ジェイコブ⑫
「大自然の中で子供を育てるのが夢だったのよ。いい環境だわ。ゴミも排ガスも汚水もない。冷たい隣人だっていないわ。ただ病院の設備が気になるけど。その、お金のことは大丈夫よあなたに出してもらいたいとかそういうのじゃないの。退職金をたくさんもらったし。きっとここでしばらく子育てするには十分なほどあるわ。お祝い金も来たのよ。ね、ジェイコブ。私をここに置いて。ちゃんとやっていけるわ」
女は夢を語っていた。
なんでも自分の思い通りになるような自分にとって都合のいい夢を。
自分のことばかりだった。
「本当に俺の子なのか」
「あなたとしか寝てないもの、あなた以外にはいないわ」
「君があっちで誰と何をしているかなんて俺は全くわからないのに?」
「ひどいわジェイコブ、信じてくれないの?」
「突然戻ってきてそんなことを言われても困るんだよサラ」
涙目になる女にうんざりしつつ、ジェイコブは頭を巡らせた。
サラを、一体どうする。
ここで行方不明にでもなってみろ。すぐに親が飛んでくるんじゃないのか。どうやって言いくるめたかは知らないが妊婦だぞ?出航記録を調べればここには来ていないなんて話が通じるか。だいたい他の観光客に見られているだろう。
こんなところに島の女ではないこんな腹の女は目立つ。
よく親が許したもんだ。
親……
「サラ。こんなところに急に来て、君の両親は反対しなかったのか?自分の家で安静にしているべきだ。なにかあったとしても俺は、」
「親は、いないのよ。家族はいないの。亡くなったおばあちゃんとあと妹がいるけどずっと連絡を取っていない。わたしの家族はこの子と、」
続く言葉は出てこなかったが、サラが何を言いたいのかはジェイコブには嫌というほどわかっていた。
つまりは一人寂しい女が自分のファミリーを築きたくなり旅行先でたまたま遊んだ男の元に転がり込んできたってわけか。
俺が迷惑するとは全く考えずにな。
「ねえジェイコブ、あなたは自分の子供が欲しくないの?ここでずっと一人生きていくつもりなの?」
女の言葉が、やけに響いた。
女の腹を見る。
ここで観光客を退治する生活はあっという間に十年過ぎた。もう三十は過ぎた。
今は平気でもあと三十年同じことを続けられるだろうか。もちろん体力が続く限りはここを守りたい。
息子でもいたら後を継がせる。絶対に。女の子でも、まあ出来ることはできるだろう。多分。しっかり鍛え育てさえすれば。
おいジェイコブなんてこった。このバカ女を埋めるつもりだったのが、今やアーサーにどう伝えるべきかそんなことを考え始めてる!
いいニュースだアーサー、俺の後を継いでくれるヤツが出来たんだ。
名前は、
「ジェイコブ……ねえ、勝手に来たことは謝るわ。でもわたし、」
「サラ」
ジェイコブは優しく落ち着いたトーンの声を発した。
自分でも気味が悪いくらいだった。
「すまない、あまりにも急でその、少し混乱していたんだ。子供のことは嬉しいよ。だた急過ぎて自分に何が出来るか、なんてことを考えていたら不安になったんだ。ちゃんとした仕事についているわけでもないし、その、気ままに生活をしていたから君やそのお腹の子に対して責任を取れる自信がなくて」
サラはしっかり話を聞いていた。おびえているような顔つきがすぐに変わり始めた。自信を持ち始めたのだ。
自分がなんとかする、そんな表情を。
ジェイコブのことも支える気でいた。
相手の弱音を聞いただけで無意識に優位に感じるタイプなのだろうか。
嘘を見抜く力があったら良かったのになと、ジェイコブはほくそ笑んだ。
「わたしのことは大丈夫よ。あなたも今の生活を続けていてもやっていける。だって本当にたくさん、こう言ったらなんだかその、自慢するとかそういう気はないんだけど、お金はあるの」
実際あるんだろうな。こんなところに来て、男に自分と子供の責任を取れと口にする、そんな自信に繋がるくらいは。
だが、どれだけあるか知らないが減り続ける金だ。
ここで毎日パソコンを開いてネット通販なんかしなけりゃいいが。
「なら早速我が家に帰ろうかサラ。それともしばらくホテルに泊まるかい?」
「あの、前に泊まったホテルに荷物が届くようにお願いしてあるの。全部そろってから少しずつあなたのところに運んでも大丈夫かしら」
「それはかまわないが大きい家具なんてないよな?」
「大丈夫よ。ちょっとした服とか、子供の物くらいだから」
「そうか、じゃあひとまずホテルまで送ろう。ここは暑いだろうし」
微笑んだサラから肩にのしかかっている荷物を受け取りジェイコブはゆっくり歩いた。サラにあわせて。
女の調子にあわせてやりながら、子供の名前を考えている自分が本当に薄気味悪かった。




