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音哉⑤

「音哉、出来てんのか?」


シノブの存在にはとっくに気付いているくせに音哉は振り向きもしない。パソコンの画面を食い入るように見ている。英語の文章ばかりだ。

シノブにはなんのことなのかさっぱりわからない。


「そこにある」


指差された黒く小さなアンティーク調のテーブルには、黒猫の重しが乗っかった紙が何枚もあった。

ぐちゃぐちゃと文字が書き殴られた一枚目。二枚目はその字がいくつかの固まりになっている。三枚目は詩の形になっているものの訂正だらけ。


音哉の書き方はいつもそうだ。

思ったことを一気に書いてからそれを曲に合わせてパズルのように並べて詩にするのだ。    



すべての原動力は怒りだ怒りの感情を忘れるな怒りが内側を突き動かす手を足を声を張り上げろ怒りのままに、



六枚目の紙にはそう書かれていた。音哉が額に血管を浮かせ叫ぶ姿が目に浮かぶ。


四ヵ月後のライブで初披露する予定の新曲だ。歌詞が気に入らないと音哉が持ち帰ったものだった。

その日は今までバンドをやってきた中で一番でかい会場でのライブが決まっていた。だから今すぐにでもこいつを外のスタジオに引っ張って歌わせたいのだが、音哉は相変わらずパソコンから離れない。


なんなんだ一体、そのカウンセリングの先生にでも歌詞を添削してもらってんのか?


「今回は英詩も作ってみたんだ。海外の子にもすぐわかるように」


シノブの思ったことは当たっていた。どうやら音哉は英文に直しているようだった。そして出来たものをやはり例の外人の先生に送るそうだ。

これも治療の一環で、どういう主張を抱えているか伝えなければならないという。


「英語だとまた違った感じの言葉になって面白い」


「ふーん、そういうもんか?」


「今終わる、そしたらケイと合流して」


「もう連絡してあるから。お前待ちだ、お前待ち」


音哉は苦笑いしながら謝りパソコンを閉じた。

シノブは閉じる前に送信済みという表示を見て、その英詩の歌詞が発表前に流出しないか一瞬心配になったがすぐにどうでもよくなった。

そんなことどうでもいいと言えるくらい今の自分たちには自信があったし、それも話題の一つになりそうだからだ。


新曲の英語バージョンが流出か、騒がれれば騒がれるほど注目されるのだから悪くない。


シノブはバンドに対して貪欲だった。もっと大勢の人に知ってもらいたいし、売れたいし大きくなりたい。

今回のライブが終わったらまた海外を回りたいと思っている。

自分たちの曲を音哉の歌を広めたいしそれと同じだけ受け入れて欲しい。


自分が作った音楽を口ずさむ子が増えるのは気持ちがいいことだ。

何十年先も愛される音楽を作りたいが、音哉の歌詞は人を選ぶ。

恋も愛も友情もなく、苦痛と絶望と死が連鎖しているのだから仕方ない。

だが十三年が経ち、音哉の嘘のない歌詞でなければだめだと言うファンが本当にたくさん増えた。考えさせられる歌詞がうけているのだ。


今が一番調子がいいのではないかとシノブは思う。明後日もライブだ。メンバーもスタッフも調子は万全だった。

今が一番深刻な事態だとこれっぽっちも思っていなかった。


音哉が抱えていることなんてただの主張で(有名人によくあるようなチャリティ精神のようなものだ、安全圏から金をばら撒くような)なにかをする気でいるなんてちっとも思わなかった。


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