ジョージ⑧
秋の終わり、冬に入りきる前。
ポートタウンでは学校主催のイベントが次々に行われる。
港町であるポートタウンは、冬になると閑散期に入るため、それまでずっと恵みを与えてくれた海に対する感謝祭のようなものが、学祭としていつのまにか定着したのだ。
生徒たちは劇を行ったりダンスをしたり出店を出したりして、地域の住民を振る舞う。
ジョージの勤める高校には、今は使われなくなった灯台がモニュメントとしてグラウンドの隅にあり(当時の校長が大金をかけてわざわざ運び込んだ代物だ)祭りの日は生徒たちが花やイラストなんかで飾りつけ、夜にはライトアップする。
バカ騒ぎだ。要は。すっかり寂れた町を一瞬でも明るくするためのバカ騒ぎ。感謝祭の意味などかけらもない。
ポートタウンは何十年も前からくたびれている。
ジョージがまだ幼い頃、ポートタウンには豊かな海の反対側に大きな川と森があった。
住民は木材を売り、魚を売り、鹿や野鳥を狩りそれなりの生活をしていた。果樹や野菜を育て成功している者もいた。
素晴らしい大地があるのだから事業拡大を望まなければ十分やっていけたのだ。
そんなポートタウンを汚染と生臭さと失業者の町に変えたのが工場だ。
車の工場。
部品の製造から組立ライン、亜鉛の精錬所まで。ありとあらゆる車に関わる工場がやってきた。
今後この先将来孫の代まで伸びる可能性のある産業だ。売り込みに来た担当者は口々にそう言い、田舎者の心を躍らせた。
それは大地が、金だけを愛する卑しい人種に目をつけられた瞬間であり、ポートタウンの転落日だった。
誰かが土地を売る、工場が建つ。道路は整備されそこで働く人とそこに通う車が増える。
また誰かが土地を売る。大金を手にしてポートタウンを出て都会にいく。残った土地には新たな工場、駐車場、従業員用の簡素な住宅、コンビニまで。
開発のスピードはあっという間だ。
雨風で崩れたアリ塚を数時間で補修してしまうシロアリのようなものだ。この場合は逆だったが。
森は掘り出され平らになり、川は埋め立てられた。トラックはひっきりなしにやってきて持ち去ったり持ち込んだりした。
時に動物をひき殺し、たまに町の住民も事故に合う始末だった。
森にいた動物はいなくなり、川も海も排水で汚染され、町の人々が遅すぎる危機を覚えたその時。
ジョージ・ホワイトが教員免許を取り、親と同じようにこの町に生涯いるだろうと漠然と思っていた(別にやりたいことなどなかったからだ)まさにその時。
町で一番大きな工場。車の組立をしていたところが閉鎖した。
理由は簡単。州を挟んだ向こう側にある町の工場の方が、安く製品を提供出来たから。
それともう一つ。訴訟だ。
準備が進められていたのだ、工場による公害を訴える準備が。
その多くは漁師からなる団体だった。
川はあちこち真っ白な腹を浮かべてただ揺られているだけの魚でいっぱいだったし、それが海に流れ着き海岸は死でいっぱいという有様だ。
汚染された水も魚も商売にはならない。
きっとおそらくあの時は漁師が一番腹を立てていただろう。
だが裁判であっけなく漁師連合とやらが勝訴し、これからの補償段階になったとき、事態がなにも解決しないことに、勝利に息巻いていた人々は気がついた。
補償金が払えないのだ。工場が倒産状態だったから。
経営者は町を出て行った。
工場は停止し、これ以上の環境破壊は収まったが、かといって森や川、そして海がすぐ元に戻るわけではない。
自然の浄化スピードを上回る破壊だ。町は何年経っても生臭いままだったし、工場で勤務していてこの訴訟のせいで失業者となった者たちとの軋轢が生じてしまった。
彼らにも工場側からなんの補償もなかった。ただ職場を奪われただけだった。
多くの者が新たな仕事を求め町を去り、残った者を大馬鹿者だとこぼして回った。
ジョージ自身は親が教師であったために、学校生活は安定したものだった。
突然親が無職になったり、裁判に明け暮れるようなこともなく。引越しもなかった。
だた廃れ行くポートタウンを眺めるばかりだった。
打ち捨てられた工場が赤茶けた錆だらけになり、雨のたびに茶色い水を地面に溶け出させるのを見ながら、最初からやめておけばとそればかりを思った。
工場を建設した側もそれを許した側も止める事ができなかった側も全部、全部が悪い。
そのくせ毎年海への恵みを感謝するという名目で、使われていない灯台を囲みバカ騒ぎだ。
大人も子供も年寄りも夜更かしして食べたり喋ったり飲んだりしている。
いい気なものだ、人間は。
何度このポートタウンの歴史を授業で話してやってもぴんときてないのだろう。
学習出来なければ同じことの繰り返し。
連鎖を止めるには死しかない。
学際の期間、ジョージはもう何十年も夜の見回り役だった。
夜中に校舎へ忍び込み飲食と性行為に励もうとしていたバカな卒業生がいたために(ガラスも割っていた)地元の警官と共に見回りが始まったのだ。
こういうイベントがあると異常に羽目を外したがる精神疾患者が毎年一定数いるのだ。
何年かしたら警官の付き添いはなくなり、教師同士でのパトロールとなった。
警備会社に委託する予算をケチり、教師の仕事を増やした学長にジョージ自身は怒りを感じていなかった。
学際に参加したい、生徒と共になにかをしたいタイプではない自分にしてみれば、校舎の見回りは好きな部類だった。
子供が知らない場所を探検するような、そういう好奇心に近い感覚で懐中電灯片手に教室を一つ一つ覗いていたものだ。
ジョージ先生はそういったイベントごとに参加したくないようだから、見回りは彼と新米教師に任せればいい、そんな風潮すら生まれていた。
だから放課後、突然校長に呼ばれたことに何の疑問も持たず、例の見回りのお願い時期が来たのだと、ただそれだけが頭にあった。
校長室にルーシー・ブルーリーとスクールカウンセラーであるハンナ・キーブリーが一緒にいたことの意味が全くわからなかった。




