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第七話



 都にある宮城を本拠地とし、東西南北の主要都市には、青帝が政務を執り行うための役所が置かれている。青帝が不在の場合、その地を治める貴人、役人が業務を代行するのだが――。


 翌日、その日は朝から慌しかった。


 西府から役人が訪れ、青帝陛下に謁見を求めたのだ。

 そしてその日のうちに、陛下の出立の準備が進められた。


 ――龍の山に、何か異変でも起きたのかしら。


 龍の山はその名のとおり、うずくまって眠る龍の形をした山で、結界を維持するための巨大な要石でもある。青龍が脱皮した際、残った抜け殻に植物が生い茂り、山になったというが、真偽のほどはわからない。龍の山は絶えず霧を発生させ、国を守る壁を作り、他国による侵略や害獣の侵入を防いできた。


 ――今じゃ信仰の対象というより、有名な観光地みたいになってるけど。


 五つある龍の山は国内に散らばっており、中でも近くに温泉街のある山が人気だという。


「番様もご一緒に、との陛下のご命令です」


 下女の言葉に、私は黙って旅支度を始めた。


 都を離れる前に翡翠に会っておきたかったが、敷地内をいくら探しても、彼の姿はどこにもない。下女に聞いても、そのような少年は知りません、の一点張り。他の者に訊ねようにも、私の顔を見た途端、そそくさと逃げてしまう始末。


「ご出発の時間が迫ってまいりましたので、お急ぎください」


 結局翡翠には会えないまま、私はしびれを切らした下女たちによって、強引に龍の背に取り付けられた輿に押し込まれた。


 目的地は西方の龍の山。

 馬車だと三日はかかる距離だったが、龍だとわずか半日で着いた。


 今晩の宿となる領主の館、その一室の窓から外を眺めていると、館からぞろぞろと人が出てくるのが見えた。青帝陛下だけでなく、楊様の姿もある。西府の役人と思しき男たちに連れられて、どこかへ向かう様子だ。


 そんな彼らをじっと見下ろしていると、

   

「西方を守る結界に綻びが生じたので、その修復に向かわれたようです」


 付き添いの下女が優しく教えてくれる。 

 結界の修復作業は難なく終わったらしく、まもなく陛下御一行が館へと戻ってこられた。

 




 翌日の晩、領主の館では青帝陛下を歓待し、宴が催された。

 館の広間で、西部名産の美味しい料理や菓子に舌鼓を打ちながら、私はため息をついた。


 ――私がここにいる意味、あるのかな。


 早く都に戻りたい。

 戻って、翡翠の顔が見たいのに。

 

 ――外の空気が吸いたくなってきた。


 皆の関心の的は青帝陛下で、私ではない。だから少し席を外したところで、誰にも気づかれないだろう。そう思い、そっと立ち上がる。目立たないよう壁沿いを進みながら、私は中庭に出た。


 

「綺麗な月」


 夜空を見上げた瞬間、私の脳裏にある光景が蘇った。

 

『そなたは私の番だ』


 青帝陛下の寝所で初めて夜を過ごした日、呆然とする私に彼は言った。

 ショックのあまり、陛下の一人称が「余」から「私」に変わったことにも、気付かなかった。


『最初からわかっていた。初めて見た時から。ずっとこの日を待ち望んでいた』


 浮かれたような彼の言葉とは対照的に、私の心は重く沈んでいた。

 初めて知った破瓜の痛みと、言葉にできない喪失感で、自然と涙が溢れた。


『なぜ泣く?』


 私が泣いていると知った瞬間、陛下のお顔からすぅっと表情が消えた。


『泣くな、珊瑚』


 正直に言って、あの時のことはよく覚えていない。ただ、涙ながらに陛下の手を振り払ってしまった記憶がある。前もって覚悟していたはずなのに、これも仕事のうちだと割り切っていたはずなのに。


 行為の最中、ずっと翡翠のことが頭にあって、彼を裏切っているような気がして、何度もやめてと心の中で叫んでいた。本当はこんなこと、したくないのだと。


 思えば、青帝陛下が私によそよそしかったのは、あれが原因かもしれない。


 ――私のせい?


「って、なんで感傷に浸ってるんだろう」


 そんな年でもないのにと、笑ってしまう。

 

「珊瑚」

 

 呼ばれた瞬間、思わず身構えてしまった。

 こわごわ振り返って、礼をする。


「これは、陛下」

「そこで何をしている?」

「月を、眺めておりました」


 月、とつぶやき、怪訝そうに空を見上げる。


「確かに美しいが、一人歩きは危険だ。次からは供をつけるように」

「はい、陛下。申し訳ございません」

「謝る必要はない」


 もどかしげに言い、私の腕を掴んで顔を覗き込む。


「また、私から逃げる気か?」

「いいえ、陛下」

「本当に?」


 言いながら抱き寄せられて、私は息を止めた。


「身体がこわばっている。私が恐ろしいか?」


 硬直したまま、何も言えない私の耳に、彼の自嘲めいた声が届く。


「恐ろしいだろうな。私はそなたを殺しかけた男だ」


 確かに、あの時は怖かった。

 首を締められた時の、生々しい手の感触は、今でもはっきりと覚えてる。


 許してくれと、震える声で彼は言った。

 

