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PUZZLE  作者: やくも
10/11

piece3:未来飛行機(1)


「くだらない……」

 握っていたペンを机の上に転がす。

 机の上には一枚の答案用紙と数枚の問題用紙があった。

 解答用紙には一ヶ所の空欄もなく、全てにびっしりと回答が書き込まれていた。

 彼は見直しもせずに解答用紙を裏返すと、静かに手を挙げる。

「何だ、どうかしたか?」

 試験官の男が側にやってきて訊ねた。

「ちょっと、具合が悪くて。保健室行ってきてもいいですか?」

「それは構わないが、時間は大丈夫なのか?」

「平気です。どうせもう全部終わったので」

 それだけ言い残すと、少年は試験官の返事を待たずに席を立つ。

 静寂に包まれていた教室の中に椅子を引きずる音がわずかに響き、何人かの生徒がうざったそうに目を向けてきた。

 が、彼はそれらを全て無視する。

 そのまま教室の後ろの扉から廊下に出ると、静か過ぎて気味の悪い廊下を一人歩き出した。

 そのまま保健室へ向かうと思いきや、彼の足は全く見当違いの方向へと歩いていた。

 階段を上り、四階の端にある美術室へと彼はやってきた。

 普段なら部活や授業のある時間以外は鍵がかかっているはずなのだが、ここ最近で隣の準備室の扉のたてつけが悪くなり、少し力を入れれば強引に扉をこじ開けられることを彼は知っていた。

 扱いなれた力加減で少年は準備室の扉をこじ開ける。

 そのまま中に入ると、真っ直ぐにベランダの鍵を開けて外に出た。

 ベランダを伝い、隣の美術室の窓の外まで移動する。

 日陰の場所を見つけると、彼はそこで制服が汚れるのもお構いなしにごろんと横になった。

「はぁ……」

 途端に溜め息が漏れた。

 本当にどうでもよくなってくる。

 直接口には出さないが、彼は胸の内で苛立ちを含めた声で呟いた。

 ぼんやりと空を見上げると、雲の少ない青空の真ん中に一本、真っ直ぐな飛行機雲が伸びていた。

 彼にはそれがどういうわけか、過去と未来を切り裂く鋭い傷跡のように見えた。

「……くだらない」

 もう一度そう呟いて、彼は目を閉じた。


「…………」

 ゆっくりと意識が覚醒する。

 最初に目に入ってきたのは、オレンジ色に染まった空の色だった。

 次に目に入ってきたのは

「…………は?」

「あ、起きた」

 見知らぬ女の子の姿だった。

 女の子は寝転がった彼の姿を上から覗き込むように見下ろしていた。

 その両手にはそれぞれ絵筆とパレットが握られており、女の子は背もたれのない木の椅子に腰掛け、目の前に立てかけられた真っ白なキャンバスに向かって今まさに最初の色を塗りつけようとしていた。

