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序論:心理哲学評論の創設に寄せて


 人間とは何かーー。


 この問いに、今直ちに答えることは甚だ難しい。

 私の好きな格言に、「多くを知る人は、自身が多くを知らないということをよく知っている。」というものがあるが、この言葉は良く的を射ていると思われる。


 人間とは何かーー。

 この問いは、古代ギリシアの時代からの価値ある遺産である。


 ところで、心理学とは、「人間とは何かーー」を探究する学問である。

 1879年、ブントがライプチヒ大学に心理学実験室を開設したその時まで、心理学は単に哲学の一領域に過ぎなかった。

 哲学が、「人間とは何かーー」を探究する学問である以上、心理学もまた否応なくこのテーマから逃れることはできない。



 心理学の一領域である精神分析学の目指すところもまた、「人間とは何かーー」を探究することであって、この問いはひいては科学諸学問全体の究極的なテーマでもあるように思われる。

 精神分析は「無意識」を手がかりとしてこの「究極的問い」に関わる諸問題を解明せんとするが、それは単に精神分析の祖であるフロイトの功績が「無意識の発見」にあるからではなく、この発見(と言うよりは科学的・心理学的立証)が人類における最も重大な事柄に他ならないからである。すなわち、人類全体の意識存在の根幹に関与しうる。



 

 心理学とは、種々の実験や調査、面接や観察などを通して、科学的に「人間」を研究する科学学問である。


では、他の科学学問はどうなのだろうか。

確かに心理学はその出自が哲学という人文学問である以上、純粋な科学学問とは受け入れられないでいる感はあるし、また心理学の研究者たちもそのことをネガティブに受け止めている。

しかし、本当にそうなのだろうか。たとえば物理学や化学は純粋な科学で、心理学のような学問は純粋な科学たりえないのだろうか。


このような誤解をし続ける限り、科学研究者に科学を語る資格はないと、私は思う。


そもそもとして、科学とはこの世界をいかにして〈正しく〉理解するか、ということに端を発する世界認識の一手段である。あるいは〈美しく〉と称しても良い。いずれにせよ、科学という「物差し」を駆使して、いかに適切かつ適当に、この世界を認識し、理解し、解釈するかの方策の一つなのであって、究極的な意味での〈正しい事実〉など、この世の何処にも存在しない。存在したとしても、それを認識し、理解する者が「人間」である以上、それをどのような価値基準で解釈するかで、世界の見え方、捉え方はいかようにも変化してしまう。


賢明な研究者は、科学と科学主義を混同してはならない。


また、科学はその基盤に「物質」をおいたために、常にこの世界を物理世界(物理空間)として認識する。いまや万物の構成要素は素粒子であるというところまでは研究が進んでいるが、これも決して「真実」なのではなく、そのように理解した方が、全体の科学理論との兼ね合いで、整合性が保たれるというだけに過ぎない。


何を、どのように解釈するかが個別の人間の意識にかかっている以上、これはもはや完全に心理学の対象となろう。と同時に、人間もまたその身体は物理物質で構成されている以上、やはり人間探究は物理学の範疇である。




以上が意味することは、「人間」の探究に、文理の隔たりはないということなのである。


従って、この場所は、「人間とは何かーー」を探究する者である限り、常にその門扉が開かれる。

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