炎帝陛下が後ろから付いてきました
とぼとぼと来た道を引き返しながら、私は落ち込み、反省していた。
せっかく炎帝陛下と二人で話ができるよう、王さんが取り計らってくれたのに、言いたいことだけ言って、早々に逃げ出してきてしまった。だってあれ以上一緒にいたら、陛下が嫌がると思ったから。
――次はもっとうまくやらないと。
最初から嫌がっていたのに、私のわがままに巻き込んでしまった文官さんには本当に申し訳ないことをした。次からは私一人で作戦を練って、一人で実行しようと心に決める。
――正直、全然自信ないけど。
はぁっと盛大にため息をこぼしていると、
「そのため息って、もしかして僕のせい?」
後ろから声がして、私は思わず足を止めた。
まさか背後から付けられているとは思わず、びっくりして振り返る。
「へ、陛下……どうして……」
「だって君が逃げるから」
ふてくされたように言われて、私はハッとする。
男は追われるより追いたい生き物だと聞いたことがある。
――なんだ、だったら最初から逃げれば良かったんだ。
ともあれ、ここで舞い上がるわけにはいかないと気を引き締める。
さもないと炎帝陛下の気が変わって、また逃げられてしまうから。
「私に何か御用でしょうか?」
平静を装って訊ねると、彼は観念したように頷いた。
「君と話をしようと思ってさ」
私の横に並ぶと、「歩きながら話そうか」と優しく微笑む。
「話というのは……?」
「美麗の気持ちは分かったから、今度は僕の考えを君に伝えようと思って」
「それなら王さんから聞きました。陛下は番の存在を呪いのように感じておられると」
「まあ、そんな感じ。でもそれは美麗にも言えることだと思うんだ」
ゆっくりと歩く陛下の歩調に合わせながら、私は懸命に彼の言葉を理解しようとした。理解しようとしたけど、
「陛下、お恥ずかしながら私に学はないので、分かりやすく説明してくださると助かります」
こわごわ頼めば、彼は何とも言えない顔をして私を見る。
ろくに学舎にも通っていないことを知って、さぞがっかりしたことだろう。
「僕、君のこと何も知らなくて……ごめん。分かった」
気を取り直すように一息つくと、彼は再び口を開いた。
「美麗はさ、僕のことを束縛しないって言ったよね。自由でいてほしいって。それは美麗が人間だからできることだけど、神獣の僕にはできないんだ。神獣の、番に対する執着は本当に強くて、自分でもどうしようもない。君が僕以外の男を見たり、触れたりすると、さっきみたいなことになる。けどまあ、あんなのはまだ可愛いほうさ。他国じゃ、番を殺された神獣が七日間で自分の国を滅ぼしたっていう話もあるくらいだから。ここまでは理解できる?」
私は首を傾げつつ、
「でも陛下はずっと私のこと、言い方は悪いですけど、ほったらかしにされていましたよね? ここに来てからも私のことを避けているし。それで執着されてるって言われても……」
「そりゃあ、神獣だって万能じゃない。実際に会ってみないことには番だって分からないからね。自分の目で見て、触れてこそ、ようやく番の存在を認識できる。けれど僕は最初から君を捜すつもりも、会うつもりもなかった」
「それはどうしてですか?」
「……怖かったんだ、君のことが」
短い沈黙のあとで、炎帝陛下は正直な気持ちを打ち明けてくれた。
「番に関わると、神獣は理性を失う。それが嫌なんだ。僕が、僕じゃなくなるみたいで」
私は人間だから、神獣様の気持ちなんて分からないし、理解もできないけれど、そのことで炎帝陛下がひどく苦しんでいるのだけは見ていて分かった。
「だから君のことも避けてた。けど、君にとっても良いことだと思ったんだ。僕がそばにいると、君はとても不自由な思いをするだろうから」
「例えば?」
「外に出るなとか僕以外の男を見るなとか、口うるさく言うだろうし、君にしょっちゅうまとわりついて離れないだろうし、やたらとベタベタしたがるだろうし、うざいだろ、そういうの」
思わず想像してしまい、頬が熱くなるのを感じた。
「最悪、部屋に閉じ込めて監禁するかもしれない」
「か、監禁は嫌ですけど、それ以外は特に……」
「美麗はさ、僕のこと好き?」
真面目な顔で訊ねられて、思わず言葉に詰まってしまう。
「好きなわけないよね? 会ってまだ間もないし、美麗は人間だし」
「で、でも、それを言うなら陛下だって……」
「神獣はさ、そういうの全部飛び越えて番を求めちゃうんだよね。相手が自分のことをどう思っているのかなんて関係ない。どんな手段を使ってでも自分のものにしてしまう。でも僕は、そんな風にはなりたくないんだ。普通の人間を、好きでもない相手と無理やり番わせるなんて、あまりに非道で、残酷だ」
ああ、この人はきっと、見えない何かと戦っているのだと、そう思った。
「まあ、こんなことを言ったら、天帝陛下に対する不敬だって、他の神獣達から怒られちゃうんだけどね。下手したら消されちゃうかも。どうしたの、美麗。暗い顔して。僕の話、分かりにくかった?」
いいえ、とかぶりを振る。
「ただ……私が陛下と同じ神獣様だったら、陛下を苦しませずにすんだのに、と思って」
「仮定の話は無意味だよ。時間の無駄さ」
言いながらも彼は、困ったように鼻の頭を掻く。
「そういうことだから、今後も君のことを避けると思うけど、美麗は好きにしてていいから」
じゃ、と言ってあっさり立ち去ろうとする彼の手を、気づけば掴んで引き止めていた。彼は足を止めると、驚いたように私を見る。
「……どうしたの?」
「陛下にお願いがあります。私に仕事を下さい。何もしないでいるのは、耐えられないので」
「ここで健やかに過ごすことが君にとっての仕事だよ」
穏やかだけど、有無を言わせぬ口調だった。
でも私は、ここで、こんな形で彼と別れるのは嫌で、普段使わない頭を必死に使って考える。
「そうだ、手紙。私が陛下に手紙を書いたら、読んでくださいますか?」
「ん? もちろん読むけど」
それを聞いて安心した。
「だったら手紙を書きます。すぐには、無理ですけど……」
不思議そうに首を傾げる彼に、「私、文字の読み書きができないんです」と仕方なく己の恥をさらす。
「兄弟達の世話があったから、学舎に通えなくて……でも私、馬鹿じゃないんですよ。ずっと食堂で働いていたから、簡単な計算ならできるし。食事のメニューだって、教えてもらったらすぐに覚えたし。だから、文字の読み書きだって、勉強すればきっとできるようになると思うんです」
「もしかして……教師を付けて欲しいの?」
「それはさすがに申し訳ないので、王さんに教えて頂くことはできないでしょうか?」
両手を組んでお願いすると、炎帝陛下は「はぁ」と盛大にため息をついて空を見上げる。
「美麗、僕の言ったこと、きちんと理解していないね」
「ちゃんと理解してますよ。陛下のいないところでなら、自由にしていいんですよね?」
うーん、と陛下は難しい顔をして宙を睨むと、
「……分かった、僕が教える」
長い葛藤の末に吐き出すように言った。
「だから僕の前で、二度と他の男の名を口にしないで」