「…………」

「…………」

 見上げる彼と見下ろす女の子。

 二人はしばらく見詰め合うように視線を合わせていたが、それはどう見ても乙女心くすぐるロマンチックな光景には見えない。

 それを台無しにしているのが、彼の目つきの悪さだった。

 別に初対面の女の子に対していきなりガンくれているわけではないのだが、生まれつきのこれは色んなところでたびたび誤解を招く。

 そのせいで過去に不必要なケンカや諍いに巻き込まれたことは数知らず。

 だが、なまじ場数だけをムダに超えてきたせいで、いつの間にか人より筋力もついてしまっていた。

 おかげさまで高校二年の今までケンカは無敗。

 おまけに変な噂が一人歩きしてそれにおひれがついてしまい、まるで触るな危険の看板をぶら下げているかのようになってしまった。

 とまぁ、そんなことはこの際どうでもいい。

 彼はゆっくりとした動作で体を起こすと、座ったままで軽く背伸びをした。

 懐から携帯を取り出して時間を確認すると、ちょうど四時半になったところだった。

 今はちょうど学期末の試験期間なので、今日も本当なら午前中で授業は終わっているはずだった。

 どうやら眠っている間に時間が過ぎてしまったようだが、これといって特に予定もない彼は慌てた素振りの一つも見せない。

 とはいえ、まだ体のあちこちに惰眠がくすぶるように残っているのも確かだ。

 いつまでもこんなところに残っている理由もないので、彼はとりあえず帰ることにした。

 そういえば具合が悪くて保健室に行くという理由で教室を出たわけだが、そのへんの弁解はどうしたもんだろう。

 まぁ、言い訳の二つや三つはそれらしいことを言っておけばどうとでもなるはずだ。

 彼は特に気にした様子もなく、無言で立ち上がって女の子の後ろを通り過ぎていく。

「あ……」

 いかにも何か聞きたそうな声が聞こえたが、彼は無視した。

 直後に、彼は足元にあった何かにつまずいてその場で盛大にずっこけた。

 ばしゃばしゃという水音と、からんからんという何かが転がる音がした。

 その正体は、水の入ったバケツだった。

「足元、危ないよって言おうとしたんだけど……」

 すでに起きてしまった惨状にわずかに苦笑いしながら、女の子は立ち上がった。

 一方、女の子の目の前で派手にずっこけてしまった彼は

「…………そういうことは、早く言え」

 相変わらずの悪い目つきのまま振り返り、女の子のことを見上げていた。


 こうして、二人は出会った。

 出会う必要のなかった二人は、出会ってしまった。

 彼……市原ヤナギと、女の子……鈴森アカネ。

 へんてこな運命の歯車が、静かに静かに回り始めていた。




 一体どうしてこんなことになっているんだろう。

 それがヤナギの率直な感想であり、同時に現在進行形で直面している悩みの種だった。

「はい、これでちゃんと頭拭いて」

 目の前にずいと押し付けられた真っ白なタオルを、ヤナギは仕方なく片手で受け取る。

 そしてそのタオルを今なおぽたぽたと水が滴る自分の頭に押し付け、実に面倒くさそうにごしごしと拭いていく。

「あー、ほら。そんなんじゃちっとも水気が取れないってば」

 アカネはそう言うとヤナギの手から素早くタオルを取り上げ、自らの手でヤナギの頭を軽く押さえつけてぐしゃぐしゃと拭いていく。

「……お、おい……ちょ、やめろって……聞けよ、おい……」

 一応言葉で抵抗はしてみるが、アカネは気付いていないのか、それとも気付いた上であえて無視しているのか。

 その後もわしゃわしゃとした手つきでヤナギの頭を拭うと、最後に簡単に髪形を整えてようやく開放した。

「よし。こんなもんかな?」

「……よし、じゃねーだろ。何なんだよあんた……」

 すっかり呆れ果て、怒ることも忘れてヤナギは溜め息をついた。

「いやいや、私のせいで頭から水かぶらせちゃったわけだからさ。このくらいはね」

「だから頼んでないっつーの。こんなの、家に帰る頃にはもう乾いちまってるよ」

「そうかもしれないけどさ。これで万が一風邪でも引かれたら、それはそれで後味が悪いし」

「…………」

 この人は何なんだろうとヤナギは思う。

 悪い人ではないようだが、何だかものすごくおせっかいだ。

 はっきり言って、ヤナギはこういう性格の人間が苦手だ。

 自分のペースを乱されてしまうばかりか、気が付くと相手のペースに巻き込まれてしまっているからだ。

 そうならないように努力はしているのだが、これも性格の問題なのだろう。

 自分が流されやすい性格だということは、過去のいくつかの経験からもヤナギは自覚している。

 直そう直そうとは思っているのだが、どうやらこれも生まれつきのものらしく、なかなか染み付いて取れなくなっている。

 ぼんやりとそんなことを考えていたら、突然目の前にカップが差し出された。

「……何だよ、これ?」

「コーヒーと紅茶、どっちがいい?」

「……は?」

 いきなり喫茶店のウェイトレスみたいな言葉が飛び出してきた。

 ここは喫茶店ではなく美術室のはずなのだが、一体どこからそんな質問が出てくるのか。

 それ以前にそのカップはどこから取り出したんだと聞きたかったが、いちいち確認するのも面倒なのでヤナギは黙っておくことにする。

「ほら、どっち?」

「……コーヒー」

「砂糖は?」

「……いらない」

 注文を聞き終えると、アカネはカップを手に部屋の奥へと向かう。

 よく見るとそこには給湯室と書かれた扉が。

「……何で、美術室の中に給湯室があるんだよ」

 素直な疑問だったが、何だかこれ以上深く考えると色々と疲れてきそうなのでヤナギはここでも無視することにした。


 少ししてアカネが戻ってくる。

 その手の中にはそれぞれアイスコーヒーとレモンティーがあり、その片方をアカネは差し出した。

「はい、どうぞ」

「…………」

 ヤナギはそれを無言で受け取ると、おそるおそる一口を口に含む。

 口の中に苦味が広がる。

 まぁ、コーヒーなのだから当たり前だ。

