第三十三話
翡翠と名乗る青年は、エンのお客様に違いない。だとしたら使用人の私がつっけんどんに接していい相手ではないと、気を取り直して愛想笑いを浮かべる。
「エンに御用なら、彼女はいません」
「……既視感を覚える」
「え?」
「いや、独り言だ」
何だか変わったお客様のようだ。
彼の身なりを見て、お金持ちって皆こうなのかしらと首を傾げてしまう。
「エンに会いに来たのではないのですか?」
「あいつの不在を狙って来た。俺に隠れてこそこそしているみたいだから」
「こそこそ……ですか」
「君こそ、あいつの何なんだ?」
「使用人です」
翡翠はなぜか不機嫌そうに顔をしかめると、
「君以外の使用人は?」
「……いませんけど」
「ならば一人でここに住んでいるのか?」
あれこれ聞かれると自然と警戒心が湧いてきて、私は慎重に口を開いた。
「主人は不在ですので、どうかお引取りを」
翡翠はしまったとばかり顔をしかめると、「分かった」と頷く。
しぶしぶ背中を向ける彼にほっとしたのも束の間、
「次はあいつがいる時に来よう」
――また来るんだ。
不思議と不快感は覚えなかった。それどころか、初対面であるはずが、彼のことを昔から知っているような、妙な懐かしさを感じて、自分でも戸惑ってしまう。
その日、夕暮れ時に帰宅したエンに来客があったと告げると、
「あちゃー、もうバレちゃったか」
肩をすくめて、呆れたように笑う。
「まだ二、三年はいけると思ったんだけどなぁ。あー、ヤダヤダ。あいつの執着心は蛇なみかよ……って、まあ蛇みたいなもんだしねぇ」
「どういう意味?」
「独り言だから気にしないで」
差し出した花茶をおいしそうに飲むエンに、私は訊いた。
「あの方は誰なの? エンの親戚の方?」
「ただの古い友人だよ」
「古いって……おかしな言い方するのね。だってエンはまだ子どもでしょ?」
「幼馴染ってやつさ」
「ずいぶんと年が離れているようだけど」
「友情に歳は関係ない」
それもそうだと、自分の現状を思い出して私は頷く。
「あなたには本当に良くしてもらって、感謝しているわ」
「水臭いこと言わないでよ、お姉さん」
ぽんぽんと隣の椅子に座るよう指示されて、エンの隣に行く。
「ところで今から君にいくつか質問するよ。嫌だったら答えなくてもいいから」
エンは時々、医者みたいな口調になる。それは、私の記憶力に問題があるせいだ。大切な記憶を失って、まっさらな状態にあるせいだと説明されたけれど、いまいち実感がわかない。
「僕の幼馴染に会って、どう思った?」
「どうもこうも、よく知りもしない相手よ」
「人間には一目惚れっていうのがあるじゃないか」
「私の場合はありえないわ」
「そっか、おねえさんはだだでさえ警戒心が強いから」
「……悪かったわね」
「何でもいいんだ。感じたことを話して」
「……本人には言わない?」
「言わないよ。もう二度と会いたくないのなら、そう言って。会わせないようにする」
しつこく訊ねられて、私は観念して口を開いた。
「変に思われるかもしれないけど、初対面って感じがしなかったの」
「そう」
「以前、どこかで会ったことがあるみたいな……たぶん気のせいだと思うんだけど」
言葉を切ってエンの顔を見ると、彼女は真剣な顔をしていた。
「また彼に会いたい?」
「それは……分からないわ」
「どうして?」
「分からないわ、ごめんなさい、エン。本当に分からないの」
本当にそれ以上答えようがなかった。
会いたいとも、会いたくないとも言えない。
けれどエンは納得したように頷くと、
「なるほど、分かったよ」
と明るい声で言った。
「分かったって何が?」
「複雑な乙女心ってやつ。とりあえず二人の邪魔はしないから、好きにしなよ」
何でそうなるの? と、釈然としないものを感じつつも、私は何も言い返せなかった。




