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シノブ②

あの大惨事から半年。

シノブはオーストラリア行きの飛行機に乗っていた。


前からずっと行ってみたかった土地、というのは前提で日本を離れたかったのが本音だ。煩わしい事後のやり取りの全てが嫌になっていた。

事情聴取くらいは覚悟していたし、死体が……死体の傷の痕跡が見つかったら心神喪失で済まされるのか不安でいたが、幸い音哉とケイは綺麗に焼けていたそうだ。

 

殴られた跡が見つかっていたところで、暴徒と化した客のせいにするつもりではいたが。


ちづるの死体はステージ付近で発見された。暴行の犯人は不明。

よくあそこまで歩いて戻ったもんだ。這いずってかもしれない。

いや方法はどうでもいいか。とにかく戻った。


そしてそれを知っているのは自分だけ。

シノブはもちろん何も知らないを通し続けた。



音哉のいかれた思想に染まっていないとやっと信じてもらえたのは、生き残った客の証言だった。

音哉に殴りかかるのを見たと。

見られたのはそこだけだったらしい。

ステージに落ちてからのことを証言するものは誰もいなかった。

みんな自分が逃げることに必死でいたし、火が迫っているのにステージ側に張り付いて生き残った人間などいないだろう。

断言はできないが。



シノブは不安だった。いつ全てがばれるのかが。

人を殺した、それは事実だ。


だがあれは身を守るための正当防衛だし、ケイのことは事故だ。ただの事故。

ちづるに関してもやはり正当防衛。堂々としていてもなんの問題もない。だが。


シノブはわかっていた。この後ろめたさはなんなのかを。

たくさんのファンを死に追いやったことに関する罪悪感などではなかった。自分が火をつけたわけではないのだから。


あれは自分のせいじゃない。

自分が直接したことといえば。


シノブはわかっていた。


人を、夢中になって殴ったり蹴ったりしたことに、本気で殺す気でなんの手加減もせず打ちのめしたことにほんのわずか、達成感や満足感に近い楽しさを感じてしまったことを。


それはライブを終えたあとの昂揚感にも似ていた。



ここにいては忘れることができなかった。

あらゆるメディアから自分たちに関する情報が入ってきて普段となにも変わらなかった。日本を出るときですら空港にファンや記者がいたくらいだった。

一体どこから情報が漏れるのか。いやプライバシーなんてものはそもそもなにも守られてはいないのか。


飛行機に乗り込み自分の席についてシノブはやっと少しだが体の緊張が解けた気がした。 



外国に行ったら日本の情報なんて全く気にならなくなるだろう。


腐るほどいる遺族には延々と慰謝料を請求されるだろうが、それは事務所の仕事だし自分の貯蓄とは関係のない話だ。

事務所は自己破産を申請し潰れてしまったが。そしたら税金があてがわれるだろうか?そんなシステムなど知ったことじゃない。


シノブは早く忘れ去られる存在になりたかった。












窓の外を飽きるだけ眺めていたらようやく離陸のアナウンスが。


ぎりぎりに来たやつが慌てて機内に乗ってきた。

人々の非難の視線を浴びながら彼女は席についた。よりによって隣に。

置いていけばいいものを。全く迷惑な女だ。


飛行機はゆっくりと滑走路を進む。

機内ではスチュワーデス、とは今は言わないななんとかアテンダントがお決まりの注意事項を口にしていて。

シノブはそれをぼんやりと見ていた。

しばらくして飛行機が急に加速した。そして上昇。


子供が楽しんでいるのか怖がっているのかわからない歓声を上げていた。





飛行機はどんどん空へ登っていった。雲を抜けてもなお。ずっと。緩やかなのだが上に向かっている。

海はとっくに見えなくなっていた。

雲の上の気流が安定した空間(これもお決まりのセリフだ)はまだなのか。


この乗り物になにもかもを丸投げして座っているばかりの人々が(もちろんシノブ自身もだ)ざわめきだしたのは、キャビンアテンダントが操縦室のドアを激しく叩き出してからだった。


開けてください機長ここをこのままだと危険一体どうしたんですか機長機長機長きちょ、



そんな声が機内に響いたと同時に飛行機は急に旋回した。真上に向かって。


シノブの体は椅子に座ったままほぼ垂直になり、ドアを叩いていたキャビンアテンダントは物凄い勢いで後ろに吹っ飛んでいった。

一体なにが起きているのか。


頭上になにかが降ってきた。チューブやマスクのようなものが。

それはさっき、もしなにかあった際に使う酸素マスクだとスチュワーデスが実演していたものだった。

それが今まさにシノブの目の前に降ってきた。



わけがわからなかった。

一体この状況は一体なんなんだ!



