piece2:いい日旅立ち宝探し(2)
翌日、午前七時半。
「…………遅い」
「ですね……」
カインとアリスは、駅の正面入り口から少し離れたタクシープールの脇にいた。
土曜の早朝とはいえ、休日返上で出勤するサラリーマンや朝早くから遊びに出かける学生など、結構な人数がやってきている。
そんな場所で二人は一体何をしているのかというと、早い話が待ち合わせだった。
「あいつ、自分から時間と場所を指定しておきながら重役出勤のつもりか?」
「信号に引っかかったりとか、ちょっと買い物でもしてるんじゃないですか?」
「……だったらいいんだが」
どことなくカインは嫌な予感がする。
というか、もはや嫌な予感しかしない。
そんな些細な問題で遅刻するなんて、まともな展開があるとは思えなかった。
もっと根本的な部分で、話の軸そのものを木っ端微塵に破壊してしまいそうな理由を……あいつなら、イツキならしでかしてしまいそうな気がする。
「……アリス、念のためにあいつの携帯に電話してみろ」
「あ、はい」
アリスは鞄の中から携帯を取り出すと、昨日のうちにあらかじめ登録しておいたイツキの番号へダイヤルする。
何度かコール音が鳴り続けたが、イツキが電話に出る気配はない。
しかし、留守番電話サービスにも接続されないのはどういうことだろう。
もしかしたら今まさにこちらに向かって走っている途中で、そのせいで気付いていないのかもしれない。
などと、極めて前向きに想像力を働かせるアリスだったが、直後のその期待を裏切るかのように電話の向こうの相手が出た。
「あ、もしもし? イツキさんですか?」
『…………』
「……あの、アリスです。昨日の事務所の」
『……あー。うん、アリスちゃん。覚えてるよー……』
しばらくすると間延びしたようなイツキの声が返ってきた。
いや、間延びというか、これはもっと単純に……。
アリスは途端に嫌な予感がした。
ちらりと横目でカインを見てみると、何だかものすごく不機嫌そうな顔をして携帯を睨みつけている。
「あ、あの。イツキさん、今どちらですか? 私とカインさん、駅の正面辺りで待ってるんですけど」
『……んー? 駅? 駅って、どこの……?』
「……え? え、えーっと…………その、イツキさん? 失礼ですけど、今どちらに……?」
答えは大体予想できていたが、一応アリスは聞いておくことにした。
万に一つではあるが、イツキが寝起きのまともに働いていない体にムチを打って、寝ぼけながらもこちらにやってきている可能性もゼロではなかったからだ。
だがそんな最後の希望さえ、電話の向こうのイツキは悪びれた様子もなく粉々に粉砕する。
『――どこって、そりゃ自分の家だよー?』
「…………」
アリスは携帯を耳に当てたまま動けなくなった。
もう一度隣に視線を移してみると、カインはもう色々とブチキレ寸前な表情で、携帯をこっちによこせと言葉には出さずに人差し指をちょいちょいと動かして促していた。
その鬼のような形相に思わず一歩引いたアリスだが、震える手でどうにか携帯をカインへと手渡す。
当然、電話はまだ繋がったままだ。
「……おい、俺だ」
カインは低い声でぼそりと呟く。
『……はぇ? えーっと、どちら様……って、ああ、思い出しました。昨日のチンピラみたいな探偵さんだー』
「……それがお前の率直な感想か。だが今はそんなことはどうでもいい。一回しか言わないから耳の穴かっぽじってよく聞け」
すぅーと大きく息を吸い、カインは一瞬だけ息を止める。
その様子を見るなり、アリスは本能的な危機を感じ取って両手で両耳をしっかりとシャットダウンした。
直後に
「――何考えてやがんだテメェコラ! いいからさっさと起きてこっちにきやがれ! 分かったら四十秒で支度しろ! いいな!」
一方的な怒鳴り声で言い終えると、カインは荒い息を吐きながら通話を切った。
道行く人々がそのあまりにも大きな声に思わず足を止めてこっちを見ているのだが、カインはそれどころではない。
隣でぺこぺこと頭を下げているアリスがあまりにも不憫だ。
そしてイツキがようやく二人の前にやってきたのは、それからたっぷり一時間が過ぎた頃だった。
鈍行列車で片道三時間。
列車そのものが日に数本しか通っていないという、まるでアマゾンの秘境みたいな片田舎が今日の目的地だった。
「いやー、うっかり寝坊しちゃって。あれですよね、いくつになっても子供の頃みたいに『次の日の遠足が楽しみで全然眠れない現象』っていうのはあるんですよねー」
大抵の場合はそれが原因で風邪を引いたり熱を出したりで欠席することになるのだが、その点においては心配はなさそうだとカインは勝手に決め付けた。
バカは風邪を引かないという言葉の真実味を改めて知らされた気がしたからだ。
「どうでもいいが、謝罪の言葉の一つもないのかお前は。俺もアリスも、お前のせいでムダに一時間も待ちぼうけ食らってるんだぞ」
「まぁまぁ、カインさん」
隣に座るアリスがなだめるように言う。
「とりあえずこうして無事に出発できたんだから、いいじゃないですか」
「そうは言うけどな……」
「それに、イツキさんだって別に故意に遅刻したわけじゃないんですし。ちゃんと反省してくれてますよね、イツ」
「おおっ!? 見てくださいよ二人とも! 海! 海ですよ! 銀の砂浜! 光る水面! 青い空! そして灼熱の太陽! 一足早い高一の夏よ、私はやってきた!」
「…………えーと」
まるで反省していなかった。
「ガキじゃあるまいし、いちいち騒ぐな。大人しく座ってろ」