「あのような真似は二度としないと誓う」


 以前の私は、番の意味すら知らず、彼の激情を煽るようなことをした。

 自分のことしか考えていなかった。


「瑪瑙を……あの時、私の友人を殺したというのは本当なのですか?」

「捕らえただけで、命までは奪っておらぬ」


 あの時は激情に駆られて、心にもないことを言ってしまったと、陛下は反省していた。


「では今は?」

「後宮にはいない」


 陛下の命令で、宮女としての受け入れを断ったらしい。けれどあの子なら、これ幸いとばかりに実家に戻り、自分を陥れた継母と対峙するだろう。ある意味、これで良かったのだと私は苦笑した。

 

 感謝しつつ、陛下の背に手を回すと、彼は感極まったように私を見た。


「もう一度、そなたとやり直したい。やり直す機会をくれ。そのために時を戻したのだ」 


 私は陛下の宮女、青龍の番――逃げることなど許されない。

 そう自分に言い聞かせて、私は笑顔でうなずいた。


「陛下が、それをお望みなら」

 





 ***






 

 翌朝、老骨に鞭打ち、同行したら側近らを労うためか、青帝陛下はまっすぐ都へは戻らず、山の麓にある温泉街に立ち寄るよう、龍使いたちに命じた。命令はすぐさま実行され、お忍びでの静養という(てい)で、街一番の宿屋に泊まることになったのだが、




「……お腹は空いてるんだけどな」


 あてがわれた宿屋の一室で、私はぽつりとつぶやいた。昼食として用意された食事は、どれも素晴らしく美味しそうに見えるのに、食べても味がしないのはなぜなのか。


「温泉にでも入って気分変えよ」


 食後のお茶を飲み干して、私はゆっくりと立ち上がった。




 さすがは有名どころの温泉宿。

 龍の山を臨む景色は美しく、水温もやや熱い程度でちょうどいい。

 お湯に浸かった瞬間、あまりの心地よさに、思わず声が出てしまう。


「はうぅ、生き返るぅ」

「ホントねぇ」


 応える声がして、ぎょっとして隣を見れば、


「連油っ、いたのっ」

「いたわよ……ってかあんた、今ごろ気づいたの?」


 傷つくわーと連油。


 ――宮女が何人か、同行してたのは知ってたけど。


「よく後宮から連れ出してもらえたね」

「あんたの作戦がうまくいったからに決まってるでしょ」


 言いながら、むふふと笑う。


 磨きぬかれた、白く輝くような肌に、ほんのり上気した頬、先ほどからチラチラと目に入る胸の谷間がなんとも艶かしい。自分が男だったら、間違いなくこの場で襲っているなと考えつつ、


「作戦?」

「もう忘れたの? わざとドジやって、陛下のお気を引く作戦よ」


 そんなこと言ったっけ?

 

「ドジやるついでに、先輩宮女も巻き込んでやったわ。これまで散々いじめられてきたお返しよ」

「何やったの?」


 興味津々に訊ねれば、「大したことはしてないの」と連油は大きな胸を揺らして得意げに答える。


「陛下の前で派手に転んだだけ。転ぶ寸前、目の前にいる宮女の衣服を掴んだら、びりびりに破けちゃったけど」


 その時のことを思い出したのか、ぷっと吹き出す。


「で、あれから部屋に引きこもって出てこない彼女の代役として、ここにいるってわけ」


 やるわね、と思わず感心してしまった。


「けど最近、考えちゃうのよね。あたしに宮女は向いてないのかなって」


 妙にしんみりした口調で言われ、私は訊ねる。


「だったら何で……」

「都で贅沢な暮らしがしたかったから、単純でしょ?」


 言いながら、パシャパシャっと肩にお湯をかける。


「田舎にいたんじゃ、こんな経験もできないし」

「もしかして後悔してる? 結婚相手も決まってたんでしょ?」


「親が勝手に決めただけ。あたしは正直、乗り気じゃなかったの。隣村の村長の息子で、ものすごく偉そうだったし。あたしのこと、見た目はいいけど頭は空っぽのバカ女だって陰で言いふらしてたのよ。最悪でしょ? あんな男に食べさせてもらうくらいなら、自分で稼ぎに出たほうがマシよ」


 連油は勝気な目をして言い、あらためて私を見た。 


「だからあたし、あんたに賭けてみることにしたの」


 いきなりビシっと指さされ、私は話についていけず、「んん?」と首をひねった。


「しらばっくれてもダメよ。あたし、見たんだから」

「――何を?」


 なんか嫌な予感がする。


 案の定、連油はにっこりと可愛らしい笑みを浮かべて言った。


「昨夜、中庭で、あんたが陛下に抱きしめられてるとこ」


 その瞬間、なぜか血の気が引いてしまった。

 青い顔でうろたえる私を見、連油ははっとしたようだ。

 慌てて背中をさすってくれる。


「落ち着いて、大丈夫よ。あんたは陛下の番なんだから。後ろめたいことなんて何もないの」

「でも、翡翠には言わないで……」


 翡翠? と連油は怪訝そうな顔をする。


「あんた、まさか翡翠に会ったの?」





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