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第十七話


 …………

 ………



 子どもの頃の、夢を見た。


『まったく、やっかいな子どもを押し付けられたもんだ』


 村長である養父に引き取られる前、私を育ててくれた老女の夢。彼女は子どものしつけに厳しく、少しでも反抗的な態度をとると、容赦なく手をあげるような人だった。


『生きているだけで感謝しな』


 それが老女の口癖だった。生前、母がどういう人だったか訊ねると、「ろくでもない淫売女、罪人だ」と吐き捨てるように答えるのが常だった。


『身請けが決まった直後に、店の下男と駆け落ちしたアバズレさ』


 しかし逃亡中に二人は捕らえられ、男は女を庇って命を落とした。女はその時すでに身重で、妓女としての価値は無いに等しく、ゆえに島流しの刑に処されたという。


 護送中に、産婆として女の出産に立ち会った老女は、女の死後、生まれた赤子を引き取った。あまりに私が不憫で、かわいそうだったからだと老女は言っていたけれど、近所の人がこっそり教えてくれた。


『その場にいたお役人さんに、あんたを引き取るよう頼まれたそうよ。他にも罪人はいたし、赤子を連れて旅はできないからって。真っ赤な珊瑚の宝石と引き換えにね」


 だから珊瑚と名付けられたらしい。


『痛い……やめてよ、おばあちゃん』

『おだまりっ。口答えしたあんたが悪いんだろっ』 


 ひとしきり尻を叩き終えると、老女は唾を飛ばしながら私の髪の毛を乱暴に掴んだ。


『それから、二度とあたしのことを「おばあちゃん」なんて呼ぶんじゃないよっ』


 老女は、私の母をかばって死んだ、男の母親だった。


『あんな女にたぶらかされて……よくも……よくも、あたしの可愛い息子を――っ』


 成長するにつれて、母親に似てきた私が許せなかったのだろう。

 老女による「しつけ」は激しさを増し、頬が腫れ上がるまでぶたれたこともあった。

 

 ――痛い……痛いよぉ。


 老女は息子を愛していた。

 愛した分だけ、母を憎んだ。

 

 ――生まれてこなければ良かった。


 こんなに痛い思いをするくらいなら。

 唯一の肉親である祖母を追い詰め、苦しめるくらいなら。


 ――私なんていないほうがいい。



 



 すまない。すまない。





 どこからともなく声が聞こえて、「どうして謝るの?」と私は笑った。

 あなたが悪いわけじゃない。誰が悪いわけでもないのに。

 




 知らなかった。助けられなかった。





 助けが必要だったのは祖母で、私ではない。

 けれど今はどうでもいいこと。祖母は死んでしまったのだから。

 


 


 生まれてこなければ良かったなんて、言うな。




 

 

 ええ、もう言わないわ。だって強くなったもの。

 必要とされているもの。





 愛してる。



 


 私もよ、と答えた瞬間、全身を襲う痛みが消えた。


 目を覚ますと、世界が違って見えた。

 一度死んで、生まれ変わったような気分――見るもの全てが美しく、輝いて見える。

  

「珊瑚」


 近づいてくる気配に上体を起こすと、青帝陛下の顔が飛び込んできた。

 どうやらここは彼の寝所らしい。


「具合はどうだ」


 彼の心配そうな顔を見た瞬間、狂おしいまでの愛しさがこみ上げてきて、息をするのも苦しくなる。


「顔が赤い。熱があるのか?」


 言いながら、額に手を当てられる。

 彼のひんやりとした手の感触が気持ちいい。


「熱いな。まだ休んでいるといい。ここには誰も近寄らせぬ」


 顔は熱いし動悸はするしで、まともに陛下の顔を見られなかった。けれど身体は浅ましくも彼を欲していた。全身が彼が欲しいと叫んでいた。強い衝動を抑えるために、私は寝具の中にもぐりこんで歯を食いしばる。


「苦しいだろう? 私の血がそなたの肉体に馴染むまでの辛抱だ」


 優しく頭を撫でられて、それだけで幸福感を覚えた。


「この感覚は何なのですか」


 訊ねると、彼は首を傾げ、ややして「ああ」と決まり悪そうな声を出す。


「番を前にすると、神獣は皆そうなる」


 知らなかったと愕然としてしまう。この衝動に耐えるには、かなりの忍耐力が必要だ。それと同時に、これまで自分がいかに大切にされていたかを思い知らされて、目頭が熱くなった。


「ごめんなさい……知らなくて」


 手を伸ばして彼の腕に触れると、陛下は感激したように私を見下ろしていた。


「初めてだな」


 ぽつりとつぶやかれて、「何が」と視線で訊ねる。 


「そなたのほうから、私に触れた」


 熱があるせいか、頭が朦朧としてきた。

 いつもの敬語も忘れて、陛下に話しかける。


「初めてではないわ」

「……私とあれは別物だ」

「いいえ、あなたは翡翠よ」


 うつらうつらしながら、私は繰り返す。


「私はいつも、あなたが何を考えているのか、私のことをどう思っているのか、わからなかった。けれど翡翠が私の前に現れて、あなたの、私に対する思いを体現してくれたから、わかったの。翡翠を通して、あなたは私を救ってくれた」


 今私にできる、精一杯の笑みを浮かべると、はっと息を飲む気配がした。


「だからもう……謝らないで」

 









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