彼女の正義
リングの両端で、両者が互いを見遣って対峙する。
ネフリはいつものホットパンツにシャツ姿、アユティは当然の全裸である。
ティリアは宣言どうりに鉄球を持たず、また、鎧も身に着けない、肌着とズボンだけの姿だった。
仲間の光神教徒たちは鎧を着けるように言ったのだが、『相手が鎧を身に着けないのに私だけが身に着ける訳にはいかない』とそれを固辞したのである。
つまり、この試合は、三者全員、武器も防具も身に着けない、完全なる徒手空拳での勝負なのである。
「お互い配置についたな。試合前に何か言うことはあるか?」
俺は前の試合と同じ問いかけを繰り返す。
「私は勝つ。勝って、マスターへの愛を証明する」
ネフリはそう言って、拳をボクシングスタイルに上げて構える。
「お前が背負っているのは、ただ一人に対する愛。私が背負っているのは、光神様の|生きとし生ける者全てに対する愛だ。その重さの違いを教えてやろう」
ティリアがアルカイックスマイルを浮かべて呟いた。
その構えは、ネフリよりもさらに上段で、腕で顔や頭を覆う形だ。
その姿は敬虔で、まるで苦悩した人間が神に祈りを捧げるようにも見えるほど厳かだ。
そういえば、映画かなんかでアメコミヒーローが似たような構えをやっていたなあ、と思ってスマホでググったら、地球では、KFM(Keysi fighting methods)という格闘技が実践している構えらしい。
「キキキキキッ(じゃあ、私は死の本能にでも祈ろうかしら)」
アユティになった委員長が猿顔似合わぬ厨二なことを言って、腕をぶらつかせた。
「――それじゃあ、始め!」
俺はそう叫ぶと同時に鈴を鳴らす。
「ハっ!」
ネフリが短く息を吐き出し、前に出た。
ティリアは一気に後ろに跳び、壁際に移動する。
ネフリと委員長に挟み撃ちにされるのを警戒して、背中をとられないようにしたのだろう。
そして、壮絶な打ち合いが始まる。
(すげえ。パンチってほんとに切れるんだ)
俺は思わず唾を飲んだ。
ティリアの一撃がネフリの頬を裂き、ネフリの連打がティリアの肌着を破いた。
つーか、速すぎて、俺の肉眼じゃ二人の攻撃を追えない。
魔王のスキルで動体視力を強化して、ようやくテレビで普通の格闘技を見ているのと同じくらいの感覚で見ることができた。
ティリアの攻撃は足技も使った臨機応変な感じだが、ネフリの攻撃は自然にボディーに集中している。
ティリアの顔のガードが固いからだ。
委員長は懸命に援護しようとするが、ティリアは巧妙に位置取りを変え、時に壁を、時にネフリの身体を盾にして巧妙に委員長の攻撃を防いだ。
(つーか、生身で俺がしこたまルクスを注ぎ込んだモンスターと渡り合うって、やっぱりティリアちゃんも化け物じゃないですかー。ヤダー)
ネフリはドラゴンの力を身体に秘めているので、当然その身体能力は普通の人間をはるかに超越している……はずなのだが、それとティリアは魔法なしで普通に渡り合っている。
(だが……限界もあるか)
なんといってもネフリはドラゴニュートな上、自己回復のスキルも持っているので、かすり傷程度はくらった瞬間から治してしまう。
それに対してティリアは、くらう回数は少なくても、ダメージはダメージとして蓄積していくのだ。
「ケケケケケ! どうしたティリアよ! いくら鍛えたとはいえ、天使の加護がなければ所詮貴様は脆弱な人間。このままではジリ貧じゃぞ!」
シャテルがリング越しに哄笑し、ティリアを煽る。
「愚者の口数は多く、賢者のそれは少ない。小手先の児戯をいくら重ねても意味はないのだ。貴様も知っているだろう。私は一撃で全てを決する者である」
ティリアは、二体の敵を同時に相手にしてもなお、余裕のある微笑でそう答えた。
「くくく、お主の性向くらい知っておるわ。じゃが、お主の身体は無事でも、そのお召し物の方はどうかのお」
シャテルは慇懃な口調で言って、ティリアの身体を舐めるように見回す。
「シャテル……貴様」
ティリアは自身の身体を一瞥し、顔を歪めた。
