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光のもとでⅠ 番外編SS  作者: 葉野りるは
初めてのバレンタイン
5/14

Side 翠葉 04話

「たくさん買い込んでこられましたね」

 七倉さんに言われて少し恥ずかしくなる。

 七十三人分と言ったものの、あとからまだ増えるかもしれない、と念のために一〇〇人分のラッピング用品を用意していたから。

 考えてみたら、美波さんや美鳥さん、里実さん、ゆうこさんたちの分は計上していなかった。数えなおせば数えなおすたびに人数が増えていく。

 拓斗くんにもあげたら喜んでもえらえそうだな、と思えば琴実ちゃんにもあげないと、また勘違いされて泣かれてしまうかもしれない。

 最近の小学生って難しいなぁ……。でも、美波さんと崎本さんにプレゼントするのに拓斗くんにあげなかったら、間違いなく拗ねてしまうだろう。

 悩みながら調理室へ行くと、さっきはなかったものが調理台に並べられていた。

 見たこともない大きなボウルがいくつか、その中に材料が入れられている。そして、調理台の一番端に大きなミキサーと見たことのない機械が置いてあった。

「さすがにこの分量ですからね。すべて手作業でやるとなると、腕に相当な負担がかかります。下手したら腱鞘炎になってしまいますので、使えるものは使う方針で、と考えているのですが、よろしいでしょうか?」

「……とても便利な機械があるのですね」

「えぇ、パンの生地を捏ねることもできます」

 私は初めて見る大きなミキサーと捏ね機に驚いていた。

「あの……六つのうち、天板一枚分だけは木ベラや泡だて器を使って作ってもいいですか?」

 七倉さんは不思議そうな顔をしたけれど、すぐに了承してくれた。

 どうしても……ツカサに作るものは機械に頼らず自分の手で作りたかったのだ。

 時間的余裕がないから「特別な何か」を作ることはできない。それでも、初めてのバレンタインだから。ほんの少しでも「特別」の要素を含ませたくて――。


 膨大な量も、捏ね機を使うとあっという間に生地作りは終わってしまった。人力の私のほうが時間がかかっているくらい。

 七倉さんはスケールを使い、きっちり五等分にしてラップで包み業務用冷蔵庫へしまっていく。その頃、ようやく私が作っていた生地がまとまりだし、ラップで包める状態になった。

 ここまでで正味三十分。

「さて、どうしますか? コーヒークランブルケーキはさほど時間がかかるものではないので、今日中に作ってしまいますか?」

「え……いいんですか?」

「はい。このあとはこれといった予定はございませんので」

 七倉さんの話によると、住居者からオーダーのあったものはすでに作り終わっており、明日の午前中に引き渡せる状態になっているのだとか。ただ、生菓子に関しては明日の午前中に作るとのことだった。

「では、まずは生地作りから――と、こちらもひとつは手作りですか?」

「……はい」

 気恥ずかしくて頬が熱くなる。顔色をごまかすために頬に手を添えると、

「きっと、喜んでくださいますよ」

 七倉さんの優しい笑みに、不安はほんの少し解消された。


 まずはケーキ生地を作る。バターを室温に戻したものをボウルで練り、砂糖を二、三回に分けて入れて混ぜ、溶き卵も二、三回に分けて少しずつ混ぜる。コーヒーはカフェで出しているコーヒーを濃い目に落としたものを使い、アーモンドプール、ふるった粉、スライスアーモンドの順に混ぜ型に流し入れる。

「さ、クランブルを用意しましょう」

「はい」

 すでに計量済みの小麦粉をふるってボウルに入れ、バターは冷蔵庫から出したものを一センチ角に切り、薄力粉に砂糖を加えてバターにまぶし、手ですり合わせてそぼろ状にする。さすがにこれは全部手作業。

 型に生地を流し入れ、ゴムベラで表面を平らにしたケーキ生地にクランブルを均等にふりかける。と、あとは一八〇度のオーブンで三十分間焼くだけ。

 その三十分の間、私は七倉さんに手伝ってもらい、買ってきたリボンとオイルペーパーのカットを行った。

「これで、コーヒークランブルケーキが焼けたら冷めるのを待って切り分けるのみですね。フロランタンは明日の午前でも午後でも、お嬢様のご都合のよろしい時間帯に焼きましょう」

「あの……コンシェルジュのお仕事は大丈夫なんですか……?」

「……そうですね、朝食をカフェラウンジで召し上がる方もいらっしゃいますし、ランチタイムもちらほらお客様がいらっしゃいますので、その時間さえ避けていただければ……」

「九時頃だったら大丈夫ですか?」

「ちょうどいい時間帯です。最初の焼成を二十分、その間にアーモンド生地を作って、最後に一八〇度のオーブンで二十分から三十分焼けばできあがりです。焼いている時間はコーヒークランブルケーキの切り分けやラッピング時間に当てましょう」

