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第四話  出会い

 恵美が同い年の祐二と出会ったのは、大学卒業後で、東京で働き始めて一年ほど経った頃。恵美は、軽い登山が趣味で、週末一人で、都心から二時間ほどかけて電車やバスに乗り継ぎ、都会の雑踏から逃れ、この家の近所の里山によく登っていた。たまたま山で出会ったのが祐二だった。

 ドラマにありがちな、怪我をしたところを助けられる、というような、運命の出会いではない。ただ、偶然、休憩所の東屋にいっしょに居合わせた、というだけだった。恵美も祐二も単独での登山で、あいさつを交わしてから、先に話しかけたのは祐二の方だった。

「これから、どういうルートで?」

「私は、これから、あちらの――」

「あの道は、枝道が多くて迷いやすいから、気をつけた方がいいよ」

「ありがとうございます。よく来るのでわかっています。ここは距離も高度もそうないから、ちょっとした運動にはちょうどよくて……」

 水筒の水を飲みながら、登山者同士が交わす何気ない会話。どこの山へ行っても、見知らぬ他人同士が、こんな会話を交わすことは珍しい事でも、特別な事でもない。恵美と祐二はそれきりのはずだった。

 二度目に二人が会ったのは、この山の別の登山道。谷ぞいの狭い登山道で、ほんの少し開けた場所。腰を下ろせる大きな石があり、木陰もあって、休憩にもってこいのその場所に、座り込んでいた祐二がいた。

 祐二は特別目を惹くような美男、というわけではない。どこにでもいる普通の顔。ただ、黒目の部分の色が、日本人としては少し明るく、恵美が最初に見た時は、外人かと思うほどだった。レモンティーのような透明感のある茶色い目。浅黒い肌に、大きく名前の書かれた見覚えのあるザック。


 ――あそこにいたあの人に違いない……たぶん、そうだ……


 恵美が声をかけようかと、祐二の顔を見ると、祐二の方も恵美の顔をじっと見ていた。恵美は山歩きばかりしていて、色白の顔は赤く日に焼けている。肩までの髪はすいてあるが、歩くと暑いので、後ろでひとつに束ねていた。卵型の小顔で、くるっとした二重の目。美人、というよりは、かわいい、といった部類に入る顔。祐二の方が先に口を開いた。

「あの……先週か、その前ぐらいに――」

 

 ――やっぱりそうだった、あの人だ……あたしを憶えていたんだ……

 

 恵美は偶然に驚き、自分の帽子を取って、男の顔を確かめる。祐二は、前回も、登山者には珍しく帽子をかぶっておらず、明るい色をした目に日の光が直接入り、瞳が琥珀色に見え、それが強く恵美の印象に残っていた。

「やっぱりあの時、あそこの東屋で会った方ですよね?」

「また会えましたね。今日は、これからどこまで?」

 祐二が尋ねた。普通の山での会話だ。

「ここをまっすぐ行ってから……」

「ああ、それなら俺と同じだ。よければ、一緒にどう? 俺はこのあたりの里山ばかりを歩いているから、この山なら、地図に載っていないけもの道まで知っている」

 見知らぬ男と二人きりで山を歩く――恵美は少し警戒したが、偶然とはいえ、二度も遭った男なので、断わりがたい何かを感じ、同行に同意した。男はひと気のない場所でも襲うようなそぶりは一切見せず、親切に案内してくれた。

 男について歩いて行くと、どんどん登山道から外れて行く。

「えっ、ここ、入っていいんですか。道じゃないですよ」

「大丈夫。人が入らないから、歩きにくいけど、この先にとてもきれいな滝がある」

「あの……本当にこのまま進んでいいんですか? 失礼ですが、なんか違うみたいですけど。道が間違っていたら……」

「大丈夫だって。俺、地元の出身だから。絶対に気に入ってもらえる場所へ案内するから、心配せずについて来て」

 男は恵美の不安を打ち消すように、明るい色の目を細めて微笑む。歩いている間、二人は何度もそんな会話を交わした。


「ほら、着いた。ここが俺のとっておきの場所。この岩が昼寝にちょうどいいんだ」

「わぁ、きれい! こんな滝がこの山にあったなんて」

 祐二のお気に入りの、登山道から大きくはずれた場所。周りを岩と木に囲まれた、名もない滝は、落差は五メートルほどだが、水量は多く、広く深い淵に水がはじけ落ちている。滝から出る冷気が、沢全体をひんやりとした湿気で満たしていく。山歩きで汗をかいた後には、心地よい冷風だった。そして、体を延ばして横になれるほど大きい岩がすぐ傍にある。恵美は、この場所がとても気に入った。


 それから二人は、次の約束を交わし、共に歩くようになった。

 滝の傍の大岩の上は、二人だけの秘密の憩いの場所。大自然の中で一緒に時を過ごすうちに、お互いくだけた言葉になり、呼び捨てで呼び合うようになるまでに、そう時間はかからなかった。


「恵美……もしおまえさえよければだけど……俺と一緒に暮さないか。俺と一生をともにしてほしい……」

 山中でキスを交わした後、祐二の口から、ぼそぼそとその言葉が出たのは、出会いから数ヶ月後だった。



 祐二は、勤めている会社のビルに住んでいたらしい。恵美は、そこへ行ったことがない。行きたい、と言ってみたこともあったが、会社と同じビルの中にある為、誰かに見られたらいやだ、と祐二が拒否し、それきりだった。祐二の設計の仕事道具は、まだ全部そこに置いてあるらしく、それがどんなものなのか、恵美は見たことがない。

 祐二が、一人暮らしをしていた恵美のアパートを訪ねたこともない。山で知り合った二人は、会うのは山の中ばかりだった。お互いの部屋を訪ねるよりも、二人で大自然にひたっている方が、幸せだったのだ。

 そんな二人の新居。あまりにも新婚夫婦らしくない汚い平屋の古い家。地震ですぐに倒壊しそうだ。それでも、祐二が全財産をはたいて買ったこの家は、自然大好きな二人にとっては、最高の住まいと思われた。


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