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第十三話  言い訳

 昨日と同じ、すっかり辺りが暗闇に包まれてしまった夜八時過ぎ。まだ帰らない祐二の為に、玄関の外につけてある電球に、たくさんの細かい虫がたかっている。


 ガタンッ、ゴトゴト。音と共に、建てつけの悪い玄関引き戸が開いた。

「恵美、ただいま」

 出迎える声はしない。

「恵美?」

 祐二はあわてて、上がりこんだ。恵美は無事だった。しかし、目はうつろで真っ赤だ。

「泣いていたのか?」

 恵美は、ふとんの上にあおむけになって転がっていた。意識はある。眠っているわけではない。

「どうしたんだ」

「遅かったね……帰って来てくれたんだ。あたし、夕食先にカップめんで食べたから」

 祐二の方も見もせず、だるそうにつぶやく恵美。祐二は立ったまま上から見下ろした。

「遅くなって悪かった。携帯を忘れて連絡できなかった」

「そうだったね。そこにあったもん。ねえ、祐二……」

 恵美はゆっくりと祐二に目を向け、祈りをこめて疑問を口にした。肯定の言葉を期待しながら。

「ねえ、ここ、本当にあたしたちの家だよね? 祐二が買ったんだよね?」

「……どうして?」

 祐二はかすかに眉を動かした。一瞬の沈黙が流れた。

「今日、変なおじさんが来てさ、ここは祐二の家じゃないって言われてね、明日から解体するんだって。出て行けって……っ……」

「恵美……」

 祐二は、布団の上で横になったまま涙を流している恵美の、すぐ横の畳の上に座った。

「ごめん。俺さ、それを言わないといけないと思って、ずっと言えなかったんだ。言いたかったことはたくさんある。全部話す」

「本当の事言ってよ。あたしたち、無断侵入者なの? これは不法侵入ってこと?」

 暑い夜の空気が張り詰めた。祐二が口を開くまでに、少し間があった。やがて、祐二のひき結んでいた口から、はっきりと答えが出た。

「……そういう言い方をすれば、そうかもな。俺は確かにこの家の持ち主じゃない。勝手に入って使っているだけだ」


 ――祐二!


『俺は確かにこの家の持ち主じゃない』

『俺は確かにこの家の持ち主じゃない』

『俺は確かに――』


 その言葉が、繰り返し恵美の中ではねる。恵美は声にならず、息をぎゅっと大きく吸い込んだ。体温が急に何度も下がってしまったかのような錯覚にとらわれる。信じる心は谷底へ突き落とされ、どこまでも、果てしなく落ち続けていく。意識がなくなった方が、まだましかもしれなかった。

「そんな……なんで……あのおじさんが、まともだったってこと?」

 恵美は、すぐには、そう言うのが精いっぱいだった。涙が喉に流れて来る。


 ――祐二が嘘をついていた。ドッキリカメラじゃなかった……


 思い描いた理想。自然たっぷりの田舎の一軒家でのびのびと暮らす夢は、砕け散り、跡形もなく粉々になった。

 恵美は、うぅ、と嗚咽をもらし、うつぶせになって、枕に顔をこすりつけた。祐二は泣いている恵美の横に座りながら、黙って恵美の様子を見ている。恵美は祐二の顔に目をやったが、祐二は悲しそうな顔をしてはいなかった。わかっていた、というのか。恵美は、しばらくすすり泣きを続けていた。

「ひどい……」 

 長い時間が過ぎ、恵美はようやく言葉を口にできた。

「あたしをだましてどうする気だったの? 結婚資金をだまし取るつもりだったの?」

「俺はおまえとずっと一緒に暮らしたかっただけだ。金目当てじゃない」

 あまりにもあっさりと言ってのけた祐二に、恵美はシーツを握りしめた。それでは説明としては不十分すぎた。もう抑えられない。はっきりすべてを。祐二のすべてを疑っていることを言わなければ。

「結婚するなら、あたしのアパートで一緒に暮らしてもよかったじゃない。わざわざこんな家を用意しなくてもさ。祐二は、結婚するふりして、あたしのお金と体が欲しかっただけだよね? 結婚って言葉であたしを釣ったんだ」

「違うよ恵美、おまえの金なんて興味ない」

「じゃあどうして、こんな他人の家を自分のだって言ったの?」

「おまえと……結ばれる為に家が必要だった。おまえのアパートではだめなんだ」

「なんでよ。あたしの体が欲しいだけなら、そんなことしなくてもいいじゃない。体目当てでこんな家を用意するなんてさ、意味わかんないよ。山ではキス以上のことは何もしてこなかったくせに」

「おまえと三日連続で夜を過ごしたかった。おまえは忙しいから、三日も俺と一緒に夜を過ごすのは無理だったろう? それに、俺は人の多い所は苦手だから、都会のおまえのアパートへは行きたくなかった」

「何言っているの。三日ぐらいベタベタしていたかったってこと? それなら、あたしのアパートじゃなくて、祐二の住んでいる会社のビルの方が、あたしの所よりもまだ田舎だったんじゃないの? こんな他人の家じゃなくて、そっちに住むようにすればよかったじゃない。それが嫌なら違うアパートでも見つけるって方法もあったでしょう? ちゃんと本当の事言ってよ。もしかして……仕事場も嘘とか言う?」

「……そう思うのか?」

 祐二の声は静かだった。恵美は、涙をこぼしながら、祐二の様子をうかがった。表情がはっきりしない普通の顔。なんとも思っていないのだろうか。


 ――祐二……嘘じゃないとは言ってくれなかった。それならすべてが嘘?


