第40話 悲痛な叫び
『大丈…夫だ……』
見れば何もない空間に赤い血だけが滴り落ち、透明化を維持し続けるのが難しいのかその姿が徐々に現れてくる。
「お、大きな……犬?」
「「虎だ!」」
レジーナのボケに私と御影の言葉が見事にハモる。
「し、知っているわよ。ちょっと場を和ませただけじゃない」
この場で責められるのが心外なのか、レジーナが視線を泳がせながら言い訳をしてくる。
「お姉さま、いくら聖獣様とコンビを結成したからといって、今はこんな所で漫才をしている余裕はありません」
「「してないわ(よ)!」」
再びユフィのツッコミに以下同文
全く、好きでハモってるんじゃないわよ。
「レジーナ、説明は後でしてあげるから今は落ち着きなさい。この子は敵じゃないわ、聖女様を守護する聖獣。決してツッコミ要員じゃないから安心して」
「わ、わかったわ」
私の適切な説明で、御影を警戒していたレジーナとクリスティーナが落ち着きを取り戻すし、なぜか御影の冷たい視線が突き刺さるが、私には心当たりがないので受け流す。
「それより御影、大丈夫なの?」
「あぁ、問題ない」
全員に聞かせるよう、言葉を口から出して答えてくれる。
最初は少々驚いたが、御影の様子からして大丈夫なんだろう。
恐らく六人目の黒ずくめに体当たりをした際に、たまたま短剣の刀身が触れてしまい、傷を負ってしまったといったところではないか。背中から私たちと同じ赤い血が流れているが、足元はまだしっかりしている。
「ごめんユフィ、私は今手が離せないから御影の治療を」
「はい」
私は今黒ずくめを七人も拘束するために力を使い続けているため、それ以外に使える余力が全くない。
ライムも力の使いすぎで気を失っているようだし、聖女様はお歳のために聖女の力を使わせるわけにはいかない。ここは最近元気なユフィに頼むのが一番いいだろう。
「要らぬ、今はすぐにこの場から退避するのが先決だ」
「でもその傷口、毒じゃないの?」
ユフィが刺された時もそうだったが、黒ずくめの達の短剣には予め毒でも塗られているのだろう。御影の傷口も緑色に変色しているので、毒に侵されているのは明白だ。
「気にするな、我に死の概念は存在せぬ。この毒のせいで幾らかの力が扱えぬが、放っておいても直ぐに完治する」
「……分かったわ」
少々気掛かりは残るが、毒と傷口の治療ともなると時間を取られてしまう。御影も心配ではあるが、安全な場所に退避してから治療を施せばいいだろう。
「お前たち無事か!」
「レクセル!」
声が聞こえた方を見ると、私たちが何時も出入りしている扉とは真逆の扉から、レクセルと十人程の騎士様が入って来た。
「直ぐにここから脱出するぞ」
取り急ぎ御影の姿に驚いたレクセルたちに簡単な説明をし、気を失ったままのシャーロットを騎士の一人に預け脱出の準備を始める。
「ごめんなさい、私は今動けないの」
今も継続的に七人の黒ずくめを拘束するのに力を使い続けているため、この場から動くことができない。これが一人・二人程度なら意識しているだけで移動することも可能だろうが、バラバラに散らばった七人もとなるとかなり集中していないと逃げられてしまう。
「分かった、ランスの班は聖女様たちを連れて先に脱出しろ、他のものは拘束されている賊の止めを……」
「待って! この部屋を血で染めないで。ここはお母さんたちの愛が眠っているの」
レクセルが騎士たちに指示をする途中、慌てて割り込むように声を重ねる。
レクセルの立場なら真っ先に優先するのは私たちの安全だろう。そして今はまだ正面の扉では騎士たちと黒ずくめの戦いが繰り広げられている。この場は確実に黒ずくめの止めを刺し、速やかに脱出するのが最良の選択。だけど……
「気持ちはわかる。だがな、いつ残りの黒ずくめがこの部屋に押しかけるか分からねぇんだ。そんな時に一人一人拘束なんぞ……」
「お願い!」
レクセルの言う通り、この状況で七人もの黒ずくめを拘束なんてしている余裕なんて今はないだろう。それでもこの部屋を血で染めることだけはしてはならない、そんな気がしてならないのだ。
「ティナの言う通りこの部屋を血で染めることはダメよ」
レクセルの言葉の途中、聖女様の静かな声が張り詰めた空気の中に響く。
「ここ部屋はこの国の中心、ここを血で染めるということは国を血で染めるのと同じ意味になってしまうの」
国の中心? この場所を血で染めると国を血で染めるのと同じ意味? 聖女様の言っている意味は何一つ理解できないが、私が抱いていた靄に光が差し込んだ気がした。
「……分かりました、ランスたちは予定通り聖女様たちを連れて脱出を。ルークは正面の扉を死守、残りは二人掛かりで確実に拘束しろ」
「「「はっ!」」」
レクセルの指示で、ランスと呼ばれた騎士たち五人がレジーナたちを連れて入ってきた扉から脱出していき、残りのメンバーが手持ちのロープやベルトを使い黒ずくめたちを拘束しに行く。
ルークと呼ばれた騎士は一人正面入り口に近い扉に向かい、二枚扉の間に剣を突き立て開かないように固定する。この部屋の扉は内側への開閉のみなので、内側から剣を地面に突き立て、押さえつければ開くことができないだろうとの考えだろう。
「お姉さま、私もお手伝いします」