隣の女は泣いていた。顔を濡らして泣きじゃくっていた。もう諦めたようにも見えた。

状況についてなにも考えないようにしたいのに、死の恐怖への本能が涙を溢れさせているようだった。


死ぬ?

このまま上に向かい続けるとどうなるのだろう?

航空機は大気圏を抜けられるのか?

その前に燃えてしまうのだろうか?

みんな燃える?



シノブが心なしか温度の上昇を感じていたその時。

隣の女がバッグからヘッドフォンを出した。


音楽を聴こうとしている、この状況で。

いやこの状況だからこそだろうか?

せめて好きな歌手の声を聞いていたいのだろうか。


俺は?

自分はどうしていればいいんだ。


シノブが、外の音から逃げた女への興味を失いかけたとき。


音哉が叫んだ。

すぐ、真横で。


女は目を閉じている。

ヘッドフォンからはわざと主張しているかのように声が漏れ続けていた。  


音哉の声が。


外を見ろと言う。現実を見ろと。自分たち以外の死で作られた世界を見つめろと叫んでいる。


音哉が。叫ぶ。


同じ目にあわなければわからないのかお前は同じ目にあわなければわからないのかお前たちは同じ目にあわなければ理解できないのか痛みが理解できないのか

犠牲になったものたちに償うためにはどう行動を起こすべきなんだ、自分は行動を起こしてみせると。


音哉がすぐ隣で歌っていた。



死んだはずなのにこれじゃ生きているも同じだった音哉のことを知っている者全てが死ななければ音哉は死んだことにはならないんだと、シノブが唐突に気付いたとき。



あろうことか、女が口ずさみ出した。


悲鳴を上げる者、家族に電話をする者にぶつぶつ祈っている者に混じってこの女は歌い始めた。

音哉の言葉を。


いい加減にしろ音哉お前は死んでまで付きまとう気か俺を呪い殺すんだろうこんなところまで追ってきやがってお前は連れて行く気だったのか初めから、俺を、



シノブは女の顔に肘を、力の限り叩きつけた。

女はあががっ、もがっ、ごお、と言った。


何発か肘鉄をくらわせると大人しくなった。




飛行機が再び旋回し、今度は地上を向いたのでさっき後ろに飛んでいったキャビンアテンダントがまた機内をなすすべもなく降って行くのが見えた。


だが、シノブにはどうでも良かった。

音哉を黙らせるのが先だったからだ。


飛行機は加速している。なんの迷いも感じられなかった。

むしろとっくに吹っ切れているのを感じさせるスピードだった。

雲を抜けると大地が見えた。山だろうか。

全体的に黒っぽく見えるのは木でも枯れたか開発のために切り崩したためだろうか。


こんな時でも目は情報を拾い脳に伝えるんだなと、シノブはなんだか馬鹿馬鹿しくなった。


だから目を閉じた。

もうどうにもならないからだ。

体に、全身を揺さぶる強い衝撃が走り息が詰まり出したと同時に。



音哉の歌声が、また耳元で聞こえたような気がした。

 

 












このときをどれほど待っただろうか。

どうせやるなら一番多くのひとが乗った機で実行したかった。

せっかくだから。


世界中にあちこちに果てから中心に。

人々を運びあらゆる地を汚してきた。

汚す手助けだこんなものは。


自分が何人もいたのならその分、何機も落としただろうに。


そんなことを言ったら、我々はきっともう戦わなくてすむんだろうなと、そう返信をしてきたアーサーは今一体どうしているんだろうか。

やはり戦い続けているんだろうか。


彼の耳に早く自分の、自分が行動を起こした結果を見て欲しいと金田勝は願った。


例えアーサーが飛行機墜落事故のニュースを見たとしても、自分がそれを知ることはもうできないのだが。


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