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第十四話  祐二の真実(1)

 あまりにも突飛な話だった。恵美は、はぁ? と涙の目をむいて起き上がった。

「俺は、人間じゃないから、働いてお金をもらって食べて行く必要はないんだ。だから、都会の中のおまえのアパートでは暮らせない」

「あたしをバカにしてない? もうちょっとましな言い訳でもするかと思った。ほんと、最低! 自分は人じゃなくて、妖怪だとでも言う気? それで嘘をかたづけようとするなんて、呆れて笑っちゃうね。こんな男にひっかかって泣いている自分がかわいそうになってきた」

 恵美は、ふん、とふとんの上で座ったまま背を向けた。

「俺は、おまえが欲しかったから、家を用意しなければならないと思った。ここはちょうど鍵が壊れていて、電気もまだ使えたから、時々ここで携帯を充電していたんだ。だから、ここを俺が買ったと言って、おまえを連れて来た」

「もういいよ。聞きたくない。あたしたち、終わったね。そんな昔話のような、ばかばかしい言い訳をされるとは思わなかった。ただの結婚詐欺でしょう? 祐二はおかしいよ」

 恵美は、ふとんの上で祐二に背を向けたまま、婚姻届の張られた障子に目をやった。

「あれ、破ってもらってよかった。出しに行く前に祐二の本性がわかったから」

「恵美、最後までちゃんと話を聞いてくれ。俺はおまえにいっぱい嘘をついた。仕事とこの家のことだけでなく、おまえに教えた俺の学歴も、それから俺の友達のことも、全部作り話だ。俺には家財道具を分けてくれる友達なんかいない。いつまで待っても、電化製品も家具も、何も届かない」

 恵美は祐二の方も見ないまま、ハハッ、と軽蔑の息を吐き出した。

「あきれた! やっぱりお金目当てであたしに近づいたんだね。あたし、運送代、祐二に言われたからちゃんと渡したよ。あたしのお金、返してよ。最初からそんな友達もいなかったってことね。よくできた話だと思った。ただで全部くれるなんてさ、あり得ない。すっかりだまされた。あたしは、祐二の友達から何でももえらるからと思って、あたしのアパートの冷蔵庫とか、全部処分しちゃったんだよ」

 恵美は、部屋の隅に置いてある、昨日祐二が買ってきてくれた、食品が入っているスーパーの袋に目をやった。

「お金がないって、よく言っていたけど、働いていなくて、文無し。そういうことだったんだね。だから、ここまでのタクシー代も出してくれなかったんだ。昨日買ってきてくれたあれ、もしかして、全部、万引き?」

 万引き――いくらなんでも、それは酷い。こんなにもたくさん盗れないだろうと、恵美は自分でも思った。嫌味でそう言っただけのつもりだったが――

「万引きじゃないけど……盗んだ金で買った」

「えっ!」

 血が逆流し、息が止まる。脳天が打ちのめされ、めまいで視界が揺れ、額に手を当てた。愛する男、祐二は盗みで生計を立てているというのか。

「祐二! 泥棒なの?」

 まさか、と恵美は祐二を振り返った。祐二は笑っていなかった。冗談ではなく、本気でそう言ったのだろう。祐二は一呼吸置くと、言葉を選びながら、弁解を始めた。

「……恵美、おまえには難しい話かもしれないが、俺は、人間の金などなくても暮らしていける生き物だ。おまえに嘘を言って十五万もらったのは、そこにかかっているスーツや、結婚指輪を買ったりする為だった。おまえに渡した指輪の代金は、実はおまえのあの金から出したものだ。残りは、結婚式の俺の貸衣装代とかの挙式関係、他は、交通費に使ったりして、あの金はもうなくなってしまったから、足らない分を盗みで補うしかなかった」

 淡々とした祐二の口調。恵美は浅くなった呼吸を繰り返した。


 ――これは本当に冗談ではない話? 本当に?


 恵美は、祐二の顔を凝視した。眉も口元も引き締まった真剣すぎる祐二の顔。恵美の口元はゆがんだ。

「そんな……人の物を盗むなんて! 泥棒! ひとでなし!」

「俺の一族は、誰も金や物などは持たない。必要ないんだ。人間とは根本的に違う。だから、婚姻届もいらなかった」

 恵美は、喉の奥から、うなるような低い声で、ゆっくりと言葉を出した。

「祐二、故意に……婚姻届を破ったね?」

「悪かったと思っているが、あれを役所へ持って行ってもたぶん受理してもらえない。俺は人間の戸籍がないから。俺は、人間としての俺を証明する物は何もない。破ったのは、おまえが勝手に持って行くことを防ぐ為だった。おまえがあんなに怒るとは思っていなかったんだ」

