アーサー⑧
ジェイコブ・ブラックバーンからのメールは実に久しぶりだった。
アーサー側から連絡を取ることはほとんどないため、音信普通になればそれまでだ。
文面はまるで一年以上の空白を感じさせないような、ジェイコブらしいものだった。
〈おい一体何ヶ月ぶりだアーサー元気か?無事か?相変わらずうまくやっているか?こっちはちょっとした問題が起こってそれに時間を取られちまったんだ。だがもう片ついた、まあ新しい問題も生まれちまったわけだがそっちとは今のところうまくやっている。うまくな。むしろ毎日新しい発見と可能性に驚かされているわけだが!こんなにも物覚えが早いとは俺は関心しっぱなしだよ。アーサー聞いてくれ、子供が出来た俺の子だ。名はモアナ。どこかの国の海って単語だ。もう二才になる。ということは俺は二年もここに来てなかったってわけかなんてこった。まるで普通の生活を送っている人間みたいで嫌になるぜ。どうにも手が離せなくてな、ちょっとした仕事も始めたし。とは言ってもただのバスの運 転手だがな。クソ観光客の積み下ろしだ。モアナを育てるためには収入が入る。預けるのにも金が要るし仕方ない。俺一人だからな。クソのついた赤子のケツを洗う日が来るとはいまだに信じられないがもう習慣になっちまった。こいつは小さいくせによくするんだ。それも大量にな!〉
生まれ育った愛する島を守るため観光客や島民でさえも手にかけてきた男が、いまや赤子の世話をしている。
意外な展開にアーサーはしばし返答に詰まったが、なにか、違和感を感じていた。
ジェイコブが観光業に身を染めたことに少々失意を覚えたがそこではない、なにか。
そもそも一人で世話をしている……それは母親がいないということを示す。
〈久しぶりだジェイコブ。こちらは相変わらずの生活を送っている。君からの返答がきて嬉しく思っているし、ジェイコブジュニアの誕生はとても喜ばしいことだ。一人で子育てをしているのか?大変だろう。奥さんはどうした?〉
〈ああ一人じゃ大変だ、ミルクの分量すらわからなかったからな。だが島の女どもが色々手を焼いてくれるから、一応まともに育てているつもりだ。最近はパパ、パパって後をついてくる。母親がいなくても育つモンだよ。サラは、モアナを産んだ女だが、産後の状態が良くなくてな。それでなくてもあの都会女には、あいつ腹を膨らませたまま勝手に島に戻っておいて、いざガキが産まれそうになったらこの島で子育てしたくないだと。こんな原始時代みたいなところで子供を育てるなんて無理イギリスに帰るまともな生活をさせたいだと、あの馬鹿女!俺がイギリスに連れ戻されて一体どんな思いをしたかまるでわかっちゃいない。この子の世界はここだ、誰にも奪わせるものか。しかし女ってやつは本当に馬 鹿なもんだよ。ちょっと態度を変えてちょっと良い言葉をかければすぐに信じやがる。サラに感謝出来る唯一のことはモアナを無事産んでくれてありがとうと、母乳を数日ありがとうってところだな〉
アーサーは、ジェイコブの文面を見ながら我知らず微笑んでいた。
人は簡単に変わらない、そんな部分を見た気分になった。
サラという女性を手にかけるジェイコブが容易に想像できたがなにも言わないことにした。
〈そういえばアーサー、あんたの大事なハニーは?あのヒョウの子は元気か?この二年でまた随分でかくなったんじゃないのか?〉
〈ああハニーのことか。覚えていてくれて嬉しいよ。彼女は、〉
ハニーという単語に意識をやっていたため、迫り来るジープの音に気付くのが遅れてしまっていた。
どうやら相手は減速しているようだ。
この広大な地で同じ種族すなわち人間に出会うと、声をかけたくてたまらなくなる病になるやつが大勢いるらしい。
アーサーはジェイコブに客人が来たからといって交信をやめ、やってきたジープを招待するかのように体を向けた。
「やあ、ハロー、あんた英語は?」
アーサーは微笑み手をあげた。相手に警戒を抱かせないための笑みはすっかり表情の一つとして顔に馴染んでいた。
たとえ片方の頬が裂け耳を失っていても。
「わかるんだな?良かった助かった!ナビの野郎が故障しちまって。この先にブルームタウンってのがあるはずなんだがこの道であっているかわかるか?」
「旅行者か?こんなところまでガイドもなしによく来たな」
車から降り地図を広げて見せる男の後ろ、窓から不安げに覗く少年をちらりと見てからアーサーは男に向き合った。
「ああこの辺りには前にも友人と来たことがあってな。今回はリック……いや息子がライオンを見たいっていうから来たんだ。保護区の裏を回っているつもりが迷い込んでしまってな。その、あんたはもしかしてレンジャーか?」
薄くなった頭と脂肪により膨らんだ腹を隠しもせず、男は汗を垂らしながら身振り手振り話している。
帰り道を見失うほど恐ろしいことはない。ましてや子供もいる。
哀れなヤツだなとアーサーは思った。
「俺はただの住人だ。この土地が好きでここに住んでいる。そのブルームタウンに家があるんだがここからまだまだ先だし、曲がるところを一本間違えたようだな。こっちは遠回りだ。あと三時間はかかるぞ」
「なんてこった、やっぱりさっきの道を行きゃあ良かったのか!クソ!」
車の中で話を聞いている子供は不満げな顔をしていた。荷台をちらりと見てから溜息をついたようだ。
荷台にはなにかが詰まったリュックと水が入ったタンクに黒いシートで覆われた固まりがあった。
運転席にあるライフルはどう見ても護身用ではなくハンティング用に見えた。
次第に曇り行くアーサーの表情を見て男はなにか話題を変えようとしたのだろう。
顔の傷についてなにか言いかけようとしていた。
ひどい怪我だな、なににやられたんだ?ライオンか?保護区とは言っても……アーサーに聞こえたのはここまでだった。
茂みからなにかが飛び出して男のジープに飛び乗り、子供が悲鳴を上げたからだ。
バカでかい叫び声を。




