第十五話
「やあ、君とまともに話をするのは、これが初めてだね」
てっきり、翡翠がいるのだと思っていた。
彼に似たような気配を感じたから。
明け方、誰かに呼ばれたような気がして、外へ出ていけば、そこにいたのは翡翠ではなく、燃えるような赤髪に金色の目をした、美しい少女だった。
「あなた、どなた?」
いつもならいるはずの護衛の姿がない。下女たちも、珍しく朝寝坊しているようだ。
不思議に思いながら少女に向き合うと、彼女は気の毒そうな顔で私を見ていた。
年の頃は十四、五歳といったところ。
下女にしては上等な……上等すぎるほどの衣服を着ている。
「もしかして上級宮女の方? 玉祥にご用かしら?」
「いいや、用事があるのは君のほう」
男っぽい口調で言いながら、残念そうに肩を落とす。
「君、本当に僕のこと覚えていないんだね」
「……どこかで会ったかしら?」
「ああ、無理に思い出す必要はないよ。説明するの面倒だし。今言ったことは忘れて」
歯に衣着せぬ言い方にぽかんとしてしまう。
「それにしても、また捕まっちゃうなんて可哀想にね。僕が逃がしてあげようか?」
話の展開についていけず、眉を顰める。
「逃がすって……」
「好きでもない相手と番わされて、うんざりしてるんでしょ? この状況から逃げ出したいって思わないの?」
その口調と、翡翠に似た気配から、彼女が只者でないことは、何となく察しがついた。
私は慎重に口を開く。
「……この国のどこにも、逃げ場なんてないと思うけど」
「だったら国外へ逃げればいい」
「結界があって、出られないわ」
「神獣の張った結界は、同じ神獣には効かない。その番にもね。知らなかった?」
やはりこの方は翡翠と同じ、他国の神獣の分身に違いないと、私は確信した。
赤い髪に黄金色の目をした神獣といえば、一人しか思い浮かばない。
「炎帝陛下でいらっしゃいますね」
玉祥から習ったばかりの、貴賓に対する礼をすると、「もうバレたか」といたずらな笑みを返される。
「君、案外鋭いんだね」
「……普段は、察しの悪いほうなのですが」
「それで、どうする? 僕の国に来る?」
ぴたりと視線を定めて、正面から私を見る。
私は微笑んで首を横に振った。
「参りません。そもそも、逃げる必要などありませんから」
「青龍が怖い? 僕なら、君を守ってあげられると思うけど」
不思議に思って陛下を見返すと、
「君は覚えていないだろうけど、あいつはもう何度も君に振られているんだ。君に先立たれる度に、時間を巻き戻してやり直そうとするもんだから、空間に歪みが生じてね、異常気象が発生したり、結界に綻びが生じたり……まあ早い話、あいつのせいで色々と迷惑をこうむってるわけ」
それは知らなかったと、私は申し訳なさのあまり、頭を下げた。
「申し訳ありません」
「君が謝ることないよ。悪いのは全部あいつだから」
「……ですが」
「だから君には、僕の国に来てもらって、あいつにこれ以上、好き勝手させないつもりだったんだけど」
申し訳ありませんと再び頭を下げると、炎帝陛下は複雑な表情を浮かべていた。
「どうやら、いらぬ心配だったみたいだね」
「全て……私が悪いのです。神獣がどういう存在かも知らず、番の意味も理解しようとせず、自分の殻に閉じこもって、勝手に決めつけて、思い込んで……大変なご迷惑をおかけしました」
「頭で理解できても、感情の部分はどうにもならない。その辺は大丈夫なの?」
ええ、と力強くうなずいてみせる。
「ですが、青帝陛下にはまだ信用していただけないみたいで」
けれど、過去に何度も拒まれた経験があるのであれば、それも仕方がないことだと理解した。頑なで、思い込みの激しい自分に、本当に嫌気が差す。――それに卑屈だし。
「なら、延命の儀式を受けるつもりなんだね」
「そのつもりです。ただ……」
「ただ、何?」
「陛下は、ご自身の不死を代償にして、私の寿命を延ばすとおっしゃられていたので」
「青龍のことが心配?」
うなずくと、炎帝陛下は困ったように眉を下げた。
「僕からしてみれば、延命というより命を分け合う、みたいな言い方のほうがしっくりくるんだけどね」
「命を分け合う?」
「番である君が死ねば、青龍も死ぬ。青龍が死ねば、君も死ぬ」
つまりそういうことだと言われて、はっとする。
短い沈黙のあと、
「炎帝陛下の番の方は、どういう方ですか?」
ふと興味を覚えて訊ねれば、
「ああ、それ聞いちゃう? 僕の番はまだ見つかっていないんだ。捜すつもりもないけどね」
そんな神獣もいるのかと、驚く私に、陛下は嫌そうに続けた。
「ただでさえ、国を任されて不自由な思いを強いられてるっていうのに、その上、番に囚われるなんてまっぴらごめんだからね。それに僕の国には可愛い女の子がいっぱいいるし? 好みのタイプは胸とお尻の大きい子だし? 自分で相手を選べないのなら、必要ないね、番なんて」
清々しいほど、きっぱりと言い切られて、呆気にとられてしまう。
というか、女性なのに女性がお好みなの? と別のことに気を取られていると、
「おい」
不機嫌そうな声がした。
「人の女にちょっかい出すなよ、朱雀」
「あーあ、もう見つかちゃったか」
気づけば翡翠が、私たちの間に立っていた。
「珊瑚も、俺以外の男に近づくなって、あれほど言ったろ」
男? きょとんとして辺りを見回すと、
「こいつのことだよ」
珍しく怖い顔をして、翡翠は炎帝陛下を指差す。
「この腹黒野郎の見た目にだまされるな」
「相変わらず失礼な奴だね、君は」
不愉快そうに鼻を鳴らす炎帝陛下を見下ろして、翡翠は続ける。
「さっさとこの国から立ち去れ」
「やれやれ、高潔無比の神獣が、番のこととなると、どうしてこうも人格が変わるのかね」
「……おまえも番を持てばわかるさ」
「僕は絶対、そうはならないよ」
にわかに強い風が吹いて、目を瞑る。
目を開けた時、炎帝陛下は姿を消していた。
美しい緋色の羽を、いくつか残して。




