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賢者タイムと痴女

 地上八階、1DKの洋間で、シャツとパンツだけの格好の俺は、携帯用ゲームのプレイ画面と向き合っていた。


 カチ。カチ。カチ。


「もう、充悟くん。くすぐったいよー。きゃはっ、きゃははは」


 ボタンを押す度に、画面の中の女子生徒がむずかる。一見、よくある恋愛シミュレーションゲームだったが、これは、くすぐって女子生徒の中にいる悪霊を追い払うというちょっとマニアックな内容だった。


 ちなみにどんなこっぱずかしいギャルゲーでもヘッドホンはつけずに実名プレイ。それが俺のポリシーだ。このマンションはそれなりに防音もしっかりしているからご近所に迷惑がかかる訳でもないし、一人暮らしだから誰かに気を遣う必要がある訳でもない。


「も、もう無理ぃ! たばはああああああああ」


 女子生徒の大笑いが頂点に達し、口からエクトプラズムが噴き出す。


「ふう……」


 女子生徒を救うという一仕事終えた俺は、額に浮き出た汗をティッシュで拭い、役目を終えたそれをゴミ箱へとシュートした。


「さっ、風呂でも入って寝よ」


 もっさりと立ち上がり、浴室へ向かった。


 熱いシャワーで一日の汚れを流す。


 あー、明日は数学の小テストだったけ、などとどうでもいいことを考えながら、ルーチン的な手順で顔を洗い、身体を拭き、パンツとシャツを着て、歯を磨く。



 そう。



 あの時、俺は全くいつも通りの日常を送っていたのだ。



 リビングへと続くそのドアのハンドルに手をかける、その瞬間までは。




「あー、さっぱりした」


 何も知らない俺は、意気揚々とバスタオルを肩にかけ、ドアを押し開く。


 ガチャ。


 何の抵抗もなく開いた扉のその先には――


「むちゅむちゅ」


 俺の使用済みのティッシュを咥えている痴女がいた。


「ふぁっ!?」


 間の抜けた声を出し、思わず一歩後ろに後ずさった俺は、その女を二度見する。


 その痴女を一言で表すなら、ずばり『コスプレロリ巨乳』だ。


 身長は小学生くらい。肌の露出度は高く、身体の表面積の90%以上は外に晒されているが、地上波アニメで放送禁止にされそうな重要な部分だけは、紐と表現した方がしっくりくるような細い布でカバーされている。頭にはご丁寧に、人さし指くらいの長さの角が生えていた。その喉には、なぜか犬の首輪にも似たチョーカーが巻かれている。


 顔はさすがに自己顕示欲丸出しのコスプレをするだけあって、美人といって差し支えない。テレビに出てるモデルタレントの隣に並んでも公開処刑できるレベルの綺麗さだ。だが、不思議なことに、その顔からは年齢が読めなかった。皺一つない肌からして、ババアということはないはずだが、かといって背格好どおりの小学生か、といわれても疑問が残る。おっぱいが大きすぎるし、何より言語化することができない表情の『深み』みたいなものが、俺の判断を狂わせる。


 まあ、今はこの痴女は違法ロリか合法ロリかはどうでもいい。


 ともかく、それが――その痴女が、恍惚の表情で俺の使用済みのティッシュを口に含み、もごもごしていた。


「ごくん」


 あっ。飲みこみやがった。


 一体どこから侵入したんだこいつは。ここのマンションは一応それなりのグレードだ。


 防犯カメラやオートロックなどのセキュリティを備えているし、俺も一人暮らしということもあって、戸締りには気をつけている。


 ちらっと部屋の奥を見るが、窓が割られた様子もない。


「ごきげんようなのじゃ。新しい魔王殿」


 俺の老廃物をいっぱい吸ったゴミを胃袋に収めた痴女が、何食わぬ顔でこちらに微笑みかけてくる。


 うわっ。でたよ。のじゃロリだ。のじゃロリキタコレ。と、いうことは少なくともこの女はロリババアのつもりでコスプレしているらしい――などと推測している場合ではない。


 本格的に頭がアレな人のようだ。とりあえず通報――って、だめだ。携帯は部屋の奥だ。取りに行くには、痴女の近くを通過しなければならない。外見的には大して力があるようにも見えないし、凶器を隠し持つことができるようなスペースはこの女の服にはないから、抵抗されても強引に突破することは可能だろう。だが、逆に大声でもあげられれば、こっちが強姦魔扱いされかねない。


 じゃあ、このまま回れ右して、外に出て、隣人に助けを求めるか? 