そうは言ってみたが、もともと人の行き来が皆無に等しい片田舎行きの列車なのだ。
車両そのものが二両編成だし、その乗客もカインたちを除けばわずか二人しかいない。
一体どんな辺境魔境秘境に連れて行くつもりだと、カインは今更になって途端に不安になってきた。
「カインさんカインさん、見てくださいよ。海、すごくきれいですよ」
「おいアリス、お前もか…………?」
言いかけて、カインはそれを見た。
窓をこじ開け、その向こうに広がる一面の海の景色を眺めながら、イツキのその横顔がどこか寂しそうな色に染まっているのを。
「…………」
それはまるで、遠い昔の風景を思い出しているような顔だった。
わずかに沈んだ瞳が静かに揺れた……ように見えた。
開けっ放しの窓から吹き込む風が、イツキの黒い前髪を大きく揺らす。
そして次の瞬間には、イツキの横顔は元通りに戻っていた。
「いやー、風が気持ちいいですねー。ね、アリスちゃん」
「そうですね。何となく、都会から離れてるなって気がします」
いつの間にか二人はすっかり打ち解けていた。
そんな様子を見ていると、一瞬前の映像なんてまるでただの幻だったかのように思えてくる。
「……こりゃ、思った以上に面倒な宝探しになりそうだ」
二人には聞こえないように小声で呟いて、カインは頬杖をついて目を閉じた。
腰と背中と尻が痛い。
三時間に及ぶ列車の旅を終えて、三人は終点の駅へと降り立った。
しかしさすがはドがつくほどの田舎、くしゃみをしただけで吹き飛びそうなボロ小屋だが、これでも一応は駅らしい。
当たり前のように駅員はおらず、改札も自動であるわけもなく、底の抜けかかったぼろぼろの木箱が切符入れになっている。
「さて。ようやく辿り着いたわけだが……」
駅を出て、カインが開口一番にそう言うが
「…………何も、ない……ですね」
「……ああ。無だな」
目の前には景色と呼べるものすら存在しなかった。
そこにはむき出しの山林がうっそうと生い茂ってはどこまでも続いているだけである。
駅の反対側も全て山に囲まれているし、足元は一応アスファルトの道路にはなっているのだが、左右を見渡しても車の走る気配はゼロだ。
「……おい。本当にこんなとこに手がかりがあるのか? てか、そもそもここに人間は住んでるのか? クマやタヌキを探しにきたわけじゃないだろうな」
「いくらなんでもそれはないですよ。そうですよね、イツキさん?」
「もちろんですよ」
イツキははっきりと答える。
「この辺にいるのはクマでもタヌキでもなく、イノシシやキツネくらいです」
「そっちじゃねーよ! 人が住める場所かどうかって聞いてんだろ!」
「き、キツネはちょっと見てみたいかも……」
「アリス、お前な……」
呆れかけたところでしかしどうしようもないので、とりあえずこれからの動き方を考えることにする。
「こっちですよこっち。確か」
「その最後の一言が果てしなく不安なんだが、信じて大丈夫なんだろうな……?」
頼りないにもほどがあるイツキの言葉だったが、そもそもカインもアリスもこんな田舎に土地勘などあるはずもないので、ここはイツキの言葉と記憶を信じて歩くしかない。
道路が続いているということは、歩いていればいつかは人が住む場所へと辿り着ける……はずだ。
そう信じたい。
山に囲まれた道を三人は歩く。
本来なら車のことも考えて端を歩くべきだろうが、こんな田舎道ではその心配もないようだ。
だが、しばらく歩いても街や村はおろか、それらしい景色さえ見えてこない。
「おい。本当に道はこっちで合ってるんだろうな?」
「大丈夫です。確かこっちで合ってるはずですから。多分」
「……嘘でもいいからもうちょっと安心できる言葉を使ってくれ。ますます不安になってきた」
「確かに何もないところですけど……空気はおいしいです。山から吹いてくる風も気持ちがいいし……」
「のん気なこと言ってる場合か。それはそうと、イツキ」
「はい? 何ですか?」
「……ちゃんと目星はつけてきたんだろうな?」
「……はい。まぁ、一応は」
「……なら、いい」
カインはぼんやりと思い出していた。
列車の中で見せた、イツキの寂しげなあの横顔のことを。
その目は、きっと別の景色を見ていたんだと思う。
銀の砂浜も、光る水面も、青い空も、灼熱の太陽も映っていなかったのではないだろうか。
何か、もっと別のものが見え始めていたんじゃないだろうか。
だとしたらそれこそが、イツキの言う探しものなのではないだろうか。
「…………」
カインはそうは思っても口には出さない。
口にしたところで何がどうなるわけでもないだろうし、何よりも意味がないからだ。
きっとそれは、カインやアリスが教えることで気付かせることじゃない。
イツキが自分の目で見て、自分の足で歩いて、自分の手で探って見つけなくてはいけないものだ。
それはまるで宝探しだ。
記憶の糸を辿って、思い出の地図を頼りにいつかの自分を追いかけていく。
土を掘り起こすスコップも、伝承が綴られた巻物も、推理する頭も必要ない。
「…………絶対に、見つけるんだ」
イツキは小さく呟く。
他でもない、自分自身に強く強く言い聞かせるように。
たった一つ、確かなものは。
それゆえに、不確かなものは。
いつだってその小さな手の中にあったはずだから。
だから、探すよ。
見つけるんだ。
あの日なくした、世界で一番大切なもの。
あの日と同じ、夏の始まりの日。
今日みたいに、空はどこまでも高かったはずだから。