最終話
迎えに来たと言いつつ、睿様は田舎での生活を気に入ったのか、気づけば三日間も滞在していて、
「ちょっとあんた、どうしたの。九十のババぁみたいな顔して」
「やめてよ、まだ花の七十代なんだから。実は最近、夜眠れなくて……」
「あら、あたしもよ」
「そりゃそうよ、夜の夜中にあんな声だされちゃあねぇ……」
「私なんて、わざわざ外へ出て確かめに行っちゃったわよ。どこかで発情期の猫が鳴いているのかと思って」
「田舎の夜は静かだから、余計に響くし」
「一体何をやってるんだろうねぇ」
「バカだねぇ、そんなのすぐに分かるじゃないか」
ずっと家の中に閉じこもるのもよくないと思い、井戸の水を汲みに外へ出たところ、ご近所の奥様方が集まって、夢中でお喋りしていた。
「いいわねぇ、うらやましい」
「何言ってんの、あんたんとこ、まだ旦那生きてるでしょうが」
「やだやだ、美麗ちゃんの旦那さん見たでしょ? 月とすっぽん、馬と糞よ」
「わがまま言うんじゃないよ。生きてるだけマシだろ」
「だいたいどこがうらやましいんだか。いい若いもんが、あんな大声出して、はしたない」
「ホントふしだら」
「頭の固いこと言うんじゃないよ、あんたたち皆、どうせ耳を澄ませて聞いてたんだろ」
「……田舎は刺激が少ないからねぇ」
アハハと笑い声が聞こえる。
話の内容を聞いて、私は思わず足を止めてしまった。
「あの旦那、間違いなく遊び人だよ」
「だね、女の扱いに慣れてる感じがするもの」
「美麗ちゃんのことも遊びじゃないといいけど……」
「大丈夫だろ、あの子はしっかりしてるから」
「どことなく色気もあるしね」
「ありゃあ相当仕込まれてるよ」
「仕込むって何を?」
「あんたもウブだねぇ……色々だよっ」
まさか皆に聞かれていたとは――顔から火が出そうだ。
私もかつて、夜道を歩いている途中、知り合いの家の前で情事の声を耳にしたことがあるが、あれほど気まずい思いをしたことはなかった。
気づかれる前にそっとその場から離れて、家に戻ろうとしたその時、
「どうしたの、美麗。なかなか戻ってこないから、心配した」
すぐ後ろに立つ睿様にぶつかってしまう。
「まだ本調子じゃない?」
「い、いいえ、そんなことは……」
「水汲みなら僕がやっとくから、先に家で戻って休んでなよ」
そのままひょいっと私から桶を奪うと、真っすぐ井戸のほうへ向かっていく。
「やぁ、お嬢さん方、の井戸端会議の邪魔して悪いけど、水を汲ませてもらえる?」
その声で奥様方が一斉にこちらを向いた。
私にとっては人生の大先輩でも、千歳を超える睿様からしたら彼女たちもほんの「お嬢さん」で、
「キャーっ」
「キャーキャーっ」
「ぎゃーっ」
言葉にならないような声を上げて散ったかと思えば、すぐさま睿様を取り囲む。
私が猫なら、彼女たちはさながら鳥――猛禽類だろう。
獲物を前にした鷹のような目で睿様を取り囲み、うっとりと――中には呆然とした様子で彼を見上げたかと思えば、今度は熱心に話しかけている。複数人に同時に話しかけられても睿様は動じることなく、
「うんうん、話ならまたあとで聞くから、ちょっとそこどいてくれないかな?」
笑顔で煙に巻きつつ、優雅に水を汲んで戻ってくる。
「じゃあね、お嬢さん方。いつも差し入れありがとう。今日も楽しみにしてるよ」
顔を赤くしてボーとしていたお嬢さん方は、その言葉でハッと我に返ったらしく、水を汲み終えると我先にと家へ帰って行った。きっと今日も大量のおすそ分けを届けてくれるに違いない。
「あれ、美麗。まだそこにいたんだ。もしかして僕を待ってくれたの?」
嬉しそうな顔で当たり前みたいに手を繋いでくる彼を見上げて、「この人たらしめ」と毒づく。
なんだかおもしろくなくてふくれっ面をしていると、
「何を怒ってるの?」
しつこく訊かれて、
「だってあの人たち、睿様の悪口を言ってたんですよ。遊び人だって……」
しぶしぶ答えれば、
「美麗がヤキモチ焼くなんて珍しい。嬉しいな」
はしゃいだ声を出して、子どもみたいに繋いだ手をぶんぶん振り回してくる。
桶の水がこぼれないか心配だし、期待した答えとも違っていたけれど、
――ま、いいか。
彼が幸せなら、私も幸せだから。
「それにしても、こんなに長居して大丈夫なんですか? 睿様がいなくなって、宮城の方々が困っているんじゃ……」
「力が回復した時に分身を送っておいたから平気だよ」
「でも、そろそろ帰らないと……お世話係の女の子たちも心配していると思うし……」
彼女たちにも本当に申し訳ないことをしてしまった。
女主人がいきなりいなくなって、さぞ当惑していることだろう。
それもそうだねと睿様は頷くと、
「新婚旅行ももう終わりかぁ」
残念そうにつぶやく。
「でも、また行けばいいや」
「今、なんて言ったんですか?」
「別に。こっちの話」
その日の夜、無事に宮城に戻った私たちを、王さんを含むお世話係の女の子たちが涙ながらに出迎えてくれた。それからいつものように睿様に抱かれて眠りについた私だったが、
『俺、もうすぐ結婚するんだ。羨ましいか? 羨ましいだろ、美麗』
久しぶりに幼馴染の夢を見た。
けれどあの時みたいな絶望感や悲しい気持ちはなくて、
「そうなんだ、おめでとう」
心の底から祝福することができた。
「幸せになってね」
目を覚ますと、睿様が不機嫌そうな顔で私を見下ろしていた。
「今、夢を見てたでしょ? なんの夢?」
「……秘密です」
ずっとは隠し通せないだろうけど、今は黙って彼に寄り添いながら、生まれ変わった自分に酔いしれていた。
終わり
最後までお読み頂きありがとうございます。
とりあえず一区切りがついたので、完結です。
混沌の話をしたら暗くなるからどうしようかなと考え中。
少しでも続きや新しい章が読みたいと思ってくださったら、
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連載中の新作のほうですが……一度、更新するのを忘れてしまい、そのままずるずると……。
どうせなら完結まで書き上げてから更新しようかなと。
ちゃんと終わりまで書くつもりなので(いつ終わるかは未定ですが)
気長にお待ち頂ければ幸いです。
どうもでした。




