第1章 陽はまた昇る
タバコを吸い終わった俺は、再び雪の母親と対峙していた。
「霧島さん。日記の最後に書かれてあった事ですが…引き受けてくれますか?」
「…その前に、いくつか質問をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「えぇ、どうぞ」
「妹さんは、芸能界に入りたいと言っているのですか?」
日記に書かれていた事や、母親の態度から、聞くまでもない事だとは思ったが、念の為、確認をする事にした。
「はい」
「…お母様は、そ、その…よろしいのでしょうか?」
自分の娘が死んだ理由ではないにせよ、雪がいた芸能界という世界に、もう一度関わりを持つという事に、抵抗はないのか?と、心配しての質問であった。
「親馬鹿だと思われるかもしれませんが、雪の願い、遥の願い、どちらも叶えてやりたいと思っております」
「そうですか…しかし、問題があります」
「問題と言いますと?」
「現在俺は、マネージャーではありません。どんな理由があろうとも、一年間仕事を休んでいましたので、おそらくクビになっていると思います」
クビだからと言われるのは、当然だろう。
人生はそんなに甘くはない。
というより、辞めると伝えているのだから、クビも何もないか…。
「では、もしもマネージャー職に復帰が出来たならその時は、引き受けて頂けるという事でよろしいですね?」
「こんな自分で宜しければ、宜しくお願いします。しかし、雪の妹だからといって、デビューができる訳でもないですので、まずは実際にオーディションを受けられてはどうでしょう?」
だが、これをしてしまうと、遥のマネージャーになるのが難しくなる、というより、無理になってしまう。
現状クビになっているかどうかは置いといて、俺はサクラプロダクションの人間である。
例えば、結城ひかりのマネージャーをしてくれと言われたら、結城ひかりをウチの事務所に移籍させるか、俺が向こうの事務所に転職するしかないのだ。
つまり、遥のマネージャーになる為には、遥がサクラプロダクションのオーディションに受かるか、遥が受かった芸能プロダクションに、俺が雇ってもらうしかないという事になる。
「実はすでにサクラプロダクションのオーディションに受かっております」
「おめでとうございますと、言うべきでしょうか」
母親の心中を考えるのであれば、どちらが良かったのだろうか…俺には分からない。
「遥さんは、どんな娘さんですか?」
「親馬鹿でしょうが、遥も雪に負けないくらい美人です」
それは、親バカではないでしょう。とは、言わなかった。
自分の子供が世界で一番可愛いと思うのは当然だろ。な?母さん。親父。聞いてる?
「確か、今年20歳になられたハズですよね?」
「……え、えぇ」
いやいや、雪に聞いたんですよ!
何で知ってるの?みたいな感じの母親に、思わずツッコミそうになるが、それどころじゃない。
姿勢を正し、頭を下げながら、俺は告げる。
「お母様。遥さんは必ず俺が守ります。なので、どうか、どうか、もう一度俺に、娘さんの人生を下さい」
遥を守る。
これは、大袈裟な話しではない。
誰からか?と、聞かれたら、悪質なファンだ!とか色々ある。とにかくだ。
人の人生の時間は決められている。
そんな娘の貴重な時間。
貴重な時間を、無駄にするかしないかという事に、俺は深く関わっている。
だってそうだろ?
俺の仕事ぶりが、遥の仕事に直接影響してしまうのだから。
「はい。馬鹿な娘たちですが、これからも引き続き、宜しくお願い致します」
そう言って、母親も頭を下げた。
娘たち。
誰と誰かなど、聞かなくても分かるだろ?
「霧島さん。最後にこれだけは言わせて下さい」
「…はい」
最後。
いつ聞いても、このフレーズは好きになれない。
ビクッとしながらも、姿勢を正した。
「雪は…あの娘の最後の顔を、覚えていますか?」
そう聞かれた俺は、そっと目を閉じて、雪の最後の顔を思い浮かべる。
「とても幸せそうに、本当に、幸せそうに、眠っていた娘」
「…そうですね。本当に、本当に、死んでいるのか疑ってしまうほどの寝顔でした」
「この日記。雪の最後の顔を見て、私は貴方になら、娘をお任せしても大丈夫だと確信しております」
ーーーーーーーー
季節は冬だ。
雪が溶け、桜の花びらが舞う準備の季節。
けれど、やがて桜が散って、蝉が鳴き、紅葉が終わり、また雪が降る。
その度に俺は思い出すだろう。
彼女の事を。
綺麗な雪を見ながら。
「…千尋か?あぁ。あぁ。明後日、大事な話しがあるんだ」
もう迷う事はない。
やるべき事ができたのだから。