夫婦の甘いひと時
「君が僕に黙って宮城を出たと知った時、怒りでどうかなりそうだった。正直、裏切られたと思ったよ。笑っちゃうよね。君はただ、肉親に会いに行っただけなのに……」
睿様はため息をつくと、ゆっくりと布団の上で仰向けになる。
ただし頭は枕の上ではなく、私の膝の上にあった。
いわゆる膝枕というやつである。長時間やると足が痺れてしまうから苦手だけど、今回ばかりは彼が眠りにつくまで動かないと決めていた。私なりにお詫びがしたかったから。
「今だから冷静に話せるけど、あの時はおかしくなってて、早く君を連れ戻さなきゃって必死だった。記憶も定かじゃないんだ。それくらい頭に血が上ってた。そしたら目の前に青龍が現れて――天帝陛下の声も聞こえたかな? で、気づいたら歩けないほど痛めつけられて地面に寝転がってた」
「歩けないのに、どうやってここまで来たんですか」
「幸い翼は無傷だったから、飛んできた」
そういえば、家の中に入る時も彼は翼を使って移動していた。
もしも自分に翼があったら愛する人のところへ飛んでいきたい……なんて言葉をよく耳にするけれど、彼はそれを実践してくれたわけで……もっとも今は喜びよりも心配のほうが大きくて、
「動けるようになるまで、安静にしないとダメです」
「うん、安静にするよ。美麗が看病してくれたら、すぐに良くなる」
言いながら彼は甘えるように私の手を握ってくる。
それから二三度、わざとらしい咳払いをすると、
「ところで……青龍に何かされなかった?」
「何もされていません」
彼の手を優しく握り返しながら私は笑って答えた。
「どうか誤解しないでくださいね。全部、私が悪いんですから」
きちんと事情を説明した上で、彼の言葉をそのまま睿様に伝えると、
「そうか……僕ら二人とも、彼に救われたんだね」
睿様は苦笑いを浮かべてつぶやく。
「まぁ、薄々そんな気はしていたけどね。君の居場所もこうして教えてくれたわけだし」
「あとでちゃんと仲直りしてくださいね」
「それはできない」
どうして? と首を傾げる私に、「ムカつくから」と彼は答える。
「当分、あいつの顔を見るのも嫌だ」
その瞬間、男は幼稚でわがままだという言葉を思い出して、おずおずと訊ねる。
「もしかして、まだ怒っているんですか?」
睿様は答えない。
けれど私の手を掴んで離さないから、挽回の余地はあると思う。
「……眠れないのなら、お酒をお飲みなりますか?」
「やめとくよ」
ごろんと横になって、私の太ももに頬を押し付けてくる。
「酒を飲むと自制できなくなるから」
と言いつつ、
「……やっぱり飲もうかな」
「どっちなんですか?」
困惑する私に、
「美麗が口移しで飲ませてくれるなら、飲む」
無理難題を吹っかけてくる。
やっぱりまだ怒っているのだと私は確信した。
「普通に飲んだ方がいいと思います。うまくできなくてこぼしてしまったら……」
「なら飲まない」
子どもみたいに不機嫌になって、ぷいっと顔をそむけてしまう。
私は慌てて立ち上がると、
「すぐにお酒を持ってきます。おつまみも用意してあるんですよ」
自分でも馬鹿みたいだと思うけど、彼に許してほしくて必死だった。
母親のようにかいがいしく彼の世話を焼きつつも、妻としての務めも忘れない。
大真面目にお酒を口に含んで、こぼさないよう慎重に彼に飲ませた。
お酒が強かったせいもあるのだろう。
私はたいして飲んでいないのに、あっという間に酔いが回ってしまい、
「おつまみも食べさせて」
「分かりました、あーんしてください」
「あーん」
完全に馬鹿カップルの出来上がりだ。
「美麗、お酒はもういいから。舌を出して」
彼のことが大好きだ。心から愛している。
離れている間もその思いは強くなっていき、今にも爆発しそうだ。
けれど多少の理性はまだ残っていて、
「変な顔になるから、嫌です」
「なんで? 可愛いのに」
「でも……恥ずかしい」
「恥ずかしくてもやるんだよ」
美しい顔で、期待に満ちた、きらきらした目で見上げられて、誰が抵抗できるというのだろう。
「当然でしょ、夫婦なんだから」
その言葉で陥落してしまう。
気づけば彼の言いなりで、
「暑くなってきたから、服を脱がしてくれる?」
「やっぱり寒くなってきたから、二人でくっついて寝よう」
そのまま温かな布団にくるまって、朝までぐっすり眠った。
わけもなく、
「美麗のおかげで元気が出たよ。ほら、自力で歩けるようにまでになった」
「そうですか……よかった」
一方の私は朝から疲労感が半端なく、ぐったりしていた。
「ごめんね、僕のせいだ。僕が美麗のエネルギーを吸い取っちゃったから」
「そんなこと、できるんですか?」
「双方の心の結び付きが強ければね。美麗が僕の傷を癒してくれたんだよ」
よく理解できなかったけれど、彼が元気ならそれでいい。
早速起きて朝ごはんを作ろうとしたところ、
「美麗、大丈夫? 今日は無理しなくていいから」
生まれたての小鹿のように足をガクガクさせる私を、睿様が即座に気遣ってくれる。
「ほら、横になって。今日は一日ゆっくりしてていいから。帰るのは明日にしよう」
お言葉に甘えて、私はしぶしぶ布団に戻った。
そんな私を、今度は睿様が看病してくれる。
「ほら、美麗。近所の人が食事を持ってきてくれたよ。今度は僕が君に食べさせてあげる。あーんして」
「じ、自分で食べられるのでやめてください」
「やめない。僕の機嫌をとりたかったら言うことを聞いて」
素面でそんなことはできないと思ったが、
「あーん」
結局その日、朝から晩まで、私の彼の言いなりだった。




