める場所を探すぞ。腹も減ったしな」
「そう、ですね……」
イツキは小さく頷くと、カインの手から自分の荷物を受け取った。
「……向こうに、小さいけど空き地があったはずです。そこで休憩しましょう」
イツキはそう言うと、一足先にゆっくりと歩き始めた。
「カインさん、ここ……」
そんなイツキを尻目に、アリスはカインにだけ聞こえる声で小さく言う。
「この場所、色んなものが溢れてます。嬉しいことや悲しいこと、楽しいことや寂しいこと。もしかしたら、これって全部……」
「……そうかもな」
カインはわずかに頷く。
「気にはなっていたが、こいつはちょっと厄介な宝探しになりそうだ」
独り言のように呟くと、カインはもう小さくなったイツキの背中を追いかけた。
やってきた空き地は何もない場所だった。
まさしく読んで字の如く、正真正銘のただの空っぽの土地だ。
そんな空き地の端っこにぽつんと置かれた古い木造ベンチだけが、何だか強がっているみたいでやたら風景の中で浮いている。
三人はそれぞれにベンチの上に腰掛けて休憩をする。
カインは荷物の中からミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、渇いたのどを潤している。
隣に座るアリスも紅茶のペットボトルと一口サイズのサンドイッチを昼食にしているが、一方でイツキだけがベンチに深く座り込んだまま何も口にしていなかった。
それは食べ物や飲み物という意味合いでもあるし、言葉という意味でもある。
「食欲ないのか?」
真向かいに座るカインが訊ねる。
「……はい」
「水分だけでも摂っておけよ。そのうち暑さでぶっ倒れるぞ」
「そう、ですね……」
言われ、イツキは荷物の中からごそごそとお茶のペットボトルを取り出した。
が、それも両手で抱えたまま蓋さえ開けようとはしない。
「…………」
ぼんやりしたままの視線はどこをさまよっているのか見当もつかない。
声には出さないが、見えない溜め息がそこらじゅうに散らばっていくような感覚だ。
「……ったく」
カインはつまらなそうに一言吐き捨てると、ポケットの中から取り出したそれをイツキに向けて放り投げる。
放物線を描いたそれは、俯いていたイツキの額にこつんとぶつかってその手の中に落ちた。
「……飴玉?」
手の中に落ちてきたのはきれいな水色の飴玉だった。
「それでもなめて、少しは気持ちを落ち着かせろ。糖分を摂れば、頭の中も少しはマシになるだろ」
「ど、どうも……」
イツキは言いながら、手の中の飴玉の袋を破る。
指でつまんで透かすように眺めると、何となく目の前のもやもやした気分が晴れていくようだった。
そのまま飴玉を口の中に運ぶ。
爽やかな甘みと一緒に、ミントの独特の香りが鼻から抜けていく。
どこか懐かしい味がした。
くすぶっていた胸の奥の嫌な気持ちが次第に晴れていき、体が少しだけ軽くなったようにさえ思える。
「少しは落ち着いたか」
「あ……はい。おかげさまで」
イツキは小さく笑って見せた。
それはまだ純粋な微笑とは程遠いものだったが、それでも多少は気が晴れたのは間違いなさそうだ。
「なら、そろそろ聞かせてもらうぞ」
カインは静かに言う。
「お前の探しものについてだ。もう、自分でもその答えはうっすらと出てきてるんじゃないか?」
「…………」
隣に座るアリスがどことなく心配そうな表情でイツキを見る。
心当たりはあった。
先ほどの家だけではなく、この村のあちこちから同じ想いを感じ取ることができたから。
「……はい」
イツキは答える。
どこかの空の下に落っことした、大切な宝物のことを。
「この村は、昔私が……いえ、私達が住んでいた場所なんです」
私達と、イツキはそう言った。
つまりそれは、一人ではなかったということ。
「うちの両親は海外への出張が多くて、家にいることのほうが珍しかったんです。だらか私は、いつも留守番でした。……歳の離れた、お姉ちゃんと一緒に」
イツキは膝の上でわずかに手をぎゅっと握り締める。
まるでそこに、見えない思い出がたくさん詰まっているかのように。
「私が小学校三年生の頃に、家族みんなで今住んでる街に引っ越してきたんです。結局それからも、両親が家にいなかったことは何も変わりませんでしたけど、そのくらいの頃にはそれが当たり前になってて、特別寂しいとは思わなくなってました。それに、私にはいつもお姉ちゃんがついていてくれたから……」
イツキの言葉は、まるで何かを必死に思い出しながら語っているようだった。
自分の中にある時間の糸を手繰り寄せて、その先にある思い出や記憶を少しずつ引っ張り出しているような、そんな印象を受ける。
加えて、表情の色と言葉の中に隠された悲しみ。
カインはそれにすぐに気付いた。
イツキの口調から察するに、おそらくその姉とやらはすでに……。
「……いつの話だ?」
その言葉だけで、イツキは意味が分かった。
けれど、どういうわけか悲しみはいつもよりは溢れてこない。
一人で眠る夜なんて、寂しすぎてバカみたいに泣き続けてしまっていたというのに。
「……一ヶ月前に、病気で」
「……そうか」
それだけ答えて、カインは黙った。
その場に少しだけ重い沈黙が流れる。
その中で、やがて思い出したかのようにイツキが口を開く。
「……お姉ちゃんは、何でもできた」
その言葉に、カインとアリスは揃って顔を上げる。
