アーサー⑩
日が落ちる。
アーサーはねぐらに母子を送ってから、自分の寝床である粗末な小屋に車を走らせていた。
車内では、とある動画が再生されている。
アーサーはこの動画をもう何度となく見ているが、世界中の人々も同じように関心があるらしく再生回数は日々増加する一方だった。
それは喜ばしいことである。
思想が感染している。
いや熱意と言ったらいいのか。
目に見えないものが広まりきったら、次は行動を起こす者が現れるだろう、そう次々と。
すでに疑心暗鬼、いや本性に従った事件があちこちで発生している。
喜ばしい混乱だ。
動画はアメリカで人気の、あるテレビのトークショーの様子だった。
社会問題に対してキャスターとゲストと一般視聴者が意見を交し合うありきたりの番組だ。
生放送であるため、時に過激な発言がそのまま流れることになる。それも番組の売りのひとつだったが。
ここ最近はずっと、世界各国で起こるテロリストではない一般市民による無差別殺人事件がテーマだった。
アメリカの港町で起きた教師と生徒による銃乱射事件や宗教指導者による集団自殺、日本のアーティストによるライブ会場での引火爆発事件。飛行機やバス、トレーラー等の運転手による乗客や市民を道ずれにした暴走。
人々はなぜ凶行に走るのか。
ゲストである社会評論家であり弁護士、もしくはアーサーの古い友人、リード・ブラウンは低くよく通る声で淡々と次第に感情を高ぶらせ演説をした。
スタジオは荒れた。
リード・ブラウンは早速非難されたが賛同するものも徐々に現れた。
視聴者の意見が画面上に流れる。
狂っている不安を煽っている頭のおかしい宗教指導者呼ばわりから、言っていることは正しい最近はこういった事件が多すぎる誰も信用出来ない自分の身は自分で守らなければどうしたら異常者を見分けるのか、といった声まで。
様々な意見が飛び交い番組は収集することが出来ず終わる。
リード・ブラウンは今も各地で講演を続けているが、昔より講演料をたくさん手にすることが出来ているようだ。
グリーン野生動物保護センターに提供される寄付金の額がそう物語っている。
アーサーはもう一度動画を再生した。
番組の中ほど、リード・ブラウンが口を開く。
「私がこの番組を見ている皆さんに言いたいのは、自分を信じて行動を起こさなければならないということと隣人を信用するなということです。いいですか皆さん、社会生活に適合できない犯罪者予備軍はどこにでもいるのですよ。我々は気付かないだけです。皆さん疑いなさい。キャスターを疑いなさい。医師を疑いなさい。政治家を疑いなさい。教師を疑いなさい。弁護士を疑いなさい。警官を疑いなさい。公務員を疑いなさい。芸能人を郵便配達員をレジ打ちを農家をスポーツ選手を映画スターを疑いなさい。上司を疑いなさい同僚を疑いなさい親族を疑いなさい友人を疑いなさい恋人を疑いなさい兄弟を疑いなさい。隣人を、疑いなさい。誰もが家でなにをしているかなどわからないのですよ。家の中のことなど誰にもわからないのです。隣人が今にも破裂しそうな殺人衝動を抱えていたとしても我々はなにも知らないのですよ。疑わしき者は自分たちで監視し合い危険が及ぶようであれば、我々は行動を起こさなければいけないのです。自分の身を家族の身を守るために。武器を手にすることは過剰な反応でもなんでもありません。防衛はあたりまえの行動です。おかしな行動を言動をする者がいたらそれは後に起こりうる事件のサインかも知れません。脅威はもはや大きな団体に所属するテロリストばかりではないのですよ。個人が事件を起こしてしまう、そういった時代なのです。自分だけの思想に取りつかれる、それは誰にでも言えるでしょう。その思想を自制出来ないからこそ危険なのです。もはや狂信者と言えるでしょう。自分自身にのみ従う宗教家。狂信者たちは今この瞬間でさえもどこかで事件を起こしている。我々が出来ることは疑うこと防衛すること、武器を手にするもよし相手を傷つけたくなかったら自宅の鍵を頑丈にしたり窓を格子付きにしたり地下シェルターを作ることもお勧めです。大事なのは行動を起こすことでしょう。黙っていても誰も助けてはくれないのですよ」
