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ルーシー⑬

パソコンから身を離し、伸びをしようとした体はルーシーの頭にふとよぎった疑問のせいで呼び戻された。

アーサーの前に。

聞きたいことがあった。どうしても。





〈あの、もうひとつ、聞きたい事があるんです。気になってしまって。先生のことじゃないんです。あの、リタ・レッドストーンさんのこと。彼女は難民を救うためにあんなことをしたんですか?なんだか、その、全然違うように感じてしまって。ある意味では生きる苦痛から解放されたようにも思えるんですけど、本当は他の生き物を守るための行為だったんでしょうか?〉



〈その通りだルーシー。人間はありとあらゆる地域にいて、馬鹿みたいに増殖している。保護する必要なんてない、わたしたちは絶滅危惧種でもなんでもない、というのが彼女の考えだった〉



〈ありがとうございます。なんだかすっきりしました〉



 


自分の見解の正解に喜びを覚えつつ、ルーシーは接続を切った。


彼はどう思っただろう。わたしの言うことを信じただろうか。もしそうだったら。

アーサーという人物を出し抜いたことになる。


ルーシーは罪悪感と昂揚感に混じった不思議な気分に襲われていた。


自分だって計画を立ててなにかをやり遂げられる。行動できる。先生が手本を見せてくれたじゃない。ちゃんと考えられる。


わたしは子供じゃないわ。







 