彼女の身体にはほとんど傷がなかったが、ギリギリ最低限の動作で攻撃をかわし続けたために、その服のいたるところが破れている。
例えばズボンの太もも部分なんかもざっくり裂けて、チャイナドレスのスリットみたいになっていた。
エロい。
「随分愉快な格好になりつつあるのう。このままいけば、その内生まれたままの姿に戻れるのではないか? わらわからのサービスじゃ。ありがたく受け取れ。お主、好きじゃろう? 赤子のような無垢とか、そういう綺麗ごとがの」
どうりでネフリと委員長の攻撃がティリアの身体に集中していると思ったが、ティリアの構えのせいだけじゃなくてシャテルの指示だったのか。
いいぞもっとやれ。
「だからどうした。まさか服を破いた程度で、私が小娘のように恥らって動揺するとでも? だとすれば耄碌したものだなシャテル。神に信仰を捧げたその日から、私にとって性別などは塵芥のごとき些末ものに過ぎん」
ティリアはきっぱりと言って、こぼれる白い太ももを隠すこともなく、拳を繰り出す。
「くくく。お主はそれで良いかもしれんがのお。今その勇姿を目の当たりにしておる哀れな子羊どもには、少々酷かもしれんのお」
シャテルが邪悪な忍び笑いを漏らして、店内の冒険者たちを見回した。
「どういう意味だ?」
ティリアはシャテルに視線もくれないまま呟く。
「ティリア。お主がどう思おうとも、そなたは人並み外れて美しく、故にエロいのじゃ。お主の裸身が晒されれば、子羊どもは望む望まないに関わらず、オスの自然の摂理として欲情せざるを得ない。確か、色欲はお主らの教義で大罪の一つに数えられるほどの咎であったのお」
シャテルはもったいぶったようにそう言って舌なめずりする。
精神攻撃は基本……とはいえ、完全にヒールの言動だ。
『ああ! 恐ろしいぜ! 女の裸が恐ろしい』
『俺たちにぃ大罪を犯させないでくれえ!』
客たちはわざとらしく叫んで、『まんじゅう怖い』的なノリで瞳を手で覆った。
「……」
「……」
一方の光教徒たちは無言だったが、それが逆に怖い。
今にも剣を抜き放って、客に襲いかかりそうな危ないオーラを全身から放っている。
ともかく、店の盛り上がりは最高潮に達していた。
まあ、プロレスもそうだけど、ヒール役がいた方が盛り上がるからな。
しかも、今回はお色気要素まであるし。
「つまり、貴様はこう言いたいのか。シャテル。私が魔物相手に服を剥かれるようなことになれば、罪のない子羊たちに色欲の罪を犯させることになり、それはすなわち光神様の御心に反することになる、と」
ティリアの声が一段低くなる。
あかん。これ完全にキレてるよね?
多分本人に聞いたら否定するだろうけど絶対キレてる。
「わかっておるではないか。どうじゃ。ティリア。降伏せぬか? さすればこの白旗を下着代わりにくれてやるぞ」
シャテルがからかうように言う。
日頃の言動はアホだけど、やっぱりシャテルは知将だなあ。
ティリアは光神教徒の名誉のために戦ってるから、シャテルの言葉を否定することはできない。
これで、ティリアにとっては不利な形で、勝手に敗北条件が変更されたことになる。
「断る。相変わらず小賢しい奴だ。やはりお前は神の敵だな」
ティリアは額から垂れてきた血を、床に吐き捨てる。
「じゃが、わらわの言葉に矛盾はあるまい? ちゃんとお主らの教義にのとって作戦を考えてやったのじゃぞ? ほれ、お得意の『相手の気持ちになって考えましょう』ってやつじゃ」
シャテルはそうやって、人間の建前を徹底的に嘲弄する。
そこに悪意はなく、スカートめくりをする小学生のような、無邪気な悪戯心だけが全身から発散されていた。
しかし、建前を本気にして生きているティリアたちからすれば、それは許されない侮辱となるのだろう。
二人の仲が悪い理由が何となくわかった気がする。
「ふう。いいだろう。認めてやろう。貴様の言葉を。だが、それでも私は負けない」
「ほう、ならば証明してみせよ!」
ティリアが叫び、シャテルが嗤う。
再び、無言の打ち合いがはじまった。