「……本当に、何から何まですみません」

「いえ。もともとお菓子を作るのは好きですから楽しませていただいております」

 にこりと笑うと、香乃子ちゃんの目元と少し似ていた。

 気づけば六時前で、唯兄から催促の電話が入る。即ち、夕飯の時間だから帰ってらっしゃい、というもの。

「七倉さん、今日はありがとうございました。また明日、よろしくお願いいたします」

「はい。では、明日九時にお待ちしております」

 私はお辞儀をしてから九階のゲストルームへ戻った。


 家にはすでにお父さんもお母さんも揃っていて、私より少し遅れて蒼兄が帰ってきた。

「翠葉、今日は藤倉の駅ビルまで行ったんだって?」

 お父さんに訊かれ、引きつり笑いで頷く。

 唯兄には付き合ってもらってしまったからその理由は知られているけれど、お父さんと蒼兄にはまだ黙っておきたい。

 明日は午前中にお菓子を作り終えるから、そしたら自室に篭って無我夢中で編み物をすることになるだろう。

 部屋に篭っていることを不振に思われないといいのだけど……。

 私は夕飯を食べ終えると少し休んでからお風呂に入り、お風呂から上がるとすぐに編み物を始めた。

 太い編み棒と太い毛糸で目を作っていく。細い毛糸じゃないから目も少なくて済む。メリヤス編みとガーター編みを悩み、一番短時間で編めて単調な作業になるガーター編み一辺倒で編むことにした。

 この時点で時刻は八時前。

「今日中に一本は編みきろう……」

 最初に手に取ったのは黒い毛糸に白いモヘヤが絡められた毛糸。

 唯兄と同じ毛糸だけど、今日はツカサのために編む。

 今日中に編み上げられるという余裕があるだけに、想いをこめて編むことができそう。

 一目一目想いをこめ、喜んでくれる姿――を想像するのは難しいから、ただ無言でマフラーを首に巻いてくれることを想像して。

 使ってもらえたら嬉しい……。でも、ツカサの私服姿はあまり見たことがなくて、どんなマフラーが似合うのかはわからなかった。

 パレスで借りたマフラーはダーク系の配色で素材はカシミヤだったな……。

「そもそも、手編みのマフラーなんてしてくれるのかな……」

 不安には思うけど、手だけは休めずひたすらに編み続けた。

 十二時前には五玉全部編み終え、ロングマフラーといった長さのマフラーが出来上がる。

「目を落としたところも編み間違えたところもなし……」

 あとはラッピングなのだけど、ツカサ相手にピンクの包みやリボン、というのがどうしても想像できなくて、モノトーンの手提げ袋にたたんだマフラーをそっと入れた。

 メッセージカードを前になんと書いたらいいのかわからなくなり、「いつもありがとう」と記したあと、急いでもう一言書き足した。

「携帯ホルダーとストラップ、とても重宝しています。マフラーはそのお礼です」。

 これならマフラーをプレゼントする口実になるような気がしたから。

 一仕事終え、軽くストレッチをして身体をほぐしてから薬を飲み、ベッドに入った。




 朝食を食べたあとはメッセージカードに取り掛かる。そして九時少し前に家を出て、一階のカフェラウンジへ向かった。

「おはようございます」

 エントランス立っていた崎本さんに声をかけると、

「お待ちしておりました。調理場に七倉がおります」

 促されるように調理室へ入ると、すでに調理台に生地たちがスタンバイしていた。

「では、手を洗ってから生地を天板に広げていきましょう」

「はいっ!」

 天板に生地広げ全体にフォークを差し穴を開けると、オーブンに入れて二十分ほど空焼きする。

 その間にクッキー生地に乗せるアーモンド生地を作った。

「焼き上がりまでにまだ少し時間がありますので、昨日焼いたコーヒークランブルケーキの切り分け作業をいたしましょう」

 私は誘導されるままに七倉さんの手順に従った。

 家ではだいたいこのくらい……という目分量で切っていたけれど、ケーキにはすでにガイドとなる線が引かれており、私はそのガイドに沿って包丁を入れるだけ。そのおかげで、線が曲がることなくきれいな長方形に切り分けることができた。

「きれい……」

「味見、されてみますか?」

「……あの、私、カフェインが摂れないので……。七倉さん、私の代わりに味見していただけますか?」

「私でよろしければ」

 七倉さんは端の少し崩れている部分をひと欠片口にした。

 するとにこりと笑ってくれる。

「とても美味しくできています。きっと皆様も喜ばれるでしょう」

 私たちはフロランタンの焼きあがるまでの時間、それらを透明の袋に入れる作業を黙々とこなした。

 リボンをつけると売り物のようにも見えなくもない。

 こんなふうに用意ができたのは唯兄と七倉さんのおかげで、七倉さんのメッセージカードに、一緒に作ってくれたことに対するお礼を書き添えて正解。

 時間が経つにつれて、フロランタンの香ばしい香りがしてくる。香りはあっという間に調理室に充満した。

「私、この香りが大好きなんです。思わず頬が緩んじゃうくらい」

「わかります。でも、私は食いしん坊なので、端の少し焦げたものを味見するのが幸せです」

 私たちは顔を見合わせクスリと笑い、残りの作業に集中した。

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