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第五論:権威主義傾向と被虐性愛

2019/09/21

No.05

「権威主義傾向と被虐性愛」



 人が権威に服従することは、さして珍しい現象ではない。我々人間は所詮、集団に加わりたいという切実なる欲求からは逃れられない。かつてマズローが唱えた「欲求段階説(1)」によれば、集団への帰属欲求は生命維持欲求や安全・安定の欲求につぐ第三番目の欲求とされ、人間が集団を形成し、またその構成員たりたいと欲することがいかに重要な問題であるのかが明らかにされた。人は何かに帰属し、何かを遵守し、そして何かに服従する。集団としての群れからは、やがてリーダーが生まれ、先導する者とされる者、使役する者とされる者、支配する者とされる者とが出現するに至った。

 人間の性格類型には幾つか種類があるが、その中で、因襲主義に囚われがちで、権威に対して服従し、強い人間不信の念を抱きやすく、また反民主主義的イデオロギーを受容しやすいようなタイプを「権威主義的パーソナリティ(authoritarian personality)」と呼んでいる。

 新フロイト派の社会心理学者フロムは、このような性格をサド・マゾシズムの表れととらえ、権威ある者への絶対的服従と、自己より弱い者に対する攻撃性格(2)の共生だと指摘した。また、フロイト左派の社会心理学者アドルノは、権威主義(authoritarianism)をファシズム的兆候だととらえて、そこには力に対する服従と、弱者に対する虐遇や迫害との奇妙な複合があると指摘した。

 ファシズムの台頭を受け入れた1930年代のドイツ中産階級の心理を、社会心理学的に分析・解明したフロムの実績を、アドルノが民主主義的パーソナリティの対置概念として、尺度化してとらえようとして生まれたこの性格類型は、精神分析学・心理学に限らず、政治学・社会学にも大きな影響を与えたことは想像に難くない。

 ナチス(Nazis)が興味深いのは、この政党が単に武力闘争やクーデタによって政権の獲得を実現したのではなくて、民衆の熱望によって議席を獲得し、第一党となった点にこそある。アドルフ・ヒトラーという一人の画家崩れの政治家に、多くの国民がその身を委ね、忠誠を誓い、そして何百万、いや何千万ものユダヤ人を虐殺したという。だが、このような当時のナチス党員・ナチス支持者の社会学的心理にみられるサド・マゾシズムの傾向は、何もドイツ国民だけに限ったものではない。

 精神分析(3)では、人間にはサディズムもマゾシズムもいずれの性愛も発現しうると考える。被虐嗜好たるマゾシズムは、本来他者へ向かうはずだった加虐嗜好たるサディズムが、自己へと反転したものだと考えられている。一方で、「根源的マゾシズム」と呼ばれる考え方もある。人は、乳幼児期の母子関係から根源的には被虐性を備えるとし、この考え方に立てば、たとえば虐待・DVなどの事例における加害者の心理を、本来なら自己に向かうはずだったマゾシズムが他者(被虐待者)へと逆転したとみることもできるのである。

 いずれにせよ、これら二つの異常性愛は一見、相反する性倒錯であるように見受けられる(無論、性倒錯者の心理がここまで単純であるとは考えられない。サディストが他者を加虐する時、そこには単に肉体的・精神的苦痛を与えたいという欲望の他に、他者を虐げることによって、自己の存在を崇高なるものと認識し、あるいは再認識し、疲弊し枯渇した自らの自尊心あるいは自己愛を充足したいという欲望が作用しているものと思われる)。だが、同一人物がマゾシズムとサディズム、両方の傾向を示す事例が幾つも報告された。そこで、両方の特性を合わせ持った場合を苦痛嗜愛(algolagnia)あるいはサド・マゾシズムと呼ぶに至った。

 フロムやアドルノの研究は、ドイツ国民にサド・マゾシズムの傾向を認め、それを権威主義的パーソナリティという人間の性格類型にまで発展させたところに意義深さがあるのではなかろうか。人間には、マゾシズムとサディズムという二つの傾向が根底にはあって、これらは無意識下でイド(id)やリビドー(libido)と複雑に結びつき、絡み合い、複合し合って多次元的な欲動(本能衝動)を形成する。我々は、本能的部分からわき上がる欲動から逃れることはできない。所詮、我々も生物の一個体に他ならない。単純なる我々の思考は、誰かに身を委ね、すべてを捧げたいというマゾシズム的志向と、しかし誰かを責め立て追い詰めることで充足感を得たいというサディズム的志向との、せめぎ合いの中で形作られて行くのだろう。

 であるならば、ファシズムの台頭は何もドイツ国民に限った現象だったとは言い難い。すなわち、以上のことから、あらゆる人間、集団、人種、民族、国家に起こりうる現象であることが示唆される。






○注釈


(1)人間の発達とその可能性の探究を目標として、Maslowが提唱した欲求の動機づけのための理論。人間の欲求を構造として捉え、基礎的段階から順に、①「生理的欲求」、②「安全・安定の欲求」、③「社会的欲求」、④「人格的欲求」、⑤「自己実現の欲求」の五段階を成すと主張した。


(2)人間は根源的にはマゾシズムの性質を持ち、子は母の前では常に受け身の関係であらざるを得ない。一方で、一定年齢以上の幼児が人形遊びに耽る行動が観察されうるが、Freudによれば、これは自らを「母親」に見立て、人形を完全従順なる被使役者として支配したい、という願望の現れであるという。人間には、それ以外の動物種と同様に、遺伝子レベルで自己保存欲動が備わっている。しかし、一方で、Freudはそれと対置する概念として「死の欲動」を提出した。これは非常に難解な概念であって、精神分析界でも賛否両論が甚だしい。だが、サディズムがこの死の欲動の歪んだ現れであるという考え方に立てば、人の加虐嗜好や加虐行動から、逆説的にこの死の欲動が理解されうるのではなかろうか。


(3)すなわち精神分析(学)とは、精神療法という治療的側面と、その治療過程から得られた経験に基づく精神病理学的理論という理論的側面とを有する。精神分析は、精神分析自身が持つ二面性により、精神療法であると同時に、健康・不健康を問わず、人間(人類)の心理というものを解明しようとする一つの科学であり、また「人間とは何か」という太古からの哲学的命題に対して答えを導き出そうとする一つの思想でもある。






○参考文献


・藤田博史 (2006). 性倒錯の構造 青土社

・前川重治 (1985). 図説 臨床精神分析学 誠信書房

・鈴木晶 (1992). フロイト以後 講談社

・若田恭二 (1995). 大衆と政治の心理学 勁草書房


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