私が扇動者になろう、もう三十年も前にあえて接触することをやめた友人の言葉だった。
その時ただの学生だったその男は、こうしてアーサーとの約束を果たすこととなった。
アーサーが故郷イギリスを離れ、丁度カナダとの国境沿いにあったアメリカの牧場にいた頃。
住み込みで牛の世話に明け暮れるアーサーは、ある日ライフルを持たされた。
オオカミを駆除しなければならないと。
あっちの土地から群れが現れるまでカラスでも狙って練習しろと、膨れた腹を色あせたオーバーオールに詰め込んだ牧場主は言った。
若きアーサーはほぼ追い出されるように実家を後にしたただの動物好きにすぎなかったため、雇い主に従わなければ生活できないという現実に無意識に従っていた。
若きリード・ブラウンはカナダ人であり故郷やそれ以外の豊かな環境を保全する活動に燃える学生だった。
もちろん動物保護に対しても情熱を燃やしていた。
今はわからないが当時は金のない若者でにぎわっていたバーがあり、アーサーはそこでリード・ブラウンが同級生と討論するのをよく聞いていた。
彼の声はよく通ったため勝手に聞こえてきたものだ。
人の都合で特定の生き物を減らし続けると生態系のバランスが壊れる。当たり前のことだ。
家畜の肉つまり我々の食欲を満たすためだけに他の種を絶滅に追い込んでいるなんて、本当に救いようのない卑しい生き物だと思わないか。みんな運動を起こそう。
牧場を回って野生動物の保護とこれ以上森を切り開くのをやめるように。
最初は何人もの同級生がいたが次第に人数が減っていった。
大方リード・ブラウンの演説に付き合いきれなくなったんだろう。学生生活は楽しく送りたいものだ。
アーサーと言えば彼の言動にはほとんど賛成だったため、大人しく話を聞く観客になっていた。
同時にバーの常連にもなった。
しばらくして顔を見ればお互い挨拶するくらいにはなっていた。
ある日リード・ブラウンはチラシを作ったとサンプルを見せてくれた。
各牧場に配る環境保全を訴えるチラシを。バカにもわかりやすいイラストつき。
君の雇い主にすぐ伝わるかなと聞かれたから十分だと答えてやった。
学生の気遣いに感謝だ。
だがアーサーは牧場主に訴えたところで無意味だと知っていた。
自分の利益と裕福ばかりを求める人種に、生き物の苦痛などわかるはずがない。
リードは明日にでも新聞社に持ち込むと意気込んでいた。
アーサーは明日オオカミを狩る予定になっていた。
アーサーは、牧場のすぐそばにあるカナダとの国境を有する広い森のあちこちから牧場主を狙って撃つ真似をしていたため、結局カラスを撃つことはなかった。
一度だけ、ワナにかかって足がちぎれかけている痩せこけたキツネを撃った。どうみても助けようがなかった。虫が出入りしていてどうしようもなかった。
楽にさせるためというエゴにしかならない行為だとアーサーは思いしばし悩んだが、引き金を引くのに時間はかからなかった。
アーサーが動物を撃ったのは後にも先にもその時だけだった。
アーサーはあくる日リード・ブラウンにはなにも言うことなく、自分と同じように牧場で雇われている男三人と応援に来た地元のハンター四人と森に出かけた。
足跡はあるがオオカミの姿はなかなか見当たらなかった。遠くで狩りでもしているのだろうか。
アーサー一人木の上から様子を見ることにした。
アーサー以外は木に登れるような体型ではなかったためだ。
オオカミが見えてもいないと答えるつもりだった。
その場しのぎにしかならないのだが。