「……計画的だったんだね……もうあんな紙切れ、どうでもいい。祐二が嘘つきだとわかった今は、婚姻届なんかいらない。よく考えたらおかしいと思うべきだった。自分の荷物の引っ越しを、入居の後にするなんて。普通は、入居前に全部整えて、すぐに快適に暮らせるように準備をしておくものでしょう? だから、祐二は、自分たちの荷物は家電が入った後だと、繰り返し言ったんだね。早く生活用品を見に行きたかったのに、それすら後回しにして、あたしをだまそうと精一杯がんばってたんだ。一緒に町を歩いたのは、式場の打ち合わせと、結婚指輪を合わせた日の二回だけなのにさ、その時だってさ、他にどこにも寄り道しなくて、祐二はさっさと帰っちゃったもんね」

「俺と暮らすなら、荷物は何もいらない。だから、おまえに、何も持って来させないように考えた」

「どうせここには住めないから、あたしにいろいろ準備させないようにしていたってこと? 人間じゃないから、物はいらないって? あたしはそんなバカな話、信じない。ただのホームレスでしょう? お金がないことの理由を、そんなおかしな言い訳で無理やり収めるなんて、やっぱり祐二、頭おかしいよ」

「この家は、明日からたぶん取り壊しに入る。荷物を先に準備したところで、どうしようもない」

 

 虫の声がにぎやかに、庭から家へ入ってくる。会話が途切れ、うつむく恵美にはそれは昼間の暑さと掃除の大変さを思い出させた。疲れがあふれ、恵美の言葉の勢いは沈んだ。

「あたしは一生懸命掃除して、祐二を待っていたのに……猛暑の中、汗だくになって掃除したんだよ。こんなに古くてすぐに取り壊す家を掃除させるなんて、酷いよ。酷すぎるよ……」

 恵美の目にまた涙がたまってきた。うつむいて瞬くまつげが、その粒を押し出した。

「ごめん、おまえが町へ行くと言うと、俺には都合が悪かったから、ここでおまえが待っていてくれるように、掃除を頼んだ」

「よくも……そう簡単に言えるね。あんまりじゃない。あたしは暑い中をがんばって掃除しながら、祐二の帰りだけを待って、あの家主ににらまれても泣かずにがまんしていたんだよ。あの人に殴られるかと思った。それに、あの家主が来る前に、電気とか、ガスとか、止めるって人も来てさ、どんな嫌な思いをしたか……っ……」

 恵美の目から落ちた涙が、膝の上で雨音をたてた。祐二は視線と声を落とした。

「悪かった恵美……夕べ、俺は打ち明けようと思っていた。おまえがそうやって泣くだろうとわかっていたから言い辛くて、どうせ嘘がばれる今日まで伸ばしてしまった。本当にごめん」

「言おうとしていたことって、自分は家なしの泥棒だってことだったんだ。祐二がそんな男だったなんてショック。あたしは祐二が嘘つきだなんて、思ってもいなくて、祐二の言ったこと、全部信じていた。泥棒家業のホームレスなんてすぐに言えるわけないよね。結婚の条件としては、最悪だもん。ほんとに最悪! こんな男をあたしはっ……っ……もう!」

 恵美は泣きながら、祐二に向かって、まくらを叩きつけた。低反発のウレタン製まくらは、祐二の膝の上で、ボンッ、と風とほこりを立てた。恵美は、続けて、結婚指輪をはずし、それも祐二の顔に向かって投げつけた。

「こんなもの! いらない」

 銀色の指輪は祐二の頬に当たり、ささくれ立った畳の上をコロコロと転がって行く。

「恵美、落ち着け。一番言いたかったことは、俺が人間じゃないってことだ。恵美、泣くな。三日連続で俺と夜を過ごせば、おまえは、俺と同じ生き物になる。その為にすべてを嘘で固めた。おまえなら真実を知っても、きっとわかってくれると思った。すでにおまえは、俺と二晩過ごした。夜二日とも俺が抱いたのはわかっているだろう?」

「二日ともって……」

 恵美は、眉を寄せて祐二を見た。愛し合ったと記憶にあるのは、二日目の夜だけ。

「体が動かなかっただろう」

 恵美は背中に氷を突っ込まれたような気がした。無意識に身震いした。体に残った冷たい感覚。手足が動かず、呼吸も苦しい悪夢。強い金縛り。

「あれって、夢じゃ……」

「俺がおまえの体を抱いていたんだよ。そうやって三日連続で夜中に体を接触させていると、俺たちは同じものになれる」

「嘘! もう嫌! そんな、そんなことって……信じられない。本当にそんなことがあるわけない。夕べ、あたしを抱いたのは確かに人間の男の祐二だった。そんなことまで嘘つかないで!」

 恵美は涙で顔をくしゃくしゃにして、ありえない話を振り払うように、首を横に何度も振った。





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