 まあ、最悪そうするしかないが、この状況をなんと説明すればいいのかわからない。加えて、今、パンツとシャツだけの格好の俺が外に出て行ったら、逆に俺が通報されてしまうかもしれない。


 仕方ない。とりあえず、言葉は通じるようだし、平和的にご退去願おう。


「あの、誰だかしらねえけど、さっさと出てってくれ。まだ何も盗ってないみたいだし、今なら警察にも通報しないでおいてやるから」


 俺は寛大にそう要求した。


 正確には俺の青春の汗が食べられてしまったが、そこは仏の心で許してやるとしよう。


「そう邪険にせずともよかろう。新しい魔王殿。わらわはちょっと魔王殿に聞きたいことがあるだけなのじゃ」


「聞きたいこと?」


 俺は目を細め、痴女の顔を見つめた。俺のことを魔王呼ばわりする違和感は激しいが、質問に答えるだけで問題が解決するなら、しばらくは付き合ってやってもいいか。


「うむ。ここはどこじゃ? わらわはこれまでダンジョンを通じて、ラスガルドにある幾多の国々を見てきたのじゃ。それこそ、知らぬ国などないというくらいにな。しかし、そんなわらわでもこのような頑丈で、高い建物がいくつもある国は知らぬ。また、用いる言語もわらわにとっても未知のものなのじゃ」


 痴女は窓の外を見遣ってそう呟く。


 確かにここは、八階建てのマンションの八階、つまり最上階だが、日本にも、世界にも、ここより高い住居など掃いて捨てるほどある。というかその前に――


「っていうか、あんた普通に日本語喋ってるじゃん」


 厨二も結構だが、あまりにも設定がガバガバ過ぎんよ。


「言葉が通じるのは当然であろう。ぬしは魔王殿に選ばれたのじゃから。ふむ。しかし、ニホン語というからには、ここはニホン国というのか?」


 とぼけた顔でそんなことを言う。知っていたことをさも知らなかったかのように喋って、楽しいんだろうか。


「……正解だよ。ここは日本国だ。わかったらさっさと出て行け」


「うーむ。どうもおかしいのじゃ。お主の態度を見ても、恐れるでもなく、嫌悪するでもなく、まるで魔王の存在すら信じておらぬような雰囲気じゃし。当然、わらわの名も知らぬと申すのじゃな? 『純潔のシャテル』といえばラスガルドではそれなりに名のある存在なのじゃが」


 痴女が腕組みして首を傾げる。


 うわっ。二つ名とかまで出てきちゃったよ。ここまで思い込みが激しいと説得は無理そうだ。


 俺は無言で踵を返す。


「おい! どこに行くのじゃ! まだ質問は終わっていないのじゃ! 『バインド!』」


「知るか――って、なに!?」


 玄関に向けて進むはずの俺の右脚が、その痴女の一言で硬直した。ピクリとも動かすことができない。


 まさか、本当にさっきの痴女の呪文で? いやいやそんなはずはない。どうせ、催眠術かなんかだろう。こんな素人が作ったRPGみたいな安っぽい詠唱が、ガチの魔法であってたまるか。いや、でも、よく考えたら催眠術の方がリアルでやばいかも。


 そんなことを考えている間に、俺の身体は意思に反して部屋に逆戻りした。そして、真正面から痴女と向かい合わされる。


「魔王殿。人生は長いぞ。そう生き急ぐものではない」


「いや、あんたが来るまではまったり生きてたんだけど……っていうか、さっきから俺のこと魔王って呼ぶけど。自分の意志で外出もできない魔王ってありえなくね? 弱すぎるだろ」


