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PUZZLE  作者: やくも
2/11

piece1:孤独の国の子供達(2)

 そして二日後の夕方、午後四時。

「考えていただけましたか?」

 女性は少しためらいがちに訊ねる。

「ええ。お待たせしました」

 対して、カインは迷う素振りも見せずにあっさりと答える。

 その手の中にあるのは、昨日一日であちこちからかき集めた資料だ。

「結論から申し上げます。今回の依頼は……」

 女性が息を呑む音が、カインの隣に座るアリスにははっきりと聞こえた。

 その場の空気がどことなく重苦しいものになるのがよく分かる。

 だが、それさえもたやすく切り裂いてカインの言葉が続く。


 「――お断りさせていただきます」


「な……!?」

 驚愕を露にする女性を前にして、やはりカインは表情一つ変える様子はない。

 ある程度予想できていた答えとはいえ、アリスはどこかいたたまれない気持ちになってしまう。

「なぜですか!? 報酬ならいくらでもお支払いしますと、先日も申し上げたでは」

「失礼ですが」

 激昂した女性の言葉を軽く遮ってカインは言葉を割り込ませる。

「俺は別に、金の大小で仕事を選んでいるわけじゃないですよ。あなたも人づてとはいえ、俺の噂を聞いたのなら知っているはずだ。依頼を受けるかどうかは俺の気分しだいだということを」

「……っ!」

 思わず言葉を失う女性から視線をはずし、カインは再び手の中にあるいくつかの資料に目を落とす。

「あなたの家のこと、少し調べさせてもらいました」

 手の中の資料をテーブルの上に投げ捨て、カインは言う。


「麻生京子さん。旦那さんの名前は麻生誠一。息子さんの名前は麻生ユウヤ。三人家族で、現在住んでいる住宅は七年ほど前に旦那さんの仕事の都合で引っ越してきたときに購入したもの。あなたの仕事は上場企業の顧問弁護士。旦那さんは外資系企業最大手の重役。息子さんも名門私立のエスカレーター式の小学校に通っており、成績も非常に優秀。幼くして数多くのコンクールなどで受賞経験がある。まるで絵に描いたような家族構成ですね」

「た、たった一日でそこまで……?」

「もう少し深い部分まで潜ることもできましたが、まぁやりすぎると色々と面倒なので。ですが、ここまででもずいぶんと分かったことは多かったですよ」

 カインはテーブルの上に広がった紙の中から一枚をつまみ上げ、その内容に目を通していく。

「息子さん、ずいぶんと徹底した教育をなさってるようですね。平日は毎日、学校が終われば有名進学塾へ通っている。土日にいたっては専属の家庭教師を家に招いて指導を受けさせているようですね。まぁ、これも息子さんのためを思ってのことだとは思いますが」

「当然です。今のうちからしっかりした学力と教養を身につけておかないと、今の時代では置いていかれてしまいますからね」

「なるほど。確かに今みたいな時代じゃ、進学にも就職にも何かと学歴は高い方がいい。将来のことを考えればなおさらだと」

「その通りです。それに、これはユウヤも受け入れていることです。たくさん勉強して、早く私達を安心させてあげたいと、あの子はそう言ってくれたんです……」

「……安心、ね」

「それよりもカインさん、ちゃんと納得できるように説明してください」

「説明、とは?」

「はぐらかさないでください。この依頼を受けていただけない、ちゃんとした理由をお聞かせください。そうでないと、私も何も納得できません」

「理由、ですか……。そうですね。まぁ、一言で言ってしまえば……あなたが何も分かっていないから、ですかね」

「わ、私が……? どういうことですか? 私が一体、何を分かってないと仰るんですか!? 私はただ、ユウヤのことが心配で心配で仕方なくて、それで」

「ええ、それは分かります。けどそれは、所詮表面上の建前に過ぎないんですよ。あなたには、徹底的に欠けているものがある。言わば、パズルのピースが足りないんですよ」

「パズルの……ピース?」

「そうです。だから仮に俺が出張ってこの事件を解決して、息子さんが戻ってきたとしても、本当の意味で何の解決にもならない。俺にはそれがもう目に見えているんです。だったら、最初から労力の無駄遣いにしかならないでしょう?」

「何を……何を、仰って……?」

「……理解できないのなら、無理に分かろうとしないで構いません。ですが、それならなおのこと今回の依頼を受ける意味はありません。悪いけど他を当たってください」


 一方的に言い放ち、カインはソファから腰を上げる。

「カインさん……」

 その様子を、アリスが難しい表情でジッと見上げていた。

 アリス視線の意味に気付きつつも、カインは構わずに言う。

「アリス、京子さんを外まで送って差し上げろ。話はここまでだ」

「……でも、これじゃあ」

「いいから。早くしろ」

「……はい」

 アリスはゆっくりとソファから腰を上げ、向かいに座ったままの京子に近づく。

「お力になれず、すいません。下までお送りします」

「……何なんですか、あなたは」

 しかし、京子はアリスの言葉などまるで聞いていなかった。

 おもむろに怒りの色を表に出し、唇を噛みながら目の前のテーブルを勢いよく両手で叩きつけ、そのまま勢いよく立ち上がる。

「ふざけないで! こっちは本当に息子のことが心配で、悩んだ末にあなたを頼って依頼にきてるんですよ!? 正当な理由の上でお断りされるならまだしも、こんな煙に巻いたようなはぐらかされ方では、誰が納得できるというんですか!」

「……ですから」

 怒声を浴びせる京子に対し、しかしカインは全く取り合うつもりのない抑揚のない声で応じる。

「無理に理解しないでも結構と、そう言ったはずです。どうぞ、お引取りください。こちらとしても、いつまでもあなたのような自分勝手な客の相手をしているほど暇ではないので」

