表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アイドルとマネージャー  作者: 伊達 虎浩
13/82

第1章 九段坂千尋

 

 とても静かな事務所。


 かつてのような慌ただしさもなく、夢を語りあった机なども何もない事務所。


 殺風景な事務所の中を見渡していると、背中越しに声をかけられた。


「ねぇ、修二」


「…何ですか?」


「今度はさ、逃げ出したりなんかしたら…ダメだからね」


「……!?」


 どういう意味かを聞こうとした俺だったが、俺の背中に、結衣(あねさん)の背中がピッタリとくっついた事に驚いてしまい、声を出せずにいた。


 背中合わせになりながら、結衣は続ける。


「みんな、みんな傷ついた。もう充分ってぐらい傷ついた。そうでしょ?」


「……そうですね」


「だからさ、今度は治す番。みんなでさ、治していこうよ。それが…さ」


()()ってヤツだろ。ありがとな。結衣」


 傷っていうものは、いつか勝手に治るものと、誰かに治してもらわないと治らない傷の、二種類しかないと思っている。


 一生消えない傷などない。いや、一生消えない傷などないと願っていると言い直そう。


 寿命が後40年あったとして、40年間も傷つきっぱなしなんて、真っ平ゴメンだ。


 一生消えない傷は、確かに存在するのだろう。


 だがしかしだ。


 少しずつ、少しずつその傷を治していけば、いつかは消えてなくなるのではないだろうか?


 大から中へ。


 中から小へ。


 そう思っていないと、この世界(げんだい)では生きていけないのではないだろうか。


「修二。お金の事を考えるよりも先に、やっておくべき事がアンタにはある。違う?」


「…あぁ。本当に悪かった」


「私はいい。出来の悪い後輩だって、分かっているから」


 全くその通りだ。


 返す言葉が見つからない。


 だけどきっと、橋本結衣は言葉を欲しがっていないと思う。


 言葉では言い表せないものが、この世界には確かにある。


 そしてそれこそが、橋本結衣が求めているものなのだろう。


「千尋は…社長室か?」


 事務所の右奥にある"社長室"と、書かれたドアを見ながら俺は尋ねた。


「…えぇ。行くわよ」


 言い表せないもの、結衣が求めているものとは何なのか?


 問題にもならない問題だ。


 答えは『態度』である。


 ーーーーーーーーーー


 社長室のドアを数回ノックする。


「どうぞー」


「失礼します」


 千尋から入室の許可が出たところで、結衣から部屋に入っていく。


 小さく深呼吸をした所で、失礼しますと言いながら、俺も部屋に入った。


「あっ!シュウ君。久しぶりだね」


「…あぁ。久しぶり」


 部屋に入った俺を、千尋はいつも通り出迎えてくれた。いや、いつも通りを装ってが正しい。


「…結衣。悪いんだが、千尋と二人で話したい」


「分かった。終わったら、声かけて」


 何故?と、結衣は聞かなかった。もしも聞かれたとしても俺は、絶対にその理由を言わなかったが…。


 結衣が社長室を出て行ったのを確認した俺は、再び千尋に話しかけた。


「…痩せたんじゃないか?」


「ふふふ。ダイエットは、女性の必須スキルだよ」


 嬉しそうに笑う千尋を見て、罪悪感が増していく。もともと痩せている千尋が、更に痩せている姿を見て、罪悪感が生まれないはずがない。


「…千尋」


「ん?何?」


「…大丈夫か?」


「ん?大丈夫かって、何の話し?」


 千尋とは、長い付き合いだ。


 千尋が知らないフリ、分からないフリをする時は、触れて欲しくない話しだということを、俺は誰よりも知っている。


 それでもだ。


 相手が嫌がっているということを、理解したうえで、再び尋ねた。


「お前とは長い付き合いだ。千尋が無理をしているって事ぐらい、見ればわか……る!?」


 バン!!バサバサバサ、と、千尋の机に置いてあった書類が宙を舞う。


 机の上にあった書類を投げつけてきた千尋は、うつむきながら口を開いた。


「大丈夫か、ですって?大丈夫なわけないじゃない!!!」


 ガタッと椅子をひき、バン!っと、机を叩きながら千尋は続ける。


「痩せたな、ですって?当たり前じゃない!雪が死んで、修二が引きこもって、えっ何?二人の事なんか考える事もなく、食べて食べて食べて食べて、プクプク太るような薄情なヤツだとでも思ってんの?ねぇ?私を何だと思っているのよ!!」