 俺は嫌味っぽく言い放った。


「それは当然じゃ。今はまだ、おぬしは何の力も身に着けていないただの新米の魔王に過ぎぬのじゃから、仮にもかつて四天王の一角を務めたわらわに敵おうはずもない。しかし、将来は分からぬぞ。おぬしの才覚如何によっては、魔物の軍勢を整え、ダンジョンを盛り立て、世界から恐怖される魔王になることも可能であろう――まあ、わらわとしてはあまり勧めたくない道じゃな」


「四天王(笑)」


 俺は失笑した。


「まだ信じておらぬのか。ラスガルドに生きておりながら、ダンジョンや魔王の存在を知らぬ者がいるとはな。このままじゃ話にならぬが……まあいい。実際にダンジョンに入れば、理屈ではなく、本能でおぬしが魔王に選ばれたことを解するじゃろう」


 痴女はひとりでにそう納得すると、部屋の中でも一番大きいクローゼットを指差した。


 理屈もなにも、クローゼットの中にあるものは分かりきっている。あそこは、趣味の品の収納スペースだ。映画やアニメのDVD、真面目な小説もラノベもギャルゲーもアイドルのグラビアも、全部まとめて放り込んである。


 俺の身体が操り人形のように痴女の指示した方向に歩き出す。俺の手が、横開きのクローゼットにのびる。


 横開きのクローゼットが、カラカラと音を立てて開いた。



「嘘……だろ?」


 俺は絶句する。


 予想は一瞬で裏切られた。


 クローゼットの中に待ち受けていたのは、大穴だった。


 穴の直径はクローゼットの床面積一杯、つまり、たたみ二畳分くらいだろうか。床までの深さは5メートルくらいだ。穴のふちには、ご丁寧に縄ばしごまで設置されている。


 俺の秘蔵のコレクションのほとんどは跡形もなく消滅し、辛うじてのこっているのは、一番上の棚くらいだ。


 ありえない。



 こんなことはありえない。



 仮に床に穴が空いたことは千歩譲って認めるにしても、その穴の下にあるのは階下に住んでいる斉藤さんのお部屋のはず。しかし、今その大穴を覗かされた先に見えるのは、四方を土壁に囲まれた、十畳ほどの無機質な空間だった。


 窓もなければ、家具もない。目につくものといえば、壁の一面に設置された両開きの扉くらいのものだ。その他の三面の壁は、仄かな緑色の燐光を放ち、薄暗いながらも、普通に活動するには十分なくらいの明るさを保っている。


「ま、まさか、これも催眠術の一種だというのか? もしかして、俺の遺産を狙って――」


 視覚まで操るなんて、相当な手練れに違いない。


「何を言うておるのじゃ。確かに身体を操りはしたが、幻術の類は使っておらぬぞ。今、自由にしてやろう」


 痴女が呆れたように言って、指を鳴らす。


「おっ」


 身体が途端に自由を取り戻す。


「どうじゃ? これで少なくともダンジョンの存在は信じたじゃろ? 後は、その中に入れば、お主がどういった文化的な環境の下で育っておろうと、潜在意識に『真の魔王』からの説明が直接流れ込んでくるはずじゃ」


「……」


 俺は痴女の顔と大穴を交互に見て考え込んだ。


 魔法だか催眠術だかは知らないが、とりあえず、現時点では俺はこの痴女に敵わないらしい。それに、さすがに俺も自分の部屋にできた謎の大穴を放置できるほどのスルー力はなかった。


 俺は縄梯子に足をかけ、一段一段、慎重に足を降ろしていく。


 やがて、底に足をつけたその瞬間だった。


 頭の中に直接働きかけるような声が語りかけてきたのは。

 

――我は『真の魔王』。魔を束ねる長たる資格を持つモノよ。汝に迷宮の理を伝えよう。


 重苦しくしわがれた声が、不可避の重みをもって、響く。


 うん。わかった。


 どうやら俺は魔王らしい。


 この降って湧いたようなファンタジー現象は認めてやる。


 認めてやるから――


 とりあえずは俺のおもちゃ (人生の暇つぶし)を返せ。

 

 向こうからこちらへの一方通行のメッセージだと本能で理解していながら、俺はこの大穴を造りだした誰かに、心の底から不平を申し立てた。



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[気になる点] シャテルが未知の言語って言ってたのに、後に本をあげるのって変じゃないですか?
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