第34話 聖女たちの愛(マナ)
余りにも自然すぎた。
止める間もなく滑るような動作にただ呆然と見ていることしかできなかった。
「あ……ぁ…」
「「「きゃぁーーーー!!」」」
弱々しいセイラさんの呻き声と、レジーナたちの悲鳴に近い叫び声が神殿内に響き渡ると同時に、セイラさんが着ている白いエプロンが徐々に赤く染めあがっていく。
「倒れるんじゃないわよ。こんな場所で膝をつくなんてごめんだわ、倒れたら助けないわよ」
崩れ堕ちそうなセイラさんに向かって無茶苦茶な注文を押し付け、無造作に短剣を抜くと同時に癒しの奇跡を施すルキナさん。
服の上からなので様子は窺えないが、短剣を抜いたと同時に勢いよく染まっていった赤い模様が止まり、徐々にセイラさんの顔に色が戻っていく。
確かに凄い、傷を治す早さもそうだが集まっている精霊の数も多い。だけどなに? 精霊たちが泣いている?
セイラさんは傷が治ると同時にその場に崩れるようにして倒れていくので、私は反射的に倒れる寸前で受け止め、すぐに容態を確かめる。
大丈夫だ、ただ余りの悲惨な衝撃で気を失っているだけ。
その場のそっと傷つかないよう、石畳の上へとゆっくりと下ろす。
「全く、どいつもこいつも使えないわね。まぁいいわ、これで私の力は分かったでしょ。次はあなたの番、もし逃げ出すようなら今すぐ荷物をまとめて出て行きなさい」
頭の中が怒りで何も考えられない。
ルキナさんの横暴な態度が、理不尽な言葉の数々が許せない。でも何より許せないのが目の前で起こったことだというに止められなかった自分が許せない。
「ほら」
短剣を血が付いたまま鞘に納め、山なりにこちらに向けて放り投げて来る。私は短剣を片手で受け止め、刀身を半分ほどまで出して真っ赤に染まった刃を確かめる。
夢ではない、鉄が錆びたような匂いと今尚滴り落ちる赤い滴。目の前で横になっているセイラさんの姿がこれは現実だと私に語り掛けて来る。
「セイラが倒れたからそこにいる三人の誰かでいいわ」
無常ともいえるルキナさんの言葉が更に私の怒りへ油を注ぐ。
レジーナたちは現状の光景を見て完全にすくみ上がっており、小さな悲鳴すらあげることができないのか、ただ私とルキナさんを見て小刻みに首を横に振るのみ。見れば全員膝が震えていて立っていることがやっとの様子だ。
「必要ないわ」
私は受け取ったばかりの短剣を再びルキナさんに突き返す。
「逃げる気? だったら今すぐ……」
「誰が逃げるって? 私は必要がないと言ったのよ」
私の怒りの感情に呼び寄せられるように、荒れ狂った精霊たちが集まってくる。
「あなたはさっき言ったわよね、力を見せるにはこれがいいと。つまりは力さえ見せればそれでいいのよね?」
「まさか、パーティーの時に見せたあれをするんじゃないわよね? あんなのは只のハッタリ、癒しの奇跡は傷を癒して初めて力の強さを示せるのよ。何も知らない貴族たちは騙せても、私には通用しないわよ」
ルキナさんの言う通りあれは只のハッタリにすぎない。癒しの奇跡は傷を治して初めてその強さを示すことができる、そんなの私だって分かっている。いくら次期聖女であるユフィやルキナさんが使えない技だとしても、実用性がないのもまた事実。あれがどれだけ凄い力だと分かっていても、今のルキナさんは納得しないだろう。
「誰がそんなことをすると言ったのよ、黙って見ていなさい」
怒りの感情のまま静かに両手を胸の前に合わせる。
許せない、何もかもが許せない。
聖女の力を見せつけるために何の躊躇いもなく人を傷つける、そんなルキナさんが許せない。
この人は危険だ、ここで私が抑えないとユフィが危ない。
色んな感情が私の中を駆け巡る。
そんな時、神殿の中だというのに暖かい風が私に纏わりついてきた。
(笑いなさい、負の感情で聖女の力を使ってはいけない。感じなさい、精霊たちの心の叫びを)
「!」
今のはまさか……
「ティナちゃん、ティナちゃん!」
気づけばライムが必死になって私を止めようとしていた。人前だというのに姿を隠すことさえしようともせずに。
どうやら怒りの感情で周りが見えていなかったようだ。
