夫が迎えに来ました
睿様が私を迎えに来る数日前のこと、
「怒った旦那をなだめるにはどうしたらいいか、だってぇ?」
私は手作りのお菓子を手に、村の集会にお邪魔していた。
今は休憩時間なので男女別にわかれて、それぞれお喋りを楽しんでいる。
農家に生まれたご婦人たち、もしくは嫁いでこられた強者たちを前にして、私はつい自分の心配事を話してしまった。悩んだ時は、人生の先輩方に教えを乞うのが一番だと知っているからだ。
「怒らせときゃいいじゃないの、そんなの」
「若い頃は逃げて隠れてたよ、あたしは。いつの間にか機嫌直ってんだから」
「今じゃ怒ったってちっとも怖かないけど」
「慣れたもんよ」
「うちはあたしばっか怒ってるけど」
「あんたんとこ、しょっちゅう夫婦喧嘩してるもんねぇ」
「十七の時に嫁いで来たから、もう結婚して五十五年だっけ?」
「五十年。今は別居中。旦那は五年前から墓の中だから」
「あら、うちもだ」
どっと笑いが起きたかと思えば、
「なぁに、美麗ちゃん、可愛い顔して、旦那を怒らせるようなことをしたの?」
興味津々という視線を受けつつ私が口を開きかけると、
「え、美麗ちゃん結婚してるの?」
「バカだねぇ、見りゃ分かるだろ。綺麗なおべべ着てるじゃないか」
「旦那はそうとう金持ちだよ」
「なんだぁ、うちの息子の嫁に来てもらいたかったのに」
「だなぁ、美麗ちゃん、働き者だもの」
再び会話が始まり、口を閉じる。
彼女たちは私が神獣様の番だということを知らない。
話せば壁を作られてしまいそうで――こんな風に気さくに相手をしてもらえないかもしれないと思い、怖かったからだ。けれど嘘を吐きたくなかったから、話せる部分だけ話して、睿様の身分や仕事に関しては黙っていた。
「ちょっと黙んなよ、あんたたち。まずは美麗ちゃんの話を聞かなきゃ」
その一声でシーンと場が静まり返る。
いつも以上に関心を寄せられて、恥ずかしいやら照れくさいやらで私は口を開いた。
「夫に黙って、家を出てきてしまったんです。弟たちに会いたくて。夫はダメだって言っていたのに、弟たちのことが心配で、言うことをきかなかったの。きっとものすごく怒っていると思うわ」
ご婦人方は互いに顔を見合わせると、
「ずいぶんと嫉妬深い旦那だねぇ」
「わがままなんだよ。男ってもんはたいていそうさ」
「美麗ちゃんを見なよ、こんだけ美人の嫁さもらったら、そりゃ心配にもなるだろ」
「なんか梓琪ちゃんとこと似てるねぇ」
こそこそと話し合ってる。
「しきちゃん? 2年前に亡くなった?」
「若い頃は村一番の美人だったじゃないか」
「あーあ、だもんで、旦那が一歩も外へ出さなかったっていう話ね」
「男には二種類いるからね。美人の嫁を見せびらかして自慢する男と……」
「家の中に閉じ込めて誰にも見られないようにするヤキモチ焼き」
小声な上に早口なので彼女たちの会話が聞き取れず、私は必死に耳を澄ましていた。
「でも梓琪ちゃん、三十過ぎたら自由に外を出歩いてたよ」
「そりゃ旦那が働きに出ろって、うるさく言い始めたからだよ」
「三十過ぎると一気に容貌が衰えるからねぇ」
「勝手だねぇ、男ってもんは」
「だからわがままなんだよ。何かっていうと、すぐ女のせいにするんだから」
私の話がいつの間にか梓琪さんという女性の話にすり替わっているらしい。
もっと詳しい内容を聞きたくて耳を寄せると、彼女たちはぴたりと話をやめ、
「美麗ちゃんとこは結婚してどれくらい経つの?」
真面目な顔で訊ねられて、まだ一年も経っていないことを正直に打ち明ける。
「だったら簡単だよ、美麗ちゃん」
「可愛くおめかしして、迎えが来るのを待ちな」
「髪を洗って、服はすぐ脱げるように準備するんだよ」
「あとで何本かお酒を持って行ってあげるからね」
「美味しいおつまみも用意するんだよ」
たったそんなことでいいのかと拍子抜けしていると、
「男っていうのは幼稚で単純な生き物だからね」
「お酒飲んで憂さ晴らしさせときゃ十分だよ」
「それ以外なんも楽しみがないからねぇ」
「美麗ちゃんくらい美人なら、可愛く笑って下手に出てりゃ、たいていのことはうまくいくもんさ」
そういうものだろうか。
とりあえず試してみるのも悪くないかもしれない。
私は早速、睿様がいつ迎えに来てもいいように準備を始めた。
弟たちから遠く離れた空き家を、人が住めるように整えて、村人たちからもらった食材で料理を作った。もちろん、お酒に合うおつまみもたくさん作った。彼に喜んでもらいたくて、許してもらいたくて必死だった。
そして、彼は来た。
けれど残念なことに……、
「ぎゃー、こんなところに死体がっ」
ある晩、村人の悲鳴で私は目を覚ました。
この村は青帝陛下の結界で守られている――弟たちが逃げ出さないためでもある――はずなのにと思いつつ、現場に駆け付けたところ、
「死体じゃないよ、おきぬさん」
「生きてる生きてる」
「なんだぁ、勘違いか」
「こんだけ暗いんじゃ、仕方なかろう」
村人たちに囲まれるようにして、一人の青年が倒れていた。
顔を確かめるまでもなく、誰か分かった。
私の愛する夫、睿様だ。
「睿様っ、しっかりしてっ」
まだ傷が癒えていないのに、無理をして迎えに来てくれたらしい。
彼は立つこともできないほど疲れ切って、ボロボロだった。
それなのに私に気づくと、
「……美麗、ごめん」
うっすら目を開けて、強く私の手を握った。
「僕が何かしたのなら謝る。君の意見も聞いて、歩み寄る努力をするから、僕を許して」
彼が謝ることなんて何もないのに。
先を越されてしまい、私はたまらず泣いてしまった。
「一緒にうちへ帰ろう。君がいないと夜も眠れないよ」
うんと頷く私を見て、
「まあ、嫌がっても無理やり連れて帰るけどね」
いつもの軽い調子で答える。
村人たちはいつの間にかいなくなっていて、私たち二人きりになっていた。
睿様が私の夫だと分かったからだろう。
「私のほうこそごめんなさい。勝手にそばを離れたりして」
「許すよ。二度としないと誓ってくれるなら」
誓いますとつぶやいた私を、睿様は優しく抱き寄せ、安堵の滲む声で言った。
「よし、これで仲直りだ」