「カインさん! 言い過ぎです!」

 アリスの制止の声も虚しく、カインはもう京子の顔など見ていない。

「すいません、京子さん。カインさんも、本当は」

「うるさい!」

 京子は反射的に腕を動かしていた。

 その手の甲が、無防備だったアリスの頬を打つ。

「痛っ……」

「あ……」

 ハッとなって我に返り、京子は途端に罰の悪い表情になっていく。

 アリスの頬を打った手の甲を空いている方の手で包むように押さえ、そのまま何も言わずに扉をくぐって事務所をあとにした。


「あ……」

 その後姿にアリスは何か言葉をかけようと思ったが、それよりも早く京子の姿は視界から消え去ってしまう。

「平気か?」

 ふと振り返ると、そこにカインが立っていた。

 カインは無言でアリスの頬に優しく触れると、わずかに赤くなった部分をそっといたわるように撫でる。

「悪かったな。お前にも嫌な思いさせちまった」

「いえ。私は、平気です。でも、京子さんが……」

 すでに誰もいなくなった扉の方向をアリスは眺める。

「カインさん、少し言い過ぎだったんじゃないですか? それに、京子さんだって本当にユウヤ君のことが心配だったからこそ、ああして訪ねてきてくれたんじゃないですか」

「……そんなことは分かってる。けどな、それでもダメだ。仮に俺がこの事件を解決したとしても、また同じことの繰り返しになっちまう。一番肝心な部分を、あの人はまるで分かっちゃいない。それじゃ、何の意味もないんだよ」

「それは……」

 言いかけて、アリスは悲しそうな顔になる。

 それを見て、カインは小さく溜め息を吐き出して、

「バカ。何でお前がそんな顔すんだよ」

 クシャクシャと、優しくその金色の髪をすくように頭を撫でる。

「……もう。子ども扱いしないでくださいよ」

 そうは言うが、アリスはどこか恥ずかしそうに、それでいてカインの手から逃れようとはしなかった。

「何言ってやがる。どこからどう見たって、お前は子供だろ」

「それは、カインさんの背が高いから、そう見えるだけです」

「じゃあ、お前の背が小さいから子供に見えるんじゃないか?」

「う……」

 ずばり言い当てられ、アリスは反す言葉もない。

「さて、そろそろ晩飯の準備でもするか。アリス、手伝ってくれ」

「あ、はい」

「……それと」

「?」

「……あんまり、お前が気にするな。依頼を蹴ったのは俺であって、お前がそれを気に病む必要はないんだからな」

「……はい」

 だったら最初から引き受ければいいのにとアリスは思ったが、あえて口には出さないでおいた。

 その理由は二つある。

 一つは、これ以上カインに余計な気を使わせたくなかったから。

 そしてもう一つは、頭の中でとある計画を企てていたからだった。


 仕事には全く身が入らなかった。

「麻生さん、大丈夫ですか? すごく顔色が悪いですけど……」

 事務所の同僚の一人が心配そうに訊ねる。

「……ごめんなさい。ここのところ、ちょっと寝不足で」

「だったら、無理しないでたまには早く帰ってゆっくり休んでくださいよ。残りの仕事は、僕達で引き受けますから」

「そうですよ。麻生さん、いつも働きすぎてるくらいなんだから」

「……ありがとう。それじゃ、悪いけど今日はお言葉に甘えさせてもらうわね」

 鞄の中に荷物をしまい、京子はいつもより早く事務所をあとにする。

 自宅から事務所までは毎日車で通勤しているのだが、今日は運転している最中にも何度も頭が痛くなってしまった。

 ふと気が付けば息子のことばかりを考えている。

 あてにしていた探偵からは仕事を蹴られ、次はどこの誰を頼ればいいのだろう。

 旦那の誠一も手を尽くしてくれてはいるようだが、今のところ進展らしいことは何一つない状況だ。

「……ユウヤ」

 信号待ちの停車中、ハンドルに倒れ掛かるように京子は頭を伏せる。

 しばらくして後続の車の鳴らすクラクションの音で我に返ると、信号はとっくに青に切り替わっていた。

 考えがまとまらない頭で、どうにか自宅へと戻る。

 こんな早い時間に戻ってきたのは何年ぶりだろうか。

 いつも仕事に追われ、帰ってくるのは日付が変わる夜中だった。

 玄関の鍵を開けて扉を押し開けると、不気味なほどの静寂が京子を待ち構えていた。

「…………」

 思わず背筋に冷たいものが走りそうになる。

「ユウヤ……」

 ちょっとでも背中を押せばそのままその場に倒れこんでしまいそうだった。

 とりあえず玄関の電気をつけ、靴を脱いで家の中に上がろうとして、

「こんばんは」

 ふいに、背中から誰かに呼びかけられた。

 ゆっくりと振り返ると、そこに見覚えのある人物が立っていた。

「あなたは……」


 カインは深く溜め息をついた。

「ったく……あのバカ、勝手なことばっかりしやがって……」

 その手の中にあるのは、一通の置手紙だ。

 差出人の名前は読まなくても分かる。

 手紙には見慣れた丁寧な字で、一行だけこう書かれている。


 ――足りないピースを探してきますね。


 それだけで意味は伝わった。

「本当に、何考えてんだよ……バカアリス」

 ぶつくさ言いながらも、カインは壁にかけてあった上着を素早く羽織る。

「余計なことして話をこじらせやがったら、承知しねーからな!」

 一人呟いて、カインは急いで事務所を出る。

 すっかり日は暮れて、辺りは夜の色が強く浮かび上がっていた。

 会社帰りのOLやサラリーマンが溢れる雑踏の中を掻き分けて、カインは走る。



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