 恵美はできるだけ感情を押し殺しながら、淡々と問いかけた。 

「あたし、今日会社に電話したの。祐二の教えてくれた会社の電話番号、つながらなかったから、困って、祐二の携帯、勝手に開けちゃったんだ。その携帯なら、会社の電話番号がちゃんとわかると思って。ねえ、どうして携帯に会社の番号も入っていないの? 会社から携帯電話が支給されているから、あたしがあげた携帯は、あたし以外には使っていないってこと?」

「……会社から携帯なんてもらっていない」

「じゃあ、いつもどうやって会社と連絡取っているの?」

 祐二は黙りこんだ。外からの夏の虫の声だけが、二人の間を流れる。沈黙にしびれを切らした恵美は、ついつい強い口調になっていた。

「ちょっとぉ! どうして、黙っているのっ! あたし、祐二が会社へ行っている時、携帯忘れて行ったら、何かあった時どこへ電話すればいいかわからないじゃない。奥さんなのに、祐二の会社の住所も電話番号も知らないなんておかしいでしょ」

「恵美は、そんなことする必要なんかないんだ。会社に連絡なんかしなくてもいい」

「何かの時連絡する先は必要でしょう。今日は変な人ばかり来て困ったから、連絡をつけようと思ったの。それとも、祐二、会社がつぶれた、とでも言う気? 疑って悪いけど、昨日も、今日も、どこへ行っていたの?」

 祐二はまた黙ってしまった。恵美はため息をついた。


 疑いであふれた質問。愛している祐二をつきつめようとしている自分。いったいそんなことをやってどうしたいのか。この古家が他人の家だとわかった瞬間から、この結婚はすでに破局しているというのに。あれこれ言わずに、一言さよなら、と言えばいいものを。

 それでも、すべてを、祐二の口から真実を。


 恵美は、何度目かのため息を吐くと、ぼそりとつぶやいた。

「祐二……ちゃんと教えてよ……」

「ごめん。確かに会社には行かなかった。昨日は町まで行っていたけど、会社じゃない。今日は、実はずっとこの近くにいた。誰か人が来ると嫌だったから、夜になるまで隠れていた。恵美に教えた会社の電話番号はデタラメだ。俺は普段も、会社から給料をもらうような仕事をしていない。設計士、というのも嘘だ」

 やっぱり! と恵美の涙でぬれた頬がひくりと動いた。おさまりかけた炎が再び燃え上がる。

「それじゃあ、会社のビルに住んでいたことも嘘、これからも自宅で仕事、というのも嘘なんだね? なんでそんな嘘つくの? あたしは祐二を信じていた」

 怒りも悲しみも、恵美の中で混じり合って渦になった。恵美の声は震えている。祐二は恵美とは対照的で穏やかだった。

「俺はおまえと結婚したかったから、ちゃんと働いていると思わせて、おまえを安心させたかった」

「祐二のバカ! 嘘つき! 最低! 設計士じゃないなら、何をして食べているの。まさか、祐二は便利屋で働いているとか……」

「便利屋? 違う、俺は実は……仕事は……何もしていない」

 弱い祐二の言葉に、恵美はさらに語気を強めた。

「それじゃあ、設計事務所のビルに住んでいないなら、今までどこに住んでいたの」

「家は……ちゃんとした家はないんだ」

「そんな! 祐二はホームレスなの? あたし、会社やめちゃったんだよ。二人とも給料なしで、家もなくて、どうやって暮らしていくの。祐二は、働いていないんでしょう? あたし、祐二とは結婚しない。嘘をついた上、働いてもくれない男と結婚できるわけがない」

「恵美、いいか、落ち着いて聞いてくれ。俺は……」

 祐二は言うのをためらっている様子だった。恵美は両手で顔を覆い、わっ、と泣き声をあげた。

「祐二の嘘つき……大きらい……っ……っ……」

「俺は……」

「何よ! また嘘でも言う気? もういい!」

「ごめん……俺は……」


 祐二はこぶしを握り締めていた。ここは他人の家。使われていなかった古家に勝手に侵入したことを認めた今、二人の未来はない。祐二は、泣いている恵美にぼそりと告げた。


「俺は人間じゃない」






 

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