第二十二話
「見ろよ、あれ」
「ああ、女も男も上玉だ。間違いなく高く売れるぞ」
「特に女のほうはたまらんな。濡れた服が肌に張り付いて……味見でもするか?」
「馬鹿っ、そんなことしたら価値が落ちちまうだろっ」
「価値も何も、もう初物じゃなかろう」
「兄妹かもしれねぇ。着ているもんも、かなり上等だ」
「まあ、雰囲気はどことなく似ているが。だったら、なんでこんなところにいるんだ」
「おおかた、旅の途中で護衛とはぐれたのさ」
「で、疲れて眠りこけてると?」
「馬鹿な奴らだ」
ぼそぼそと男たちの話し声が聞こえる。
起きなければと思うのに、やけにまぶたが重い。
「ちょうどいい、今のうちに捕まえて、町へ連れて行こうぜ」
「そうだな」
「……ん、なんだぁ、こりゃぁ」
「どうした? さっさと行けよ」
「そうは言っても、近づけねぇんだよ」
「何を馬鹿な……って、ホントだ」
「だろ?」
「見えない壁でもあるみてぇだ」
うっすら目を開けると、少し離れた場所に二人の男が立っていた。
どうやらそこから動けないらしく、宙に手を当てて、不思議な動きをしている。
――翡翠が結界を張ってくれていたのね。
感謝しつつも、頼りない自分に申し訳なさを感じる。
「どうするよ? あきらめるか?」
「……なんとか、この壁を壊せねぇかな」
「あんまもたもたしてると、例の怪物に見つかっちまうぞ」
「ああ、この山ん中は出るって噂だからな」
怪物? とその言葉で一気に目が覚めた。
「おい、女のほうが目を覚ましたぞ」
「なんだぁ、あの目」
「人間じゃないのか」
「……人間じゃねぇみたいだな」
雨除けの外套を羽織った男たちは、私を見て、呆然としていた。
「まさか、神獣様じゃあるめぇな」
「んな阿呆な。神獣様がこんなところにいるわけがねぇ」
「けど、もし神獣様だったら――」
「売れるか?」
「その前にわしらが殺される」
「だが、今は弱ってるみてぇだし」
「……なぁ、おまえ、知ってるか?」
ごくりと唾を飲み込みながら、男は声を潜めて言った。
「神獣様の肉を喰らえば、不老不死になれるってぇ話」
「……ってぇことは」
ギラギラとした視線を向けられて、吐き気を覚えた。
なんとかこちらに近づこうと、男たちは見えない壁に体当たりし始めた。
――翡翠を起こすべきかしら。
けれど無理に起こして、また倒れられてしまっては元も子もない。
私はそのまま彼を寝かせることにした。
――結界が壊れることなんてないと思うし。
いずれ諦めて帰るだろう。
とりあえず目を閉じて、男たちを無視することにした。
無意識のうちに、翡翠の感覚を共有しているのか、先ほどからやけに眠気が差す。
眠たくて仕方がない。
気づけばまたもや寝落ちしていて、再び目を開けた時には、
――増えてる?
いくら結界があるとはいえ、周囲を男達に囲まれて、ぞっとした。
数人で大きな丸太を抱えて、見えない壁にぶつけている。
――まだ諦めていないなんて……。
さすがに無視することはできず、私は唇を噛み締めた。
彼らの目的は、翡翠を捕らえて喰らい、不老不死になること。
――もう我慢できない。
こういう時、玉祥だったら何と言うだろう。
考えて、口を開いた。
「おまえたちっ、無礼も大概にせよっ。ここにおわす御方を、どなたと心得るっ」
腹に力を込めたおかげで、意外にも、私の声は周囲に響いた。
「恐れ多くも、東方蓬莱国を治める青帝陛下であらせられるっ。邪な考えを持つおまえたちが、安易に近づいて良い御方ではないっ」
できる限り、玉祥の口調を真似て言うと、男たちは動揺したようだった。
丸太を落として、今にもひれ伏さんばかりにしゃがみこむ。
その様子にほっとしつつ、私は声を落として続けた。
「見ての通り、陛下は今、休息を取っておられる。陛下がお目覚めになられる前に立ち去れ。さもなくば、ただではすまぬぞ」
はったりをかけると、男たちは不安そうに互いに顔を見合わせた。
このまま立ち去ってくれることを祈るものの、男たちはなかなか、その場から動こうとしない。一般人にとっては雲の上の存在である神獣が、すぐ目の前にいるのだ。なかなか諦めきれないのだろう。
もっと何か言うべきか考えていると、
「――ひぃっ」
男たちの後ろから悲鳴が聞こえた。
「逃げろ、出たぞっ」
その一言で、辺りは騒然となった。
「怪物か?」
「あ、ああ、一人やられたようだが、今のうちに――」
私も慌ててそちらに顔を向けると、黒い影のようなものが見え隠れしていた。
目を凝らして、息を飲む。
その怪物は、毛の長い、巨大な犬のようにも、熊のようにも見えた。
両目は閉じられていて、瞳の色はわからない。
大きな口は真っ赤な血で汚れていて、鋭い牙が覗いている。
「うわああっ」
男たちは恐怖に顔を引きつらせながら、一斉に逃げ出した。
足がすくみ、その場から動けなくなった者は、もれなく怪物の餌食となった。
凄惨な光景に、私は息をするのも忘れた。
ぶわっと冷や汗が全身から吹き出し、頬が引きつる。
――あれは何なの。
恐怖のあまり、声が出ない。
身体は凍りつき、無残に引き裂かれる男たちの断末魔を、ただ聞くことしかできなかった。
獲物が息絶えると、怪物は唸るような声を上げて私を見た。
相変わらず目は閉じられたまま、鼻先をこちらに向けた。
かと思えば、地面を蹴って、私のほうに向かってくる。
私は咄嗟に、翡翠の上に覆いかぶさった。
怪物の身体が結界に触れた瞬間、キーンという耳鳴りのような音がした。
結界に阻まれ、その反動で、怪物の巨体がよろめく。
「やめて、来ないで」
怪物は動きを止め、体勢を立て直すと、鋭い爪を結界に突き立てた。
再びキーンという耳鳴りがして、直後に結界に亀裂が入るのがわかった。
――嘘でしょ、翡翠が張った結界にひびが……。
 