 ヤナギはカップを机の上に置くと、改めて正面に座るアカネを見た。

 そして今頃になって気付いた。

 目の前に座っているアカネが、自分より一つ上の先輩だということに。

 その証拠がネクタイの色だ。

 この高校では学年ごとにネクタイの色が決まっており、上から順にそれぞれ黒、紺色、水色となっている。

 もっとも、ヤナギはネクタイを外してワイシャツのボタンも上から二つくらい外しているのだが。

「君、何年生? 見ない顔だから、同学年ではないと思うんだけど」

 と、唐突にアカネが聞いてきた。

 別に隠す必要もないのだが、なぜかすぐに答えることに抵抗が感じられる。

「…………二年」

 が、少しの沈黙の後にヤナギは答えた。

 何というか、もろに苦手なタイプの人間だ。

 社交性皆無のヤナギに対して、目の前のアカネは明らかにその正反対のタイプだ。

 自分から進んで輪の中に入っていくことができて、いつの間にかそのまま輪の中心になってしまうような人物だ。

 ヤナギにはそれが理解できない。

 理解したいとも思わない。

 他人との接点がそれほど重要だとは思わない。

 もちろん、これから先社会に出て行く中では嫌でも必要になるものだとは思うが、そんなものは表面上のものとしていくらでもごまかせるはずだ。

 性格と言われればそこまでだが、それでも極力関わり合いたいとはヤナギは思わない。

 何よりまず疲れるし、面倒くさいからだ。

 そんな考え方と生まれつきの目つきの悪さのせいで自分の周囲には他人が寄り付かないことは、もちろん自覚済みである。

「二年かー。受験だの何だのってそろそろ騒がしくなる頃だけど、それでもまだ余裕はあるよね。まだ一年以上時間があるんだし」

「……別に、そんなの気にしたことないよ。どうとでもなるじゃん、そんなの」

 心底つまらなそうにヤナギは言う。

「進学にしたって就職にしたって、どうせ連中は表面上の数字しか見てないんだ。社会に出てから義務教育で培ったものが全て役に立つわけじゃない。むしろ、その大半が何の役にも立たないじゃん。専門職とかならまぁ、話は別だけどさ」

 営業職に必要なのは商品のよさをアピールするためのトークや知識であり、高等数学の公式ではないのだ。

「くだらないよ、そんなの。何もかも、くだらない」

 吐き捨てるように言って、ヤナギはもう一口苦い液体を含んだ。

「くだらない、か……そうだね、そうかもしれない。全てのことをそう考えられたら、私も少しは…………」

「…………」

 最後の方は尻すぼみになってしまい、ヤナギはアカネの言葉の全てを聞き取ることはできなかった。

 だからといってどうというわけではない。

 どちらにせよ、ヤナギには何も関係のないことだ。

 実にくだらない。

 この世の中も、この先にある未来も、何もかも。


 いつもと違う帰り道の上をヤナギは歩いていた。

 どうせ家に帰っても誰もいないし、本屋に寄って雑誌を買っておきたかったという理由もあるにはある。

 とっくに日は沈み、辺りもそれに伴って薄暗くなりつつある。

 が、季節が夏に切り替わったことで昼の時間も長くなっているので、まだまだ街灯の明かりを頼りにするほどではない。

 まだ少し制服の上着は生乾きだったが、この程度なら一日たてば問題はないだろう。

 去り際にアカネは『風邪引くなよ』などと言っていたが、そんなわけがないだろう。

 真冬ならともかく、少し頭から水をかぶった程度で風邪なんて引くはずがない。

 心配性というかお節介というか、なぜ初対面の人間にああまで気を使われなくてはいけないのか。

「……面倒くさい人だな」

 小さく呟いて、ヤナギはわずかに目を閉じた。

 だから、気が付かなかったのだ。

「きゃ……」

 何かにぶつかったと思って目を開けたときには、すでに目の前で小さな女の子が尻餅をついていた。

 幸いケガはないようだが、どちらにせよ不注意だったのはヤナギのほうだ。

「……悪い。大丈夫か?」

 ヤナギは身を屈め、地面に尻餅をついた少女に手を差し伸べる。

「あ、はい。すいません」

 少女はヤナギの手を取ると

「……あ」

 ふいに何かを呟きかけたが、すぐにその言葉を引っ込めたようだった。

「?」

 何事かとヤナギは思ったが、それ以上は言葉にしないことにした。

 理由はどうあれ、他人と関わるのはやはり苦手だ。


「アリス、どうした?」

 と、雑踏の向こうから一人の男がやってきた。

 遠目でも分かるくらいの長身に、短めの赤いツンツン頭は嫌でも目立つ。

「あ、カインさん。いえ、何でもないです」

 アリスと呼ばれた少女は振り返り、男がやってくるのを待つ。

「ちょっとぶつかっちゃっただけですから」

「バカ、よそ見して歩いてるからだろ。ああ、悪かったな。連れが迷惑をかけたみたいで。そっちは平気か?」

 見た目に似合わず赤い髪の男は柔らかい物腰だった。

 てっきりその辺のチンピラか裏社会関係の人間かとヤナギは思ったが、人間外見が全てではないようだ。

 もっとも、今思ったことをそのまま口にすればどうなるか分かったものではないので黙っておくわけだが。

「……いや、こっちがよそ見してたから。それじゃ」

 ヤナギは二人の間を抜けてその場を立ち去ろうとする。

 だが、その背中に

「……あ、あの」

 アリスと呼ばれた少女が声をかける。

「何?」

 立ち止まり、振り返ってヤナギは聞く。

「あ……。いえ、ごめんなさい。何でもないです」

「……そう? じゃあ、俺はこれで」

 今度こそ二人に背を向けてヤナギはその場を去る。

 その背中が完全に雑踏の中に紛れて見えなくなった頃、カインは口を開いた。

「……見えたのか?」

「……はい。あの人も……」

「……そうか。ま、縁があればまた会うこともあるだろう」

「そう、ですね……」

 それだけ言い残して、カインとアリスは再び雑踏の中に消えていく。

 また一つ、動き出した物語を残して。



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