第八話 二日目の夜(1)
夜の食事が終わると、恵美は、友達にメールをして過ごしたが、やることもなく、携帯電話のテレビをつけた。祐二の方は、携帯をいじることもせず、ごろんとあおむけになって、天井を見上げたまま、考え事をしている。
携帯電話の液晶画面に映った九時のニュースは、昼間に起きたひったくり事件の被害者の女性が死亡したと報じていた。
「へえー、ひったくられて死んじゃったらどうしようもないよねぇ」
恵美の言葉に、天井を見上げる祐二の眉がわずかに動いた。
「抵抗するからだよな。バカなやつ」
吐き捨てるような言い方だった。祐二は体の向きを変え、恵美に背を向けた。
「さっさと渡せば、命までなくさずに済んだのに」
恵美は、祐二の方を見ずに、机の上で開かれた携帯の画面をずっと覗いていた。
「かわいそう。きっと打ち所が悪かったんだ。盗られた袋の中に、よっぽど大事なものが入っていたんだろうね。そんなことで人生終わるなんてあたしは嫌だ」
「暴れたから、死んだんだろ? 救いようもないじゃないか」
「そうかもしれないけど……。犯人が早く捕まるといいね。そうでなきゃ、この人、絶対に浮かばれない」
祐二は、右手の甲を、そっとさすり、ゆっくりと身を起こした。
「なあ、恵美。もしさ、俺がその加害者だったらどうする?」
祐二は、真顔でそう言った。
「アハハハ! あり得ない! 祐二にはそんなことできないよ。犯人は右手を怪我しているんだってね。祐二は怪我してないじゃない。どう考えても犯人は祐二じゃない」
恵美は携帯から目を離し、祐二の右手を指差した。そこに傷痕はない。
「俺の右手には傷はない。でもさ」
祐二は真剣な顔をくずし、笑って右手首をブラブラと振って見せながら、続けた。
「でも、本当に俺が犯人だったら恵美はどうする? 殺人犯だぜ」
「どうするかなぁ……それなら! あたし、祐二と一緒に逃げる」
「本当にか? 殺人犯と一緒に逃げるのか?」
「うん! 祐二となら、世界の果てまででも逃げてやるから。アハハ、何だか本当に今から祐二と逃げる気になって来た。どこへ逃げようか?」
恵美は、目を細めて笑った。ドラマの主人公が、罪を犯した恋人と逃亡するような場面を思い浮かべて少しだけスリリングな気分になった。
「そうか、ありがと、恵美。おまえならそう言ってくれると思った。俺がどんなやつでも一緒にいてくれるよな?」
「うん……」
祐二はやさしく恵美を見つめた。恵美もそれに応えるように微笑みで返した。
――あたしたちは、どこまでも一緒……
「恵美……」
祐二は手を伸ばし、恵美の肩を引きよせた。唇が重なると、暗いニュースで沈んだ深淵からやさしく引き上げられるように、二人の心は、ゆっくりと解けていく。
「ふとん、入ろか……」
「うん……」
ふとんを並べて横になると、明かりを豆球に落とした祐二が、恵美のふとんに入ってきた。入ってきた、というよりも、ころがってきた、という感じだったが。ひとつふとんに二人、身を寄せ合って、至近距離で見つめ合う。
「恵美……俺さ……」
「何? 何か言いたいことがあったんだったね。昨日言おうと思っていたこと?」
「俺は……やっぱり明日話す。明日にはどうやってもおまえに言わなければならないんだ」
「何のこと?」
「明日言う」
「どうして」
「明日にしたい」
「何で? それじゃあ、答えになっていないじゃない」
「そうしたいんだ。俺の都合で……」
祐二の言い方には力が入っていなかった。歯切れの悪い祐二に、恵美は、何よ、と眉をあげた。
「何で、今言わないのよ。思わせぶりな。今、言いかかっていたじゃないの。今日でも明日でも同じでしょう? いいかげんにしてよ。もう!」
恵美はプイと背を向けてしまった。
言いたいならさっさと言えばいいのに。言いかけてやめる。ここへ来てから、それも何度でも。もうがまんできない。
せっかくの甘い雰囲気は、瞬時に凍結した。祐二はご機嫌をとろうと、恵美の背後から抱きしめようとしたが、恵美はいやがって肩にかかった祐二の手を払い、相手にしなかった。
「恵美、ごめん……えみちゃーん……こっち向いてよぉ、おい……えみちゃーん……」
「どうしてすぐに言わないのよ。何の話なのか教えてくれないなら触らないで。今日はもう寝るね。あたし、そんな気分じゃない」
「何だよ、怒るなよ。俺には俺の事情があるんだよ。明日言うからさぁ。えみちゃーん……ちぇっ!」
祐二はあきらめて、恵美の肩から手を離し、自分のふとんに戻った。恵美は、祐二に背を向けて目を閉じていたが、昼寝したにもかかわらず、急に強い眠気に襲われ、墜落するように深い眠りに入った。祐二は眠りこんだ恵美の背中を、じっと見つめていた。
「恵美……俺が与えた眠りに、こんなに簡単にはまってしまうとは、かわいいやつだ。今夜は二晩目。明日にはおまえは……」
祐二は静かに恵美に近寄り、眠る体に手を伸ばした。
この第八話には、被害者が悪い、というような記述がありますが、犯罪を推奨するものではありません。話の流れ上、そういうふうに表現しただけですので、ご了承ください。