ティリアのズボンのスリットが、二つになり、三つになり、拳はきしみ、その唇は血の紅に化粧される。
「ふむ。ネフリと言ったか。中々やるものだ。攻撃に迷いがない」
ネフリと拳を突き合わせた瞬間、ティリアがぽつりと呟く。
「降伏、する?」
ネフリが頭突きついでに、わずかに口を動かす。
「いや。しかし、私が不利なことには違いな。そこで、質問なのだが――」
ティリアが前蹴りでネフリと距離を取る。
「なに?」
ネフリが小首を傾げる。
「もし、私が敗れたなら、魔王は貴様とマヤ、どちらを称えるのだろうな? その手柄はどちらのものになるのだ?」
さりげない調子で、ティリアはその疑問を口にした。
「それは、もちろん、ネフリ! ネフリの方がいっぱいお前に攻撃を当ててるから! ネフリの方ががんばってる!」
ネフリが俺にアピールするように、さらに攻撃を激しくする。
「しかし、マヤはアユティという格下の個体を操りながら、お前の行動を阻害しない攻撃をしている。その連携は評価に値するものだ。それに、このまま私がお前に気を取られ続ければ、最後の一撃を加えるチャンスはマヤに回ってくる可能性が高い。聡明な魔王ならば、それらを総合して賞与を考えるだろう」
「ネフリ! ティリアはお主を惑わせようとしているのじゃ! 奴の言葉に耳を貸すでないぞ!」
シャテルが声を張り上げて警告する。
「う、うん……」
ネフリは慌てて首を振り、改めて構えを固くする。
「さらに私の見立てて言えば、今回の一番の功労者は、シャテルになるだろうな。私を追い込む計画を立てたのは奴だ」
「……」
もはや、ネフリはティリアの言葉に応答しなかったが、追い込まれたティリア自身から発せられるその言葉には、説得力があった。
「ネフリがお前を倒せば! 問題ない!」
ネフリは自身に言い聞かせるようにそう叫んで、一歩踏み込む。
しかし、拳を繰り出すほんの刹那、彼女は委員長を一瞥してしまった。
――その一瞬を、ティリアは見逃さない。
「主に捧げます」
ティリアは甘く入ったネフリのジャブ掴み、見事な一本背負いを決める。
「カハッ」
ネフリが背中を強く打ち、苦しげな吐息を漏らした。
ティリアはそのまま流れるような動作で、ネフリを三角締めする。
ティリアの鍛え上げられた太ももが、容赦なくネフリの首筋を圧迫する。
委員長がネフリを救おうと、慌ててティリアの背中に跳びかかった。
(やべえ。これ死ぬぞ!)
俺はシャテルに視線を送る。
「ちっ! あの程度の妄言に惑わされよって!」
シャテルが素早く白旗を振った。
しかし、すでに跳躍し、空中にいた委員長は行動を停止することができない。
そのままティリアの背中につかまり、ずるずるとボロボロになった彼女の上着を引き裂いていく。
よっしゃ!
見え……見え――
ズボッ!
あと少しで下着が拝めると思ったその瞬間、視界が赤く染まった。
ティリアが、委員長――アユティの腹を肘打ちで貫いたのだ。
水晶の壁を血が汚し、上手いことティリアの下着の部分を隠す。
ティリアはそのままネフリを解放して立ち上がると、壁にアユティを押し付け、死体を筆のように使って、赤の面積を広げていった。
こうして、リングの一角は不可視の状態になる。
(見せろやああああああああ!)
俺はダッシュで血のついてない反対側の壁に移動した。
びりびりになった上着がスルスルと下に落ちていく。
今度こそ見え――るかと思った瞬間、ティリアはアユティを引っ掴んで、自身の胸に巻き付けた。
アユティの腕を背中でちょうちょ結びして、そのままさっき血を塗りたくった壁に尻を押し付ける。
これでガチで何も見えなくなった。
「どうだ? こんな私にでも、まだ人は欲情するか? シャテル?」
胸から、まだほかほかのアユティの臓物を滴らせて、ティリアが凄絶に笑う。
「わかった。今回はわらわの負けじゃ」
シャテルは素直に敗北を認めて、肩をすくめた。
「勝者! サント・リラ・ティリア!」
俺は高らかに勝利を宣言する。
客は沸き立ち、光神教徒たちの高らかな祈りが、神とその偉大なる使徒を祝福した。




