人は過ちを犯すもの……
過ちは人の性、許すは神の心。
そんな言葉を思い出しながら私は弟たちのために台所に立って、夕食の準備をしていた。
「ただいま、姉ちゃん」
「あー、今日もクタクタだよ」
なんだか昔に戻ったような気分で、「お帰りなさい。もうすぐ夕飯できるからね」と答える。
私たち姉弟は現在、蓬莱国の片隅にある農村でお世話になっている。
博打小屋どころか飲み屋や食堂すらないど田舎だ。
ここで弟たちは一から農業を学び、働いている。
農村の朝は早く、村人たちは皆、日の出前にはもう起きて畑に出て働いている。肉体労働が主で、体力がないと続かない。大変きつい仕事だ。その上、住人は年寄りばかりで、なんの娯楽もない、これなら逃亡生活のほうがまだマシだとぶうぶう文句を言いつつも、お金を返し終えるまでこの村からは出られないので、仕方なく働いているといった感じだ。
『家族だからといって、安易に尻ぬぐいをすべきではない。お前は助けているつもりだろうが、弟たちにとっては不幸だ。責任感は失われ、自力で克服する力も養われない。お前のお節介が弟たちの成長を妨げている』
これまで弟たちを助けてきたつもりが逆に諭されてしまい、私は反論できなかった。
そんな考え方を一度もしてこなかったから。
――私ってつくづく馬鹿ね。
弟たちも、最初こそはつまらなそうにしていたが、「若いっていいわねぇ」「あんた、うちの孫にならない?」「ほら、元気だしな。饅頭あげるから」と村人たちから可愛がられ、何かと頼られることも多々あるせいか、今ではまんざらでもない様子で村になじんでいる。
――これも全部、青帝陛下のおかげね。
まさか再び蓬莱国を訪れることになるとは思ってもみなかったけれど。
あの後、落ち合った先で彼はこれまでの種明かしをしてくれた。
「あ、あなた、神獣様だったの?」
「そうだ」
「なら、紅玉様のお父様?」
「……そうだ」
翡翠と名乗る少年の正体が、実は蓬莱国を治める青帝陛下で、
「ずいぶんとボロボロね」
「朱雀にやられた。けどやり返した。あいつには諸々の恨みがあるからな」
桃源国を出立してしばらく、傷だらけで私たちのところへ戻ってきた翡翠は、なぜかどや顔でそう答えた。
「ついでにボコボコにしてやったから、しばらくは動けないだろう。今は安心して弟たちのそばにいるといい」
「そんな……炎帝陛下はご無事なの?」
心配で居ても立っても居られない私に、
「大切な番が無断で自分の傍を離れた挙句、男と密会していたんだ。動けないほど痛めつけておかないと、周囲の者たちに火の粉が飛ぶ。あいつが自国を滅ぼしてもいいのか?」
そんな大げさな……と思ったものの、翡翠の真面目な顔を見て考えを改める。
「弟たちを叱って、追い返すつもりだったの。まさかこんなことになるなんて……」
そこでハッとして翡翠の顔を見る。
「さっき、炎帝陛下に恨みがあると言っていたわね」
もしかして全て彼が仕組んだことで、弟たちを餌に私を誘拐したのではと疑っていると、
「俺が助けに入らなければお前の弟たちは間違いなく朱雀に殺されていた」
「でも、弟たちを私のところへ連れてきたのはあなたじゃない」
「天帝陛下のご命令で、お前を試す必要があったからだ。元は紅玉の仕事だが、あの子はお前を気に入っている。何とかしてくれと頼まれで、俺が役目を担うことになった」
「試すって何を?」
「朱雀に弟を殺されそうになった時、お前が奴の神名を口にするかどうかだ」
咄嗟に意味が理解できず、私は口ごもった。
そんな私を翡翠はじっと見つめている。
『この名は絶対に口にしてはいけないよ。天罰が下るから』
『母はね、私のことを覚えていないの。禁忌を犯してしまったから』
『天帝陛下は時折、ああして使者を送ってきては、僕らを試すようなことをするんだ』
愛する人に大切な家族を殺されるなんて悲劇だ。
阻止するためなら何だってしただろう。
そしてそんな私を、天帝陛下は罰したに違いない。
あらためて翡翠の顔を見ると、
「でも、試さなかった。それはなぜ?」
「試すまでもない。お前は間違いなく神名を口にしただろう。そういう人間だと出会ってすぐに分かった」
呆れたような、それでいて温かみのこもった声で言われて、私は反応に困った。
「紅玉もそれが分かっていたから、俺に助けを求めに来たのだろう。若いあの子に朱雀の相手は荷が重すぎる」
優しい紅玉様のお顔を思い出して、胸が熱くなる。
「あなたには何から何までしてもらって、お礼の言葉もないわ。弟たちの借金を立て替えてくれて、住み込みの仕事まで紹介してくれた。でも、あなたは大丈夫なの? 天帝陛下のご命令に背くことになるんじゃ……」
「実際に命令に背いたのは紅玉で、俺じゃない。だが紅玉ならば問題ないだろう。あの子は天帝陛下のなだめ方をよく心得ている。それに天帝陛下も、特にあの子を可愛がっておられるようだ。少々のことならば目を瞑ってくださるさ」
その言葉を聞いてほっと胸をなでおろす。
けれど心配ごとは他にもあって、
「炎帝陛下は怒っていらっしゃるでしょうね、私のこと」
「怒り狂ってる。ただし番に対してではなく俺に対してだ」
確かにあの状況では、翡翠が私を連れ去ったと勘違いしてしまうだろう。
あらためて自分の行動を振り返ってみて、なんだか落ち込んでしまった。
私は彼になんの相談もなく――相談したところで反対されると分かっていたから……ううん、今は何を言っても言い訳にしかならない――彼の傍を離れ、遠い他国にいる。これでは、妻が夫に黙って家出したも同然だ。
うつむく私を翡翠は励ましてくれた。
「朱雀の怒りを鎮められるのは番であるお前だけだ。気に病む必要はない」
「……許してもらえるかしら」
私の心配を杞憂だと笑い飛ばすと、
「傷が癒えて動けるようになれば、朱雀は間違いなくお前を迎えにここへ来るだろう」
彼は断言する。
「それはいつ?」
「早ければ十日、遅ければひと月ほどで」
彼の言葉通り、睿様は私を迎えに単身、蓬莱国の農村まで飛んできてくれた。
それからわずか、五日後のことだった。