ふぅ……ダメだなぁ、こんなんじゃライムに心配されても仕方がないか。お母さんもこんな私を見て悲しんでいるだろうな。
今私の周りに集まっている精霊たちが怒りの感情に当てられ苦しがっている。
ごめんね。そうだよね。みんなだってこんな負の感情で力を使われたくないよね。
あぁ、そうだった。お母さんはいつも笑顔を絶やさなかった、あれは精霊たちに悲しみの感情を与えないようにしていたんだ。
「ごめんねライム、もう大丈夫だから」
一言今できる最大の笑顔でライムに答え、一度大きく息を吸い込み心を落ち着かせる。
先ほどは怒りの感情で精霊たちの声が聞こえていなかったけど、今は優しく語りかけてくれる。
……みんな、力をかして
『ルゥ〜〜ラリル〜ラリル〜〜♪ ソォラリル〜〜ラリル〜ラリル〜〜♪』
私の歌声に乗って集まってきた精霊たちが元気に踊りだす。
優しい風に吹かれて、暖かい日の光を浴びて、私の心の歌声に乗って。
そうか、この場所が何故マナの力が強いのかが今わかった。
ここは歴代の聖女様や候補生たちの愛が詰まっているんだ。だからさっきここに留まっているお母さんの愛が語りかけてくれたんだ。
ごめんねお母さん、もう大丈夫だから。だから、今は見守っていて。
両腕を前へと広げ、精霊たちに祈りの言葉を捧げる。
「大地よ実れ、豊穣の光」
辺り一面が黄金の輝きに支配される。
神殿内に植えられた花々や木々が黄金の光を浴びると、見る見る緑の若葉を茂らせていき、果実を実らせる木には沢山の熟れた実が宿り、花々はその身に美しい花をいっぱい咲かせる。
ある物は白い種を飛ばし、ある物は咲くはずもない季節の花が花壇いっぱいに溢れ返す。
私一人の力じゃここまではできなかった。多分、この場に宿る歴代の愛たちが力をかしてくれたんだ。ルキナさんのやり方は間違っていると。
「な、そんな、こんなのって……」
やがて私の歌が終わると同時に大地の活性化が落ちついてくる。
「豊穣の祈り、これがどういう意味を齎すものかはお分かりですよね?」
再びレジーナたちを庇うようにルキナさんの正面に立ち、今度はこちらから対立する姿勢をとる。
「こ、こんなの認めないわよ。これは癒しの力の勝負、だからこんなのは無効よ!」
はぁ……
「素直に負けをお認めになってください。私は最初に確認したはず、これは聖女の力を示す勝負なのだと」
「私は返事をしていないわ、あなたが勝手に……」
「惨めですね、今まで行なってきた行為が全くの無意味だったのですから」
信じたくはないが自分に仕えてくれているメイドを躊躇なく刺したことから、今回が初めてではないというのは明らかだ。
だから否定した、あなたのやっていることは無意味なのだと。いくら癒しの力を使いこなせても聖女本来の力はそんなんじゃない。これが私とあなたの違いなのだと。
「み、惨めですって。この私が惨めだというの。この私が!」
「あなたなら分かるでしょ、精霊たちの苦しそうな感情が。聞こえるでしょ、歴代の聖女様や候補生たちの嘆きの愛が!」
必死にルキナさんの中に眠る良心の心に呼びかける。
ここで何とかこの人の暴走を止めないと、お母さんたちの代のように新たな犠牲者が出てしまう。いや、もしかしてもう出ているのかもしれない。だから今、私が何とかして止めなければ。
「調子に乗るな! 何が精霊の感情ですって、何が歴代愛ですって、そんなもの都合よく解釈された人間のエゴでしょ!」
「だったら癒しの光は? 豊穣の光は? ここにいるライムはどう説明できるのよ。認めなさい、あなたの考えは間違っているんだと」
「認めない、認められる訳がないじゃない。私はルキナ・ユースランド、この私が次の聖女になるんだから!」
「ティナちゃん!」
目の前の光景がゆっくりと進んで行く。
ライム、何驚いているの? あぁ、そうかルキナさんが手に持っていた短剣で襲いかかってくるのね。どうしよう、私が避ければ後ろにいるレジーナたちに危険が及んでしまう。でもこれでルキナさんの狂乱が明るみに出て止められるじゃない、痛いのはいやだけど、後はユフィが何とかしてくれるわよね。
私は静かに目を閉じ、最期の時をそっと待つのだった。