エンと名乗る美少女が現れました
翌日から、彼は私の部屋を訪れなくなった。
けれど代わりに現れたのは、
「本日から愚兄に代わってぼ……わたくしが美麗の勉強を見て差し上げますわ」
まさか彼に妹がいたなんて初耳だ。歳は14、5といったところだろうか。
彼によく似た絶世の美少女を前にして、私はうろたえていた。
そんな私から少し離れた後ろで、お世話係の女の子達がこそこそと話している。
「あれって……炎帝陛下ですよね?」
「そうね、あの方が仕事でお忙しい時に使われる分身様よね」
「それがどうして妹になるのかしら。しかも女装までされて」
「陛下だとばれると、美麗様に部屋から追い出されてしまいますから」
「一人二役で兄妹を演じるなんて、痛すぎない?」
「やめなさいよ、そんな言い方」
「そうですよ、美麗様に許してもらおうと、陛下も必死なんですから……」
声が小さすぎて、会話の内容までは聞き取れなかったけれど、彼女達も驚いているようだ。彼女達の主人として堂々としていなければと思うものの、昔から、美人を前にするとつい引け目を感じて萎縮してしまうので、
「あのう……でしたら貴女様のことをなんとお呼びすれば?」
「あー、エンで結構ですわ」
この答えに、再び後方にいる女の子達が騒ぎ出す。
「お名前、そのまんまじゃない」
「さすがの美麗様も気づかれるのでは?」
「いいえ、美麗様はまだ、神獣様のお力について、よくご存知ないから」
「この国が神獣様の結界で守られていることは誰もが知っていることだけど」
「分身様の存在は、宮城で働く者しか知りませんからね」
「美麗様がご存知ないのは仕方のないことだと思うわ」
「さりげなくお知らせしましょうか?」
「そんなことをすれば私達が陛下に殺されてしまいます」
「そうね、美麗様のこととなると、まるで別人のようにおなりだから」
「これは、例のあれでいきましょう」
「分かりました、あれですね」
「見ざる、聞かざる、言わざる」
私が振り返ると、女の子達はぴたりとおしゃべりをやめて顔を伏せる。一体何の相談をしているのかと首を傾げつつ、私はエン様に視線を戻した。
「勉強を見て頂けるのはありがたいですけど、エン様のご迷惑になるんじゃ……」
「ご心配無用ですわ。わたくし、朝から晩まで何もすることがなくて、暇ですから」
「え、でも、エン様は神獣様でいらっしゃるんですよね? 一国を任されておられるのでは?」
「あー、わたくしは兄の補佐的な地位にいるので、それほどやることがないというか」
訝しがる私に、エン様は慌てて、
「なにせ兄が有能なもので、あまりわたくしに仕事が回ってこなくて……」
有能、という部分をやけに強調してくる。
「そうなんですか」
「ですから少しでも兄の役に立ちたいと思い、こうして番様の部屋にやってきたというわけです」
胸を張って答える姿がなんだかとても愛らしくて、笑ってしまう。それに自習にも限界があるし、番である私が無知で無学のままだと、彼にも迷惑をかけてしまうだろうから。
「だったらぜひお願いします」
「良かった。なら勉強の時間はいつもと同じでいいよね?」
「……いつもと同じというのは?」
「あー、兄から夕食前の二時間だと聞いていたので、つい」
「そういうことでしたら、それで」
その日から再び勉強が始まった。
エン様は文字の読み書きだけではなくて、国の歴史や神獣様のことについても教えてくれた。やはり兄妹だからなのか、教え方も彼に似ていて、とても丁寧で分かりやすい。それに、
「どうしていつも向かい側に座るんですか? 隣でもいいのに」
「……距離が近いと集中できなくなるから」
彼と同じようなことを言う。
「ねぇ、美麗。美麗はぼ……兄のこと、どう思ってるの?」
なぜか勉強のあともエン様と夕食をご一緒するようになり、今では日課になっていた。
「どうって……?」
「その、まだ兄に対して怒ってる?」
「怒ってなんていませんよ、初めから」
「でも美麗、急に態度を変えたよね? ……そう兄に聞いたけど」
それは……と私は箸を置いて説明する。
「最初の頃は、よく分かっていなかったんです。陛下のおっしゃっている言葉の意味が。頭では理解していたつもりだったけれど、実感がなかったっていうか……でもあの日、気づいたんです。私は自分のことばかり考えていて、陛下のことを少しも考えていなかった。陛下のためを思うのなら、私はあの方のそばにいないほうがいいと思ったんです」
もっと早くに気づくべきだったと反省する私を、エン様が驚いたように見ている。
「私は、私のせいで苦しむ陛下の姿を見たくありません」
「……そっか」
「それに私を番に選んだのは天帝陛下であって、彼じゃないでしょう? それなのに、行き遅れの私なんかを押し付けられて、炎帝陛下があまりにおかわいそうで……」
普段の私なら、こんな風に自分を卑下したりしないのだけど、相手が絶世の美青年で、一国の主で、不老不死の神獣様なら話は別だ。誰が見ても不釣り合いだと思うだろう。
「なんか……ごめん」
「どうしてエン様が謝るんですか?」
今にも泣き出しそうなエン様を見て、母性本能が刺激されたのかもしれない。私が早くに結婚していたら、こんな年頃の娘がいてもおかしくなかったはず、と思い、私は立ち上がると、そっと彼女に近づき、その華奢な身体を優しく抱きしめた。
細い見た目に反して、骨格ががっしりしている。
――そうだよね、まだまだ成長途中だから……って、神獣様も成長、するんだよね?
彼女の凹凸の少ない体型や平っべたい胸を見て「頑張れ」と心の中でエールを送る。しばらくじっと固まって私に抱きしめられていたエン様だったが、
「ごめん、美麗っ。本当にごめんっ」
火傷でもしたかのように私から離れると、一目散に部屋から出ていってしまった。




