第二十七話
「絶対にブチ切れると思ったんだけど」
「私も思った」
「白帝陛下は、青帝陛下と並んで、とてもお厳しい御方だと聞いていたのに」
「意外よねぇ」
「女子どもにはお優しいのよ、きっと」
「我が陛下と違って」
「珊瑚様以外の女は女ではないから」
「あんたたち、お喋りはいい加減にして、仕事をしなさい、仕事を」
さっきから手が止まっているわよと連油に叱られて、宮女たちは「はぁい」と甘ったるい返事をする。これだから下級宮女はと舌打ちしつつ、連油はあまり怒っていない。可愛い妹たちを見守る姉のような目をしている。なんだかんだ言って、面倒見がいいのである。
彼女たちは今、私の部屋にある調度品を移動させたり、高価な置物の汚れを拭き取り、磨いたりしていた。部屋の掃除は他の使用人たちに任せているが、調度品には決して触れさせてはいけないらしい。どれも高価な代物だからだ。他にも調度品の管理と出し入れ、衣装選びから着替えの手伝い、髪梳りに食事の給仕などもしてくれている。女官である連油は、彼女たちに指示を出しつつ、紅玉の世話と私の話し相手が主な仕事だ。
后である私に与えられた部屋は多い上にとても広いので、調度品の管理だけでも大変だろうと思う。それでも彼女たちは楽しそうに仕事をやってくれているので、私もほっとしていた。
「それにしても、大丈夫なの?」
うつらうつらしている紅玉に膝枕をしてあげながら、連油は声を潜めて訊いてきた。
たぶん、と答えつつも、私も自信がない。
「青帝陛下は何て?」
「自業自得だとばっさり。とりなす必要はないと、笑っておられたわ」
「……外交的にはどうなの、それ?」
確かに、私たち人間なら、大事になりかねない事態だけど。
「神獣にとっては些細なことなのよ、きっと」
「でも、これで当分は来られないわね」
「……だといいけど」
「他の神獣様も、白帝陛下ほどご熱心ではないようだし」
「炎帝陛下にいたっては、完全に無関心よ」
事実、婚礼の儀式で顔を合わせて以降、まるで音沙汰がない。
「ああ、炎帝陛下ね」
言いながら、連油は複雑な表情を浮かべている。
「そういえば連油、炎帝陛下にずいぶんと気に入られていたようだけど」
「あたしというより、あたしの体型がお気に召したみたい。牛女がお好みなのよ」
そういえば以前、胸とお尻の大きい女性が好きだと公言していたような。
「その点で言えば、紅玉は問題外ね」
というより、今は龍の姿をしているし。
人の姿になれるようになっても、きっと私の血を引いているから……。
「将来は……分からないわよ」
「連油、私の目を見て、もう一度言ってみて」
「……ごめんなさい」
***
翡翠の執務室から戻ってくると、室内は緊張した空気が漂っていた。
廊下をばたばたと警備の者たちが行き来している。
どうしたのかと訊ねるも、誰も答えない。
宮女たちは取り乱した様子で、目をきょろきょろさせている。
ややして、真っ青な顔をした連油が口を開いた。
「御子様が、誘拐されました」
ぎゅっと胸を締め付けられるような恐怖を覚えたが、動揺してはいけないと自分に言い聞かせて、ゆっくりとその場に腰を下ろす。
「詳しく話を聞かせて」
お昼寝をしていた紅玉が、気づけばいなくなっていたというのだ。
風通しを良くするために窓を開けっ放しにしていたので、そこから誰かが侵入した可能性があると。
「連油、それはありえないわ」
「どうして?」
「あなたにはまだ話していなかったけれど、この部屋には翡翠の結界が張られているの。限られた者しか出入りできないように。それに、紅玉は幼くても神獣よ。あの子の身体を持ち上げるには、男二人分の腕力が必要でしょうね。普通の人間じゃ、あの子を抱えて、誰にも気づかれずにここから立ち去ることなんてできないと思うわ」
私は平静を装って答える。
「だったら誰が御子様を?」
「自分から外へ出ていったか、もしくは……」
「きっと白帝陛下の仕業よ。そうに違いないわ」
決め付けるのはよくないとかぶりを振るものの、
「でも、御子様が白帝陛下の番だったら? 番だと分かったから、御子様の無礼な振る舞いにも目を瞑ったんじゃないの? それに番を前にすると、神獣様は皆、おかしくなるんでしょ?」
おかしくなるという言い方はちょっと……と思いつつも、状況が状況なので、私も冷静な判断ができなかった。連油に急き立てられるように立ち上がると、私はすぐさま翡翠の執務室へ駆け込んだ。
***
「今すぐ白帝陛下のところへ参ります」
口を開くやいなや、私は言った。
突然のことに、翡翠は目を白黒させている。
「まずは事情を説明してくれ」
「紅玉が、白帝陛下に攫われたかもしれないの」
事の詳細を話すと、翡翠は考え込むように腕組みする。
「眠っているあの子を一目見て、番だと分かったから、連れ去ったのかもしれないわ」
「あり得ない話ではないが……」
「紅玉がどこにいるのか、翡翠には分からないの? 私の時は、すぐに見つけてくれたでしょう?」
確か、血を分けた相手とは、意識を共有できると言っていたような。
「おまえは俺に心を許してるから――だが、紅玉は違うだろ」
私には甘いくせに、娘に対しては、いつも厳しいことばかり言うから。そのせいであなたを怖がっているのよと言いたかったが、口には出さなかった。今は夫婦喧嘩をしている場合ではない。
私の顔を見て、翡翠は立ち上がった。
そんな顔をするなと、困ったように言う。
「俺が直接白虎のところへ行って、話をしてくる」
「ありがとう、翡翠」
「……おまえは来るなよ」
「あら、どうして」
「どうしてもだ」
言いながら、その場にいた文官たちに指示を残して、翡翠は執務室を後にした。
宮城で飼っているどの龍たちよりも、青龍の姿に戻った翡翠のほうが速い。
数刻ほど経って戻ってきた翡翠は、「いなかった」と端的に答えた。
「白虎は紅玉を攫ってはいない」
翡翠の言葉を疑うわけではないが、確認せずにはいられなかった。
「……間違いないの?」
「間違いない。白虎は、紅玉の姿すら、見ていないそうだ」
「だったら私、白帝陛下に対して、大変失礼なことを……」
「疑われるような行動をとった、あいつにも責任はある」
私を責めるどころか、庇う翡翠に、いっそう申し訳なさが募った。
「だったら紅玉はどこに……」
私ははっとして執務室を飛び出すと、足早に歩き出した。
「待て、珊瑚。どこへ行くつもりだ」
「――陛下、どうかお待ちを。御子様の件でしたら、各国に使者を送って……」
私のあとを翡翠が追い、その後ろからぞろぞろと文官がついてくる。
いそいで後宮の自室に戻ると、私は奥の部屋に向かった。紅玉の遊び場を確保するため、ほとんど物置として使用されている部屋で、宮女たちも滅多に近づかない。
ずらりと並んだ調度品の中に、大きな長方形の衣装箱を見つけた。
こわごわ蓋を持ち上げると、
「やっぱりここだったのね」
羽を器用に折りたたみ、丸くなって寝ている紅玉の姿があった。
子どもはなぜか、狭いところに入りたがる。
それは人間も神獣も変わらないようだ。
「白帝陛下に、お詫び状を書かないと」