第一話 入居
途中、犯罪の場面がありますが、決して犯罪行為を推奨するものではありません。ほんの一部だけ、大人っぽい場面もあるので、15禁とさせていただきます。
結婚式が無事に済み、その後の友人達との二次会も終わると、恵美と祐二は新居へ向かった。友人達から贈られた花束と贈り物の入った袋を手に、二人はタクシーを降りた。
そこは、都会から離れたさびれた集落のはずれにある古い一軒家。周りは森だけでなく、休耕田の中に畑がぽつりぽつりと存在するのどかな場所にある。かえるの鳴き声や、虫のガチャガチャという出迎えの合唱の中、二人はその家へ入った。
祐二の仕事は、毎日の出社は不要。自宅で静かに仕事ができる場所がいいと、不便だが、里山にかこまれ緑のあふれるこの地に建つ、古い家を買った。
知り合って半年で今日ゴールインした、共に二十三歳の二人は、働き始めてわずか一年。新婚旅行は旅費がないので、計画していない。
裸電球が灯され、室内は明かりで満たされた。
「お疲れ様」
「今日は緊張した」
家の中は物がなく、殺風景だ。
「あはは、こうして見ると、ほんっとなんにもない家だね。明日買い物いかなきゃ」
だだっぴろいだけの家で、もともと置いてあったちゃぶ台が一番大きな家具かもしれない。
「あれこれ置かない方が、広くていいだろう?」
「ま、そうだけど」
二人は顔を見合わせて笑った。忙しかった二人は、この新居の準備はほとんど何もしておらず、明日から数日かけて、足らない生活用品を買いそろえる約束をしていた。食器や電化製品などは、祐二に海外へ転勤する予定の友達がいて、すべて譲り受けることになっている。今、この古い家の中で事前に用意した購入品は、今夜どうしても必要な寝具だけ。
テレビすらない広々とした畳の部屋の真ん中に、ごろり、と横になった祐二が、天井から下がる裸電球に照らされながら、ぼそりと言った。
「恵美……実はさ……」
「ん? 何?」
「まだおまえに話していないことがある」
「どんな話?」
恵美は、贈り物の袋を開ける手を止めて、祐二の方を見た。
「本当は結婚前に言わなければならなかったんだけど、言えなかったんだ」
祐二の言い方に明るさはない。
「いやな話なら、いいよ。あたし、聞かないから」
「黙っていても、どうせ――」
「何? あたしにばれたら困るようなこと? 何の話よ」
「……やっぱり今夜はやめる。また今度話す」
「そんな言い方されたら、余計気になるじゃないの。何? 何なのよ」
裸電球に、小さな蛾がたかり、コン、コンと音をたてている。
「祐二?」
祐二はそれきり黙りこんで、何も言わなかった。蛾の音と、外から入る夏の虫の声だけが、二人の間を流れる。そのうちに、蛾はポトリと畳の上に落ちた。祐二は落ちてきた蛾の方に首を向け、獲物を見るような目で見ていた。バサリ、バサリ、と畳の上をバタつく蛾。つぶそうかどうしようか、迷っているのだろう。
「何よ、変な祐二」
口を引き結んだ祐二に、恵美はあきらめ、風呂の支度にかかった。古い民家なので、風呂は薪で湯を沸かす。家はわらぶき屋根ではなかったが、今どき信じられないほど、原始的だった。
ふすまをはずせば、部屋は大部屋にできる昔のつくりの家屋。これは祐二が、結婚の為に用意した家だったが、よくこんな物件を見つけてきたものだと恵美は思った。お金ができたら、風呂を最新式の物にしよう、と二人で決めていたが、それはいつのことになるかわからない。恵美は、天井を睨んだままの祐二を放っておいて、さっさと水を張ると、薪に火をつけた。
「ねえ、お風呂もう入れると思うよ。祐二、先にどうぞ」
「俺は後の方がいい。ぬるくないと入れないんだ」
「へえ、そうなんだ。じゃあ、お先に」
恵美が風呂からあがると、祐二がふとんを敷いてくれていた。今日は初めての夜……部屋の真ん中にぴたりとくっつけられて敷かれているふたつのふとん。恵美は、思わず、顔を赤らめてしまった。恵美と祐二は、まだキスしか許したことのない健全な関係で、互いのすべてを見せ合ったことはない。風呂へ向かった祐二の背を見ながら、恵美は、明日からの生活を思い浮かべた。
恵美はこの結婚で、会社をやめた。設計士の祐二はほとんど出社せず、ここで仕事をするので、二十四時間夫婦で過ごすことになる。
「ふとん敷いてくれたんだ。ありがとう」
赤らんでしまった顔を隠し、やっとそう言った。
しばらくすると、祐二が風呂を上がってきた。
――どうしよう……結婚した男女なら誰もが体験すること。
頭ではわかってはいても、心は伴わない。テレビのない部屋。BGMもなく……恵美は風呂上がりの祐二のパジャマ姿を見上げた。結婚のお祝いにもらったおそろいのパジャマ。
「恵美、今日は疲れたから、もう寝よう。そんなに緊張するなよ。何もしないからさ」
「そ、そう、そうね……あたしも疲れたと思っていたの。もう寝ましょうね」
今日は早朝から挙式の支度で大忙しの一日だった。正直言うともうヘトヘトだったのだ。おかしな期待をした恵美は、ほっとすると同時に、疲れを感じ、並べて敷いた布団に入るとすぐに眠りに落ちた。
大きな明かりを消した部屋は、豆電球だけが付いている。外からはうるさいほど途切れなく続く虫の声。
ぐっすりと眠りに落ちた恵美の姿を、隣のふとんから祐二が見ていた。片肘で頭を支え、恵美の寝姿をじっと観察する。
「恵美……一生、傍にいてくれよ。俺が何者でも」
祐二は、目を細めて恵美の方へ手を伸ばした。