「何をしているの! あなたは早く脱出しなさい」
私が一人一人黒ずくめの拘束を緩め騎士様にバトンタッチをしている途中、背後から戻ってきたユフィが隣に来て、同じように聖女の力を使おうとする。
「おい、姫さん。ティナの言う通り先に脱出を……」
「嫌です! お姉さまを残して安全なところで待っているなんて絶対に嫌なんです」
レクセルが私の言葉を補足するようにユフィに言うが、いつになく激しい言葉を使い抵抗される。
「だがな、肝心の姫さんが……」
「私たちに付けた護衛の騎士全員で拘束した方が早いと言ってるのよ」
そう言いながら声を掛けてきたのは、たった今部屋から出て行ったばかりのレジーナたち。
「あなたたち、何で戻ってきたのよ!」
まさに先ほど出て行ったメンバーたちが全員この部屋に戻って来てしまった。
「レジーナ、早く聖女様とユフィを連れて逃げなさい」
「それができれば苦労しないわよ。聖女様も王女様も残ると言い張るんだから、いっそのこと全員でこの部屋に立てこもった方が安全でしょ」
「だからと言って……」
「あぁ、もう! うるさいわね。あんただけ放って行けないって言ってるのよ! 全く手間の掛かる義妹なんだから」
「……」
あ、私今ちょっと感動しちゃった。
義妹という言葉は大いに否定したいが、純粋に嬉しいという思いで胸がいっぱいになっている。
「私、レジーナさんをお姉さまと呼ぶのはちょっと……」
「どっちかつうと、義姉じゃねぇか?」
いいことを言ったはずなのに、ユフィとレクセルの言葉で全てが台無しになるレジーナであった。
「よし、二人掛かりで確実に縛り上げろ!」
十人の内四人を扉に貼り付けさせ、残りの六人で黒ずくめたちを縛り上げていく。
私たちは部屋の中心で事の成り行きを見守りつつ、拘束組がそれぞれ二人目に取り掛かった時、扉の一つに外側から強い衝撃が加わった。
「くそ、来やがった。ロイド、ビンズ、お前たちも扉の方へ。残りは拘束を急げ」
「レクセル、外の様子はどうなっているの?」
私たちはこの部屋の外の様子は一切わかっていない。黒ずくめが何人いるのかも、騎士様たちがどのようにして戦っているのかも。
「この神殿は一種の砦のような造りになってるんだ。そこを内側から籠城されちまったから正面から突破を試みているところだ。
俺たちは裏側から突入したが、その直後に気づかれちまってそのルートはもう使えねぇ。残る脱出手段は祈りの部屋にある祭壇裏だが、あそこは内側からでないと通路を開くことができねぇんだ」
「それじゃ残る黒ずくめの数は?」
「分からん、籠城するんだからそれほど多くはないだろうが、毒霧や火薬を使った武器を持ってやがって結構手強い。今親父たちが騎士を集めてこっちに向かっている筈だから、外の連中と合流できれば一気に突破できる。それまでの辛抱だ」
メルクリウス様が騎士団を連れて来てくださるとなれば、神殿の扉を破壊できる攻城兵器(ちっちゃい版)ぐらいは用意してくださっているだろう。
結構長い時間が経過しているように感じるが、実際私たちが襲われてからまだ十五分も経っていない。そう考えると素早く私たちの元へと駆けつけてくれたレクセルは、本当に心強い存在となっている。
ドンッ! ドンッ!
外の方から大きな何かがぶつかる音が響いてくる。
「親父たちだ、もう少しの辛抱だ」
この時私もレクセルも騎士たちも、ほんの僅かに気が抜けてしまったのだろう。騎士様が一人で押さえていた扉が轟音を立てて吹き飛び、黒ずくめたちが一斉に私たちに目掛けて襲いかかる。
「くそっ、全員応戦しろ! 何としてでも絶対に死守するんだ」
レクセルが、騎士様たちが全員抜刀して黒ずくめ達に対峙する。御影も同じく応戦するが毒のせいで透明化ができていないため、先ほどのように効率良く突き飛ばすことができないようだ。
「ユフィ、今私が繋ぎ止めている黒ずくめの拘束をお願い。私は騎士様たちが剣を交えて動きが止まった黒ずくめを拘束するわ」
「分かりました」
荷馬車のように行動が単純ならば動きを予想して繋ぎとめることもできるが、黒ずくめたちのように自在に動き回られてはなかなか上手く拘束することはできない。だけど、騎士様たちと剣を交合わせた時ならば動きが止まる筈。
私は意識を集中して、一人、また一人と黒ずくめの足元を蔦で絡め、動きが止まったところを騎士たちが刀身を鞘で納めた状態で強打していく。
事前に言い合わせたつもりはないが、今のところ連携は上手くいっている。このまま敵の数を減らせば、いや時間を稼げば私たちの勝ちだ。
「ティナぁーーー!」
「えっ……」
レクセルに名前を呼ばれ、自分が置かれた状況にようやく気付く。
いつの間にか背後から近づかれた黒ずくめが一人、いや、多分ユフィに拘束を任せていた一人が抜け出し、私に襲いかかって来たのだろう。
「お姉さま!」
隣にいたユフィが私を庇おうと前と出る。
何やっているのよ、私よりあなたの方が大切でしょ。私は咄嗟にユフィを抱きかかえ、体を捻って背中で黒ずくめの短剣を受ける。
「……」
だけど一向に襲って来ない衝撃に戸惑っていると
「あ、あぁ……」
「……ユフィ?」
耳元で、ユフィの力なき言葉が届いてくる。
直後……
「アリアンロッドーーっ!!」
悲痛とも言える御影の声が神殿内に響き渡った。