「勉強もスポーツもできた。料理だってすごく上手で、レストランのシェフ顔負けなくらいに美味しくて。私、いつもそんなお姉ちゃんに憧れてた。お姉ちゃんみたいになりたいって思ってた。全部はまねできなくても、どれか一つくらいなら追いついてやるって、意味もなく張り切ったりして……けど、全然追いつけなくって。追い越すどころか、隣に立つことも……できなくて……」
膝の上に重ねた両手がわずかに震える。
それと連動するようにイツキの肩が震え、俯いたままの前髪が風もないのに小さく揺れた。
「……中一の冬、私がひどい風邪を引いたときがあったんです。そのときお姉ちゃんはちょうど大学受験を目前に控えてる大事な時期で、それでもお姉ちゃんは私なんかのために勉強ほったらかしで寝ないで看病してくれて……でも、私の風邪はなかなか治らなくて、そうこうしているうちに第一志望の大学の試験の日がやってきたんです。その前の夜も、お姉ちゃんはほとんど寝ないで私のためにタオルを変え続けてくれてた。でも、私言ったんです。『今日はお姉ちゃんにとって大事な日だから、私のことは構わないでちゃんと試験を受けてきて』って。お姉ちゃん、ちゃんと分かったよって言ってくれたんです。そう言って、冷たいタオルを頭の上に乗せてくれて、そのあと私の部屋から出て行ったんです。だから私、安心して眠れた。きっとお姉ちゃんなら第一志望の大学にも一発で合格できるって、そう信じてた」
イツキは一度言葉を区切ると、手の甲で目元を軽くこすった。
そこからうっすらと覗く透明な雫を、誰にも見られたくないように。
「けど、そうじゃなかった。その後しばらくして私が目を覚ましたら、そこにはやっぱりお姉ちゃんの姿があった。私は最初、試験が終わったお姉ちゃんが帰ってきたんだと思ってた。だけど、それが違うことは枕もとの目覚まし時計が教えてくれた。そのとき、お姉ちゃんが部屋を出ていってから、まだ一時間しかたっていなかったんだから」
「じゃあ、お姉さんは……」
アリスの声に、イツキは無言のまま頷く。
「……お姉ちゃんは、試験には行かずにずっと私の看病をしてくれてた。だから私、思わず怒鳴るように言っちゃったの。『どうして試験に行かないの!? お姉ちゃん、ずっとがんばって勉強してきたのに、それなのに、どうして!?』って。そのときの私はもう何が何だかわからなくて、ほとんど八つ当たりみたいに泣き喚いてたんだと思う。ひどい言葉をいくつもぶつけたと思う。でも、それでもお姉ちゃんは、一度も怒ることなく私に言ったの。『イツキの傍にいることの方が、受験なんかより何倍も大事だよ』って。それを聞いて私、またぼろぼろ泣いちゃって……それなのに、お姉ちゃんのこと全然許せなくて……お姉ちゃんは何も悪くないに、悪いのは全部、私だったはずなのに……」
気付けばイツキは両手で顔を覆っていた。
しかしそれでも、目の奥からこみ上げてくる熱いものは両手だけでは受け止めきれない。
指と指の細い隙間を縫うように、透明な雫が一つまた一つとこぼれ落ちていく。
「お姉ちゃんが、病気だって……分かった、ときだって……!」
心のどこかでせき止めていたはずの何かが、音も立てずに壊れていた。
「――私、何も……何も、できなかった……! 毎日お見舞いに行ったけど、そんなんじゃ何も変わらなかった! 何一つしてあげられなかった! あんなにたくさん助けてもらったのに、あんなにたくさんありがとうをもらったのに、あんなに……あんなに、たくさん…………愛して、もらった……のに……っ!」
声は嗚咽に変わっていた。
アリスはまるで自分のことであるかのように、スカートの裾を自分の手で強く握り締めて奥歯を噛み締めていた。
こみ上げてくる何かが分からない。
分からないその何かは、しかし次々と溢れてきてしまう。
思い出せば思い出すほど、懐かしめば懐かしむほど、大切に思えば思うほど、失った悲しみをナイフのように鋭く突き刺してくる。
カインはそのことをよく知っている。
失うことの悲しみと、それに伴う例えようのない痛みを知っている。
だから、あえて言葉には出さない。
代わりにとった行動は、実に単純で……。
ぽん、と。
本当に軽く、そっと触れるような素振りでイツキの頭の手を乗せる。
その上で言う。
求める答えからは遠いが、それに近づくための一歩に繋がる言葉を。
「よく、がんばったな」
たった一言。
それだけの言葉が、しかし確かにイツキの壊れかけた心を支えていた。
イツキが頷いたわけではない。
ありがとうと言葉を返したわけでもない。
それでもイツキはほんの少し……ほんの少しだけ、救われたような気がしていた。
気のせいだとは思う。
けれどそれは、妙に懐かしい感覚だった。
その、大きな手は。
お世辞にも紳士的とは言えない、不器用さを丸出しにしたようなその手は。
けれど確かに、あの人の温もりとよく似ていた。
「けどな、これで終わりじゃないだろ」
カインは静かに続ける。
「探すんだろ? ここに残ってる、お前の一番の大切を。見つけるんだろ? どこかで落っことした、言えなかった言葉を」
イツキは泣きながら無言で頷いた。
そうとも。
宝探しはまだ、始まってすらいない。
なら、そろそろ始めるとしようじゃないか。
一足早いこの夏の空の下に埋もれた、とびっきりの財宝を掘り起こそう。