第二十六話
他国の神獣たちに紅玉をお披露目する件は、翡翠にお願いして、延期してもらことになった。紅玉が番の意味を理解した上で、人の姿になれるようになるまで待って欲しいと。
「今後どうするかは、この子に決めてもらいたいのよ。この子の人生だもの」
「しびれを切らした神獣が、我が国に分身を送り込んでくるぞ」
「その時は……その時よ」
紅玉のことに関しては頑として譲らない私に、結局、翡翠が折れてくれた。
「仮に番が見つかっても、今の紅玉には番だと認識できないだろうし」
「そうなの?」
「子どもが産める年になるまでは、難しい」
だったら尚更、お披露目は控えるべきだと言うと、翡翠も納得してくれた。
「紅玉が子どものうちは、あの子の好きにさせよう」
「ありがとう。あなたなら、分かってくれると思ってた」
「……でなければ機嫌を損ねるくせに」
「あら、何か言った?」
「独りごとだ」
私たち夫婦の心配をよそに、紅玉はすくすくと育っていった。
ここ数年で身体もずいぶんと大きくなって、抱き抱えることができないほどだ。
言葉遣いもしっかりしてきて、物覚えも早い。親の欲目かもしれないが、大変賢く、将来が楽しみな娘だ。そろそろ宮廷作法についても学ばせたいのだが、なにぶん、まだ人の姿にはなれないようで、それだけが気がかりだった。
「見て、かあ様っ」
最近では翼を動かすことに夢中で、部屋の中を自由に飛び回っている。高価な調度品を壊されてはかなわないからと、部屋にある貴重な置物は連油が全て、他の部屋に移してしまった。
「また天井に頭をぶつけるわよ」
「大丈夫……って、いたぁっ」
ほら見たことかと言わんばかりの私の元に、泣きべそをかきながら紅玉が寄ってくる。
昼下がりの、穏やかな時間――この時間が好きだった。
母娘水入らずで過ごせるようにと、連油が気を遣って、二人きりにしてくれたのだ。
彼女は今、他の宮女たちと共に隣室に控えている。何かあればすぐに飛んで来てくれるが、紅玉が頭をぶつけるのはいつものことなので、気にしていない様子。もっとも翡翠に「紅玉を甘やかすな」と厳命されているせいもあるだろうが。
よしよしと紅玉の頭を撫ぜながら、私は笑みを噛み殺した。
「部屋が手狭になってきたわね」
「お外で飛ぶ練習がしたいわ。そうしたら、頭をぶつけずに済むでしょ」
好奇心旺盛で、遊びたい盛りの娘を、部屋の中に閉じ込めておくのは心が痛む。
けれども心を鬼にして、私は首を横に振った。
「お父様がお許しにならないわ」
「どうして?」
「それは……」
理由を説明する前に、ある気配を感じて、私ははっとした。
「また来たわ」
声をかけた途端、隣室から連油と宮女たちが出てきて、私と紅玉をぐるりと取り囲むようにして座った。その間に、連油がすかさず紅玉に絹のシーツを被せて、「御子様、お静かにお願いします」と小声で囁く。
直後、部屋の入口が開いて、豪華な衣装をまとった少年が現れた。
「紅玉に会いに来た。どこにいる?」
銀色の髪に琥珀色の瞳、気難しそうに眉間に皺を寄せた少年が、室内をぐるりと見回している。豪華な衣装にも負けない、華やかな顔立ちをした少年の正体は神獣――西方の地を治める白虎の分身である。
彼が現れると同時に、宮女たちは一斉に頭を垂れて、目線を下げた。
神獣の姿を直視することは、非礼にあたるからだ。
けれど青龍の番である私は許されるらしく、
「恐れながら、娘はここにはおりません」
紅玉を白帝陛下の視線から隠すようにして、前に出る。
「ではどこに?」
「父親のところに」
そう答えると、白帝陛下は落胆したようにため息をついた。
「では会えないな。あいつは俺のことが気に入らないようだから」
「……そのようなことはないかと」
苦笑交じりに答える私を、白帝陛下は探るように見る。
「だったらなぜ、娘を俺に会わせようとしない?」
「夫も申し上げたと思いますが、あの子はまだ、番の意味も知らぬ子どもゆえ……」
「必ずしも番だとは限らないだろう」
「万が一ということもありますし」
何度も説明しているにも関わらず、彼は納得してくれない。
翡翠の目を盗んで、こうして度々、私の元を訪れる。
――よほど番に会いたいのね。
他の神獣を見つけ次第、自分に知らせろ、けして私に近づけるなと翡翠は警備の者や護衛たちに命じているようだが、どうやら効果はないらしい。「お待ちください」と行く手を阻む前に、気づけば神通力で眠らされてしまうようだ。翡翠に来訪を知らせようとする使用人も然り。先触れなど、あったものではない。
それに彼の目的は私ではなく紅玉なので、翡翠もそれほどうるさく言わない。
ともあれ、気づけば即座に追い返してくれる。
――私がしっかりしないと。
私は人の気配――特に神獣の気配に敏感になっていた。
翡翠の血を取り込んだおかげか、人と神獣の区別もつく。
だから今回も、入室寸前で気づくことができたのだ。
「俺が紅玉の番では不満か」
「陛下、そういうことではありませんわ」
仮に彼が、紅玉の番だとしたら、私は白帝陛下の義理の母親になるということ?
ほんの十四、五歳くらいの姿をした少年を前にして、私はふと考える。
私の見た目は十八歳くらいで止まっているから、どう見ても姉弟にしか見えないだろう。そもそもどうして神獣の分身は皆、少年の姿をしているのかしら。翡翠は神通力を節約しているからだと言っていたけれど――分身をあえて成長させたのは私に気づいて欲しかったからで、本来は少年の姿のままなのだそうだ――他の神獣も同じ理由なのかしら。
つらつらと考え事をしていると、
「帰ってっ」
これまで一度も口を利かなかった紅玉が、シーツにくるまったまま叫ぶように言った。
「帰ってよっ、あたしは誰とも会いたくないっ。かあ様を困らせる人なんて、大嫌いっ」
わが娘ながら、物怖じしない無礼な発言に、凍りついてしまう。
招かれざる客とはいえ、相手は西方の国を治める最高君主。
いかに青龍の血を引く娘とはいえ、気安い態度で接して良い方ではない。
あまりのことに、連油や宮女たちの顔からも、みるみる血の気が引いていく。
「御子様、お口が過ぎますよ」
「そうですよ、あんなに素敵な殿方に向かって」
「ちょっと、あんたたち、問題はそこじゃないから」
「ですよね、珊瑚様の嘘がばれてしまったわけですし」
「あんたは、余計なこと言わないのっ」
「……万事休す」
紅玉を諌める宮女たちを連油が窘めている。
けれど彼女たちの主人である私はそれどころではなくて、懸命に言い訳を考えていた。
「へ、陛下……これは、その……」
「よい、悪いのは俺だ」
がくっと肩を落とした白帝陛下の姿に、目を疑ってしまう。
さらに信じられないことに、陛下はそのまま、とぼとぼとした足取りで踵を返した。
「……そこまで嫌われているとは思わなかった」
落ち込んだ声で言い、白帝陛下は姿を消した。