ルーシーが決意したその時、ほぼ同じ時間に母シンシアは決断を下していた。


彼女は荷造りを開始していたし、ルーシーのことも呼びに行かなければと思っていた。


町が落ちついたら戻る、一旦離れるだけ、一時的な避難よデービッドわたしたちはこの家に必ず戻ってくるあんな事件があったのよ、少し時間が欲しいの。

ルーシーのためなのよ。これはあの子のためよ。


デービッドは激昂しなかった。シンシアの予想に反して。

あの事件は事実だし、引越しをしている家庭があるのも事実だ。戻ってくるという言葉を信用したのだろうか。


反対しない、いやなにも言わない夫の反応を賛成と受け取ったシンシアがルーシーを呼びに行こうとしたその時。娘が二階から降りてきた。

シンシアは黙って娘の顔を見る。


痩せすぎだし顔色はいつも良くない。少し細い目と低い鼻はデービッドの母親似だわ。頭はいいけど活発ではないし、大人しい。

でも自分の主張はするし、なんというか頑固なところもある。

誰に似たのかしら。


「ママ、どこかに行くの?」


シンシアの数秒の物思いを破ったのは、思っていた本人の平坦な声だった。


「あなたも一緒よルーシー」


「なに?なんの話?」


「グレアおばさんを覚えてる?彼女のとこに行くわ。早ければ早いほうがいいわね。大丈夫、グレアはいつ来てもいいって言ってくれたのよ」


「ママ、一体なんの話をしているの」


ルーシーは父親を見た。彼は無表情だった。だがなにかの考えを巡らせているのはわかった。眉間がぴくぴくと動いている。

怒りの前兆を抑えているかのようだった。


「引っ越しましょうルーシー、ここから。あなたのためよ、あんな事件が起こった土地にはいられないわ」



そういうこと。やっと理由を取り付けた。そういうことねママ。わたしを連れて行く決心がようやくついたわけね、今になってようやく。先生を理由にするのね。

今まで見ようとしなかったくせに、今やっと母親ぶろうとしているわけ。


ルーシーは自分の中を冷えた何かが走っていくのを感じていた。氷のような感情が体を駆け巡っている。答えを吐き出すために。


ルーシーは自分の決意の、いや正義を信じきって目を輝かせている母親に向かって否定の言葉を口にした。


「追悼式があるの」


シンシアの目は一瞬にして曇り、デービッドは風向きが変わったことを感じた。


「わたしは追悼式に出たいの。出なくちゃいけないわ。あんな事件があったのよ。だからグレアおばさんの家にはいけない」


「追悼式?聞いてないわいつやるの」


「まだわからない。わたしも今日学校で聞いたのよ」


「強制参加じゃないでしょう」


「そうだけど……わたしは出たいの。自分だけどこか違う土地に行って、あの事件をなかったことにするなんて出来ないわママ」


「あなただけが引越しているわけじゃないわルーシー」


「わかってる、でもわたしは追悼式に出たいの」


「娘の意見を尊重したらどうだシンシア」


母と娘、二人の間に口を挟んだのはずっと黙っていたデービッドだった。


「追悼式くらいいいだろう」


シンシアはわけがわからない気持ちでいっぱいだった。


夫と娘が、大事な娘がデービッドと並んで立ってわたしの意見をわたしの決断に賛成しないどうしてわからないのルーシーこれはあなたのためなのに追悼式がなによそんなものどうだっていいじゃない一番大事なのはこの家を出ることよ!


シンシアは目で訴えたが、ルーシーはそこから動かなかった。

デービッドの横から。


「わたしはまだ家にいるから」


ルーシーは父親の横から動かなかった。


「追悼式が終わったらそっちにいくから。先に行っていいのよママ。あんな事件があったんだし。家のことは心配しないで、なんとかやるから」


ルーシーは、母親の顔が白くなったり赤くなったりするのを見ながら、人間の顔色は感情ひとつでこんなにもころころ変わるのかと思い、面白いものだと思ってしまった。滑稽だった。


さっきまで自分の行動に自信満々だったのに、今は迷子の子供のようになっている。


母は小さな声で分かったわと言い、ルーシーをしばらく見つめたあと部屋に行ってしまった。

明日にはグレアおばさんのうちに行くのだろう。あそこはあまり好きじゃない。牛がいてひどい臭いだから。


父が不意にルーシーの肩を叩いた。よく決断したなと、なんだか誇らしげな声だった。

結果的に自分の方を選んだのが嬉しかったんだろう。

彼なりの教育と愛情はこういうときに成果を見せた。

デービッドはそう信じて疑わなかった。

娘は父親といるべきだ。


父に肩を抱かれながら、ルーシーは後ろをちらりと振り返って見せた。

母がこっちを見ていた。目を見開いていた。受け入れがたい光景を目撃したという、そんな女の顔だった。


ルーシーは心底あきれ返ってしまった。もはやバカバカしくもあった。


わたしにそんな目を向けるなんてママはずっと前からおかしくなってたのかしら。

本当にバカだわ。







次の日、母は普通にルーシーを起こしに来た。

ルーシーは頭が痛いと言い、シンシアは学校に娘が休むと電話をした。


ルーシーがリビングにやってきたのは昼過ぎだったが、母親はもういなかった。お昼用のサンドイッチがあったし、夕食が作り置きされていた。洗濯も終わったようだった。


母の服やバッグ、靴はなかった。化粧品も美容クリームも。

テーブルに追悼式を待たなくてもいつでも来ていいのよ、というメモと多分グレアおばさんの家に行くためのタクシー代だろうか、かわいいキャラクターがついた封筒に現金が入っていた。


ルーシーはメモを捨ててからサンドイッチとコーヒーを胃に入れ、封筒を手に部屋に戻った。

そしてパソコンの前で、初心者向けの使い方講座を調べ、あちこち見て回った。


引退した警察官のサイトが一番わかりやすく頭に入った。





夜は父と二人でご飯を食べ、二人で眠った。


パパは気味が悪いくらいご機嫌だわ、きっとママがいないし、なによりわたしが残っているからね。この家に。





次の日学校に行くと、クラスメイトからは相変わらず見られたがそれ以上はなにも起こらなかった。

ドリー・エリオは来ていないようだった。怒られたのか、それとも自分から行かないとごねているのか。どっちでもいいけど。


帰りのホームルームで追悼式が一週間後だと知らされた。

場所は町外れのブランべリ教会。木がたくさんあっていつも日光を遮っている、夜は少し怖いところ。ボロボロの名前のないお墓もあるし。

ゾンビの存在を信じていた昔は、絶対にここから出て来るんだと思っていた。そんな場所。


先生が、マスコミ対策のために警察も来ます。追悼式に関係のない人は入れないようにするので時間に遅れないように。なにか聞かれてもけして答えないようにと言っているのを聞きながら。

ルーシーはまだ墓地のことを考えていた。


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