 ツカツカと、こちらに向かって歩き出す千尋を、俺は無言で見続けていた。


 先ほど千尋(じぶん)が投げた書類を踏み付けながら、千尋は俺の前にやって来た。


「色んな人に迷惑をかけて、色んな人に無能だって言われて、これで大丈夫なハズがない!!だ、大丈夫なハズ…ないよ」


 ポロポロと両目からこぼれる涙を見て、罪悪感が更に増していく。


「ど…うして。ねぇ、どうして私を一人にしたのよ!どうして、ねぇ?答えてよ」


 ドン、ドン、と、俺の胸を叩きながら、千尋は尋ね続けた。


 叩かれる度、千尋が涙を流す度に、胸が苦しくなる。


 この間までの俺は、誰かに罵声を浴びせて欲しいと強く願っていた。罵って欲しいと、お前の責任だと言って欲しいと、強く、強く望んでいた。


 だがしかしだ。


 俺が望んでいた形は、きっとこうではなかったハズだ。


 千尋に答える事が出来ず、俺は終始無言だった。


 千尋は、我がサクラプロダクションの社長である。


 少ない従業員かもしれないが、千尋は皆んなの人生に深く関わる覚悟を持っていた。


 決して、大袈裟な話しではない。


 人によっては子供がいる家庭もいれば、両親の面倒をみながら働いている家庭もある。


 仕事を失わないように、皆んなに給料やボーナスが払えるように、皆んなが幸せに暮らしていけるようにと、日々考えている少女。


 それが、九段坂千尋(くだんざかちひろ)である。


「…もう、もう、疲れたよ」


 張り詰めていた糸がプツンと切れたのか、両膝から崩れ落ちてしまった千尋。それを見た俺は、慌てて抱きしめた。


 千尋がどれだけ大変だったかを、どれだけ傷つきながら戦っていたのかを、俺は知らない。


 一年間。一年間だ。


 千尋に全ての責任を押し付けて、俺が引きこもった期間…馬鹿か俺は!


 雪の母親と同じだ。


 全ての責任を千尋に押し付ける事によって、俺は救われたかったのだ。


 その結果がコレか?死ねよ修二(クソ)!!


 ずっと千尋は、我慢していたのだろう。


 弱い自分を見せる事を、躊躇(ためら)っていたのだろう。


 そんな千尋を見て、謝る…そうじゃない。


「…大丈夫。大丈夫だ千尋」


「大丈夫なんかじゃない!修二は何も分かっていない!」


「あぁ。けど、大丈夫だ。大丈夫」


「嘘つき!私を置いて逃げた…薄情者!!」


「あぁ。けど、俺は帰ってきた。だから、大丈夫だ。大丈夫」


 千尋が欲しい言葉は、謝罪の言葉なんかではないと思う。彼女はつい最近までの俺と一緒だ。


 九段坂千尋という人間が、考えか方が、価値観が、生き方が、間違っていたのかと悩んでいるに違いない。


 そんな人間(ちひろ)に、ごめんなさいだ?そうじゃない。そうじゃないハズだ。


 どれぐらい千尋が泣いていたのか分からない。ヒステリック気味に泣く千尋を見て、自分の愚かしさをずっと噛み締めていた。


「…私の両手から、色んな物がこぼれちゃった」


「こぼれたなら拾えばいい。拾いきれないなら手伝ってやる」


「…色んな物を失っちゃった」


「失くしたなら探せばいい。なんなら俺が見つけて来てやる」


「…皆んな、皆んな、居なくなった」


「…俺はここに居る。結衣もいる。お前は一人なんかじゃない」


「本当?も、もう…何処にもいかない?」


「あぁ、約束する。俺はずっとお前の側にいる」


 もしもの話しだ。


 コレは神さまが決めた運命なのだとすれば、一体何が目的だというのだろうか。


「…私の夢。まだ、終わりじゃない?」


「あぁ。お前の夢はなんだった?」


「…家族が欲しい」


「そんな大切な夢を、ここで終わらせるのか?」


 そう尋ねると、彼女は首を左右に振った。


「お前の夢は叶うさ。なんなら、俺が叶えてやる。だからさ、千尋。今だけ、今だけだ」


 これまでずっと我慢していた千尋は、大粒の涙を流しながら、大きな声で泣いた。


 なぁ、雪。


 見ているか?


 聞こえているか?


 噛み締めているか?


 千尋の頭を撫でながら、自分の胸元を貸していた俺はというと、終始無言のまま、ずっと天井(そら)を見上げていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